庭の記 2020
 綿野舞の記TOPへ
3月23日 空しさを慰めるのは 春の花
~庭の記 目次へ~ 
去年の庭木の雪囲いは完璧だった。その囲いを母の49日法要の前までに撤去した。実に空しい感がした。例年なら、雪の下で頑張ったと褒め、ようやく春が来たと喜びを分かち合う木々たち。今年は何の甲斐もない。無駄な労力の上に無駄を重ねて囲いを外す。これを空しいと言わずして何と言おう。来冬も無雪と分かれば囲いなどしないのだが、こればかりは誰にも分からない。だから、囲い材を乾かし、格納して来年に備える。空しい。
ま、そう言わずに頑張ってと、庭の花たちの小さな声。まだ完全に撤去が終わったわけではないし、そうこうするうちに庭木の消毒をしなければならない。畑の春耕も始まる。2月と3月はまだ余裕があったが、これからの春は何かと忙しい。2ヵ月丸丸休んでしまった登山にもいよいよ復帰する。空しいなんて言っている場合ではない。
心を空しくすれば、イサオシンドロームが忍び込む。とめどない過去の記憶がランダムにつながりもなく勝手に想起してきて心中を支配する恐ろしい症状。高村薫の「土の記」の主人公イサオは、だから老いても常に行動をし続ける。することが多すぎるのは老人にとっては幸せというものだ。
渡辺伸栄watanobu
隣家の紅梅。美人は何を着ても綺麗だと言われるが、この紅梅も雨よし、晴よし、雪よし、天候を選ばない。今年はコロナ渦で毎年恒例の偕楽園プラス苺狩りのバスツアーが流れた。苺食べ放題は別として、偕楽園だけなら隣家のこの紅梅と我家の白梅を見れば事足りる。それほどのものだ。
我家の白梅はもともとは母の木。梅の実もいで妹にあげろと母のいつものセリフ。その母の49日法要に兄弟とその子たち孫たちが集まった。納骨・直会を終えて我家に戻って寛ぐ一同。死者が深める生者の縁。妹曰く「母ちゃん今頃久しぶりに父ちゃんに会えているかな」私「47歳の若者と98歳の老婆だもんな、おやじはきっと”ゲッ”って顔してるだろうな」発言者不明「早く逝った方が得ということ?」どうやら、あの世では歳はとらないらしい。16歳で事故死した従弟は、残った者の中ではいつもでも16歳のままだ。コロナ渦で遠方に住む息子も娘も姪も弟も遠慮してもらった。新盆にもう一度みんなが揃えられるようにしたい。死者が深める生者の縁。人の死は残る者にこそ意味がある。 
3月8日のフクジュソウ 
3月12日のキクバオウレン
ページのTOPへ