林の記 2020
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3月23日 山の花 今年ばかりは面食らい
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雪が皆無の冬を過ごして、今年の山林は開花の順番が狂ってしまったらしい。梅に桜に水芭蕉にイチゲにエンゴサクにと、すでに咲き始めているにはいるが、一斉開花ではなく、個々にバラバラ。早い奴遅い奴、それぞれてんで勝手のふう。多分、草木も面食らっているのだろう。どうしたらよいか、例年の経験が通用せずに右往左往の態。越後の春は、厚い雪が融けて一斉に開花する方がやり易いのになどと、奴らのぶつくさ声が聞こえてきた。
が、それだけではどうやらなさそうな気配もある。去年の夏はあまりに暑過ぎて、夏草刈りを半端にしてやめた。秋になってもちっとも気温が下がらず、もう山林の手入れはやめにしてこのまま荒らしてしまおうかとさえ思った。草刈り中、足長バチに刺されて頭にきたことも原因の一つ。畑に庭に山林にマラソンに登山に古文書にと、することが多すぎて手が回らなくなったことも理由の一つ。それに、草刈り機も壊れかけて馬力が落ちた。愛機のチェンソーも、使い過ぎたかそれとも手入れを怠ったせいか、白い煙を吐いて分解してしまった。
そんなこんなで、今年の春の山林は去年の手入れが行き届かずに荒れている。奴らのぶつくさ声は多分それへの不満でもあるようだ。こうやって早春の山林を見てみれば、荒らしてしまうには惜しい。40代の初めから、どんなに仕事が忙しくても夏草刈りだけは一度も欠かしたことがない。それを思えば、ここは一丁、奮発して高馬力の草刈り機を導入するしかないか。チェンソーも、修理が利かなければ買い替えだ。ハチに刺されたくらいで退散などするものか。暑さがなんだ。
渡辺伸栄watanobu
山桜は元来開花時期に個体差があって、どこの山中でもバラバラに咲くようだが、それにしても今年は早い。息子夫婦がいつものように連休に遊びに来るというが、大桜は多分咲き終わっているだろう。
梅とキクザキイチゲ。例年2月ごろ剪定する梅の木、今年はついサボって去年の新梢が伸び放題。
折れて倒れて皮一枚で生きている老木の梅。花は白より少し緑がかって気に入っている。この状態で年々勢いを増しているふう。地面に着いた枝から根を出してくれていればいいのだが。そう言えば、母もずっと早い頃から右の頸動脈が梗塞を起こしいて、ずっと長い間左脳の血管の先端が右脳の血管の先端と癒着して血流を保ったのだと、脳外科の先生の見立てだった。老木よ、がんばれ。
この梅の木の周りのミドリはすべてアサヅキ。これを抜き取って洗ってそのままおひたしにする。それがまた美味い。
この日の一番のお目当てはこれ。春先は何はともあれこれのほろ苦さを味わっておきたい。人生はそもそもほろ苦いものだと、思い知っておくために。
友人からもらって植え付けた行者ニンニク。まだ少々早いのだが、芽をかき取った。これもおひたしにする。その味がまた絶品。
この晩、思わぬ到来物があった。夕べの食卓は、その到来物とこれらのおひたしだけ。Okkaaと二人、到来物に只管かぶりつく。「美味いな・・・ポッカリ餅みたいね・・・・(しばらく無言で貪って、思い出したようにまた)美味いな・・・ポッカリ餅みたいね・・・・」二人で到来物を食い尽くすまで、何度もこれを繰り返した。もちろん、ときどきは山菜のおひたしに箸を伸ばしながら。それがまたベストマッチで。幸せは、多分こんなところにあるのだろう。Okkaaはこの頃物忘れが激しい。つい大声を張り上げて叱ってしまう。だから、こんな穏やかな夕餉のひと時が得難く愛おしい。
山林から帰ろうと軽トラに乗り込んだら、きっとそれを待っていたのだろう。藪の中から猿公の一家がゾロゾロ出てきた。折れた桜の大枝の上で遊ぶ小猿など何とも愛らしい。彼らは私のことを知っているらしく、決して歯をむき出したりはしない。ただ、この藪奥からはイノシシが出入りしているらしいし、カモシカにクマも時には回遊している。山林の手入れを始めてから30年、最近はどうも雰囲気が違ってきた。どこかおぞましさを感じる気がして、それが実は手入れを怠った理由の一つでもあるのだ。荒らしたから獣が出るのか、獣が出るから荒らしたのか、さてドッチダロ⁉
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