北越後関郷 上関城 四百年物語
 城主は三潴氏、鎌倉時代から戦国時代の終わりまで400年の物語      筆・綿野舞watanobu
 
1 はじめに


 歴史Historyは、His storyに由来するとの説があります。
 語源ではなく俗説とされているようですが、歴史とは、まさに「彼の人たち」、つまりは「先人たちの物語」であることをこの由来説は示唆してくれています。

 歴史は、物語られてはじめて歴史となるとも言われています。
 数ある歴史的事実の中で、語り継がれるべき先人の辛苦や功業等々の活躍が物語として紡がれてこそ歴史になるのだと思います。


 現在の新潟県岩船郡関川村大字上関の地に古城址があります。中世の城跡で、「上関城」とよばれています。
 城主は三潴(みつま)氏といって、鎌倉時代に上関城の前身「桂関(かつらのせき)」の関吏として赴任し、以来、豊臣秀吉によって上杉景勝(うえすぎかげかつ)が会津に移封させられるまでのおよそ400年間、上関城に在城したと言われています。

 まさに激動の中世、いずこの武将も浮沈激しい中にあって、その400年間を変ることなく上関城の主として勤め通した三潴氏とは、いったいどのような武将であったのか、これが、この物語の主題です。

 歴史は、叙事詩から始ったと聞いた覚えがあります。古事記、ユーカラ、ホメーロスの詩・・・太古、語り継がれた伝承の物語と先人の歴史は不離一体でした。語り継がれなければ歴史は消えます。歴史が消えるとき、人々の思いもまた消えるでしょう。


 「上関城址」は、地域では「お城山」として親しまれてきました。筆者の子どもの頃(昭和30年代)には、今のように杉木立はなく、この山に陣地を構えたりしていくさごっこなどをした思い出があります。城山の裏の崖道を下ると獅子舞岩(ししまいわ)と呼んでいた川岸の岩盤の上に出、その先は深い深い淵となっていました。そこは、当時の子どもたちの絶好の川泳ぎの場でした。

 現在のお城山は鬱蒼とした杉の林となっていて、訪れる人もなく、そこで遊ぶ子どもなどもちろん皆無です。城山の端を通る県道の傍らに「上関城址」と書かれた石碑が立つのみのさみしいところとなっています。このままでは、筆者のたわいのない思い出は別にしても、このお城山の歴史も埋もれ、忘れ去られていくのではないかと危惧されます。

 そんな思いもあって、上関のお城山に親しんだ者として、このお城山は一体何だったのか、どのようなドラマが展開されたのか、管見浅慮を省みず物語として紡いでみようと思っています。
 幸い、関川村史の中世編を執筆された故高橋重右エ門先生はじめ多くの碩学が研究の成果を残してくださっています。それらをお借りして、読者の皆様とともに「上関城400年物語」の旅に出かけてみます。

 まずは、上関城の位置と規模について確認することから始めたいと思います。     


<参考>
 物語として叙述を進める都合上、いちいちの出典資料などは本文に示してありませんが、別に「補足」のページを設けて、そこに参考資料などを紹介してあります。
 「物語」をそのまま読み進めていただいても構いませんが、興味のある方は、それぞれのページで「補足」をクリックして参照していただければと思います。
                                                     
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