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阿賀北山岳会山行録2016から    登 山 三 題
 渡 辺 伸 栄 


 頻繁に山に登っていると、実に愉快な出来事に出遭う。風景も草木も花々も愉快、もちろん人も。


その一  命 綱

 六月に入ったばかりの月山は、まだぶ厚い残雪の季節で、春スキー真っ盛りだった。

 月山リフトの上駅を降りてから、月山山頂へは二つのルートがある。一つは、目の前の姥ヶ岳に直登して、その山頂から長い尾根を辿る道。二つ目は、姥ヶ岳の山腹を斜めに横切って進み、やがて尾根に合流する道。

 一つ目のルートは急斜面で、残雪が固く張り付いていた。雪の山は初めての妻が同行している。途中で滑ったら止めようもないのでそこは避けることにして、二つ目のルートをとることにした。

 そのルート、山腹全体に残雪が厚く広がった緩斜面だが、遥か下方の沢まで擂り鉢状になった広大な雪原を横切ることになる。

 「大丈夫ですか。ここでお昼を食べて、引き返してもいいんですよ。」

 同行の高橋裕美子さんが妻を心配して、無理をしないでと何度も言葉優しく繰り返す。が、何しろ妻の目の前には、これまで見たこともない広大な雪の山。その光景に陶然として、

 「行けるところまで行ってみたい」と、危険など微塵も感じていないふう。

 登山靴に初めて履かせてやった六本爪のアイゼン。それで、雪上を歩いてみる。

 「滑らなくて、土の上より歩きやすい。」

 子どものように喜んでいる。

 やおら、リーダーの安久昭男さん、ザックからハーネスとロープを取り出して妻の腰に装着し始めた。万一滑落してもがっちりと確保してくれるつもりらしい。さすがリーダー、と思っていたら、安久さん、束ねたロープの残りを黙って私に差し寄こす。
 えっ、オレが、確保を?何しろ、雪山でロープなど扱ったことのない私、口には出さねど内心は狼狽えた。

 が、動揺を隠して即座に頭を切り替えた。遥か沢の底へ滑落して消えていく妻を、指をくわえて見ているよりはマシだ。万一確保に失敗しても一蓮托生、それも運命か。いやいや、一緒に滑落していくうちに何とか手だてを見つけるかもしれない。

 それに、長いロープが伸びきる前に、飛びついてロープをピッケルに絡め止めようというリーダーの魂胆も以心伝心、理解できた。これだけ頻繁に山行を共にしていれば、信頼感は厚い。

 同行者のそんな心配や算段をよそに、妻は、腰に括り付けられたロープを引きながら嬉々として前を行く。私はその後ろで、時々、確保の練習をする。

 もし、前を行く妻が斜面を滑ったらその刹那、私はピッケルもろとも雪の斜面に倒れ込む。そして、全体重をかけてピッケルの尖端を雪面に刺し、間髪を入れず、片手に束ねたロープをピッケルに巻き付ける

 想定実践練習だ。その練習の都度、妻は振り向いて真顔で言う。

 「ちょっと!やめてよ。後ろから引っ張らないで。」

 いやはや、知らぬが仏とはこのこと。雪面に倒れ込んだ私を、滑って転んだかと見ているふうだ。傍から見たら、妻が私を先導しているように見えたかもしれない。いや、妻はどうもそんなつもりでいたような気がする。


 ともあれ、かくして雪のトラバース道を渡りきり、尾根に登り上がった。そこで待っていたのが、登山道の両側に咲き誇っていたシラネアオイの花の群れ。その数といい、色合いといい、風情といい、とうてい文章では書き表せない。

 もちろん、下山も同様にして無事だったから、今こうして暢気に文など書いている。



その二  焼 肉

 戸隠山は、鋭い岩峰がいくつも連なって、稜線に登りつくまでには、垂直に近い岩壁の鎖場がいくつもある。そして、その先の岩の稜線には、知る人ぞ知る難所、蟻の戸(塔)渡りが待っている。

 安久昭男さんは、先月、その戸隠山に単独で登ったと言う。生憎のガスで鎖場も蟻の戸も周りがよく見えない中で通過したのだと。

 その話を聞いて、高橋裕美子さんも私も、怖いもの見たさで戸隠へ行ってみたいとなった。安久さんも、晴れた日にもう一度あの岩場を確認してみたいと、三人の思惑は一致した。


 戸隠の奥社から見上げる岩峰は聞きしに勝る鋭さ。奥社参拝の客らしい一行が、ヘルメットをザックにつけた我等の装備を見て、

 「あそこへ?行くのですか?」と、崇敬の声で尋ねる。高橋さん、少々の優越感を漂わせて、「そうだ」と答える。と、彼らたち、掲示板に張られた蟻の戸の写真を見とがめて、

 「ここを渡る?どうやって?」と、問い詰めてくる。

 満を持して、経験者安久さんの出番。

 「断崖絶壁の上のナイフリッジといわれるほどの細い岩の道で、とても立っては歩けないから跨いで進むのだ」と、身振りを入れて説明する。

 「ただし、」と、安久さんの話は佳境に入る。

 「岩稜の途中には大きな岩のでっぱりがあって、股間に引っかかってそこで進めなくなるので、困るのです。」

 聞き手の中にはうら若き女性もいて、恥ずかしそうに面白そうに頬を染めて聞いているのだが、安久さん、どうしてどうして堂々としたもので、衒いもなければ臆面もない。

 さて、登山を開始して、しばらく進むといよいよ鎖場の連続。横這いがあったり、垂直に近い縦這いも何ヶ所もある。

 実は後で聞いたのだが、安久さん、その辺りで私か高橋さんか、もう引き返そうと言い出すだろうと思っていたらしい。

 が、案に相違してその二人、どこまでも安久さんについていく。ドームのクライミングで鍛えた高橋さん、垂直の岩壁にたじろぐ様子もない。その次が私。単独行で、無人の鎖場を登ったことが何度かあるが、あれは気分的に相当きつい。それに比べれば、前二人のルート取りがわかっている分だけ、気持ちの負担は軽い。

 かくして、ついに最大の難所・蟻の戸の前に達してしまった。屏風のように切り立った両面断崖絶壁の上の細い岩の稜線、ナイフリッジを向こう岸まで渡る道。

 さて、どうする?

 絶壁の下を迂回する道もあるにはある。が、ここで怖気づいて迂回したとあっては、阿賀北山岳会の沽券にかかわる。急な都合で同行できなくなった会長の池田高雄さんに会わせる顔がない。それよりも何よりも、ドームで鍛えたクライミングの腕が鳴っている。というような次第で、高橋さんも私も、迷わず蟻の戸を渡ることにした。

 もちろん、立って渡るなど及びもつかず、まずは、岩稜の縁に両手を掛け、壁面の凹凸に足場を探って横に伝い歩き。やがて足場がなくなって、やむなく岩稜の上で四つ足歩行。それも苦しくなって、ついに馬乗りの形。これが案外楽に進めて、最初からそうすればよかったと思ったのは後の祭り。途中、股間に引っかかることもなかったのは、安久さんと私の物の違いか。

 それはともかく、このままの格好で渡り切るのは面白くないと、身の程知らずに最後の1、2mを立って歩いてみた。これが、ことのほか怖かった。絶対に下は見ないようにしてそこまで来たのだが、立ち上がればいやでも下が見える。その恐怖感たるや、足がすくむとはこのこと。一歩が出ない。歩き始めた幼児のようにして、やっとの思いで、その1、2mをクリアした。

 なんとか蟻の戸を渡り終え、最後の鎖場を登ると八方睨みのピークに出る。もし、そこから我等の渡りを見下ろしていた人がいたら、多分大笑いだったろうと、そのピークに上がってから気がついた。が、これも後の祭り。


 八方睨みのピーク上でようやく一休み。その眺望は、恐怖の後だけに形容の仕様もないほど。

 足をすくめた当方に比べて、涼しい顔で難所を渡り終えた高橋さん、ピークの一角に陣取って、何を始めるかと思いきや、ザックから取り出したのは、なんと生肉の塊。

 コンロに火をつけてジュージューと、山頂焼肉亭の開業。そのうまいこと。その上、デザートは菅井農園産の特級ブドウ。

 かくして腹を満たし、一不動の周回ルートで下山したのだが、帰宅してその夜、ふと思ったことがある。

 命懸けのナイフリッジを四つん這いで進む高橋さんの背のザックの中に、あれだけの生肉が詰まっていたとは、だれが想像できようか。

 焼肉する我等の横を通り過ぎていった登山人たちの表情を思い出した。

 「あの難所を渡って、焼肉か!」と、彼等の顔には紛れもなく驚嘆があった。

 後日、安久さんにその話をしたら、翌日の自身のブログには

 『蟻の塔 焼肉担ぐ 剛の者』

と高橋さんへの賛辞が載せてあった。彼女のあの柔和な笑顔に比べ、行動は確かに豪胆だ。



その三  化 身


 「運のいい人も、いるもんだ。」

 安達太良山の頂で、安久昭男さんがつぶやいた。

 「どうしました?」

 同行の渡辺一洋さんが、怪訝そうに尋ね返す。

 「いや、実はさ、さっきまであそこにいた小母さんのことなんだけど・・・」

 安久さんの説明によると、その小母さん、岩に腰掛けてパンを食べようとしたらしい。何かを拾おうとしたのか、身を屈めた拍子にザックの肩ベルトに固定していたペットボトルからコーヒー牛乳がゴボゴボと音を立ててこぼれ落ちたという。多分、キャップを閉め忘れていたのだろう。ここまでは不運の話。幸運はその先にあった。

 こぼれた飲料は、片手に持っていたパンにすべて降り注がれ吸い取られて、一滴も地に落ちることはなかったという。かの小母さん、何事もなかったように平然とビショビショのパンを食べ終えて、牛ノ背の方へ下っていったのだそうだ。

 「あの平然さは、多分照れ隠しに違いない」などと、安久さんは笑って言う。

 確かに、あそこに小母さんはいた。が、パンだのペットボトルだのと、そこまではまったく気にしていなかった渡辺さんと私、安久さんの飲料の種類まで見分ける観察眼の鋭さには、いつものことながら只管感服するばかり。

 小母さんに遅れること数十分、やおら腰を上げた我等三人も牛ノ背へ下り分岐まで至ったのだが、かの小母さんの姿を見ることはついぞなかった。

 せっかくの絶好天、分岐を通り越して鉄山まで足を伸ばし、奇観絶景を堪能して再び分岐へ戻り、くろがね小屋目指してザレた斜面を下り始めた。

 中間の峰ノ辻を過ぎた頃のこと。ふと後ろを振り返ると、かの小母さんが猛烈なスピードで下ってくるではないか。

 えっ、なんで?

 とっくに下っていったはずの人。鉄山でもまったく見かけなかったし。

 いったいどこから現れた?

 狐につままれたふうに呆然と道を譲る我等三人。その前を、風のごとく駆け下りていく人。紛れもなく、山頂にいたあの小母さんだ。下るテンポの軽快なこと、あっという間に見えなくなって、とても人間とは思えないふう。

 観察眼の安久さんは、私が気づくよりずっと前に、遥か上方稜線の分岐から駆け下ってくる人影を見つけていたと言う。近づくにつれて、その人影がかの小母さんのようだと気づき、そのスピードに仰天していたのだと、小母さんが見えなくなってから吐露するのだった。

 その驚愕が、再び巡ってきた。くろがね小屋で一息入れて、長い馬車道を下っていたときのこと。なんと、あの小母さん、またまた我等の後ろから駆け下ってくるではないか。今度ばかりは堪らず、後ろから迫る小母さんに、振り向いて私が声を掛けた。

 「さっき、追い越しましたよね。なのに、どうして、後ろから?」

 「ナニ、チョット、くろがね小屋で風呂を」

 小母さん、足を止めることなく、すれ違いざまに答えるとそのまま風になって下っていく。

 その姿を見送って、安久さんが突然言い出した。

 「僕も、走って、下る。」

 フルマラソンのレースが近づいていて、ここのところ忙しかった安久さん、走り込みが不足していたらしい。いやいや、あの不思議な小母さんに追いついて正体を暴きたかったのかもしれない。邪魔になるカメラだけを私が預かって、ザックを背負ったまま、重い登山靴で颯爽と走り出した。

 私と渡辺さんは、歩いて下る。馬車道を走る安久さんに少しでも追いつけるかと、ショートカットの荒れた旧道を下り、あだたら渓谷の遊歩道もじっくりと見分したりしてから駐車場の手前に到着。そこで、先に待っていた安久さんと合流した。

 「途中で、あの小母さんに追いついた?」と問う私と渡辺さんに、

 「それがね」と、安久さんの意外な答えが返ってきた。この場所まで走って来たけど、結局、あの小母さんには追いつけなかったと言う。

 「ところがですよ」

 安久さんの顔は、もはや不思議さを通り越して呆れ顔に変わっている。

 「ここで休んでいたら、なんと、あの小母さん、またまた後ろから現れたのですよ。」

 道端に腰を下ろした安久さんの前を、例によって風のように通り過ぎ、駐車場の方へ消えていったのだと。

 「まさかでしょ」とは言いたいが、これまで二度の出現を目の当りにしている私と渡辺さん、三度めを疑う余地は既にない。で、三人で笑った。笑うしかなかった。笑ってはみたものの、内心は落ち着かない。

 三人で、解釈を始めた。一度目は、多分、鉄山の遥か先の箕輪山まで足を伸ばして、Uターンしてきたに違いない。二度目は、くろがね小屋で入浴。三度目も、すぐそこの奥岳の湯で入浴して出てきたのだろう。そうに違いない、いや、そうとしか考えられない。

 しかし、内心は腑に落ちていない。それにしては、出現が早すぎるのだ。箕輪山まで行ったなら、いくら足が速くても峰ノ辻で我等に追付くはずがない。それに、あの短時間で風呂に入れるか、しかも二度も。

 もしかしたら、あの小母さん、安達太良山の狐の化身か。はたまた、韋駄天神の権現か。それならそれで、我等の内心は落ち着くのだが。


 足繁く山に通っていると、愉快な人たちと一緒になれる。それもまた山のご褒美に違いない。山は愉快に限る。


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