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阿賀北山岳会山行録2017から   登 山 三 題 (パート2)
 渡 辺 伸 栄 


 人に遇うために山に登るわけではない。が、頻繁に山に登っていると、たまに可笑しい人に出遭う。可笑しい人は大概変な人だ。山は人が少ない分、変さ加減が目立つ。


その一 そんなもんじゃない

 4月6日の弥彦山裏参道登山コースは、それはそれは得も言われぬ花の道だった。

 駐車場脇の登山口から登り始め、間もなくスカイラインを横断して少し急斜面を登ると、その辺りから雪割草がまとまって出現する。早くも感極まったか、石山キンさんが大きな声を上げた。だが、ここで花の色艶に見とれて歓声を上げ過ぎると、次の清水平ではもはや出す声がなくなる。

 清水平は見渡す限り一面のカタクリ。細い流れを挟んだゆるやかな谷間の両斜面が、ピンクに染まっている。大らかにたゆたう山肌の起伏全面に、カタクリの絨毯を敷き詰めたよう。早春の山でカタクリなど珍しくもないと思われる向きもあるだろうが、そんなもんじゃない。とてもとても、そんじょそこら辺にあるカタクリとはわけが違うのだ。

 清水平の名の通り、谷間に湧く水の溜まりと細い流れ。そこの水辺に群れ咲くカタクリときたら、まさに妖精の群舞。その数、密度、広がり、色、形、姿、ただ陶然とするばかり。日頃滅多にものに動じることのない池田高雄さんも、この時ばかりは茫然の態で立ち尽くし、感歎の声を漏らしたものだ。相馬拓也さんときたら、したたか飲み過ぎて酔い痴れた人のように、ふわらふわらと花の坂道を上下している有様だった。

 やがて、夢から覚めたように登山人は気を取り直し、先へ進む。能登見平で日本海を眺めて一息つき、妻戸山の裾を迂回する道へ。

 そこに雪割草の大群落。これがまた、見たこともない見事さ。清水平のカタクリにはさほど心動かされたそぶりを見せなかった安久昭男さんも、さすがにここでは「参った」の態。注意深く群落の中に分け入り、一つ一つの花を一つ一つ覗き込みながら、誰にともなく語り始めた。花弁の色が同じでも(しべ)の色が一つ一つ皆違っている、これほどまでに微妙な違いを出す花は見たことがない、などと。

 実はこの日は、10日後に実施予定の公民館登山のために、主管する阿賀北山岳会と公民館担当者とで下見に来たのだが、この瞬間ばかりは、皆、本来業務を忘れてうっとりと早春の花に見入るばかりだった。

 私は、3年前にもここに来たことがある。あの時の雪割草は白色が多かったように覚えている。今回は色も種類も数もずっと多い。3年で増えたのかもしれないが、それよりも多分、訪れたのが運よく最適期だったということだろう。実際、10日後の公民館登山実施日にはすでに花の適期は過ぎ、残念なことに参加者には下見の時のような歓声を上げてもらうことはできなかった。


 さて、一同、下見の職責に戻って山頂神社に上がり、参道をロープウェイ駅の方に向かっているときのこと。先に進んだ石山さんが、三人ほどの女性グループを前にして立ち止まっている。
 遠目で見ると、グループの先頭の一人の様子が尋常でない。もしかしてトラブルか、ならば助勢せずばと、急ぎ近寄ってみるとその御仁、顔を赤くして何やらまくし立てている。早口で内容が分からない。石山さんが振り向いて解説してくれた。

 「この人たち、田ノ浦コースから上がってきたのだそうだけど、そこの雪割草がとっても素晴らしかったと教えてくれてたの。」

 それを聞いて、つい、その小母さんに向かって言ってしまった。

 「裏参道コースの雪割草も、実に見事でしたよ。色といい形といい数といい密度といい・・・」

 そこからだ、その小母さんの猛烈な反撃がはじまったのは。

 「そんなもんじゃない、そんなもんじゃない。裏参道の雪割草なんて、色も少ないし、種類も少ないし。田ノ浦コースの雪割草は、あんなもんじゃない、あんなもんじゃない・・・・」

 まるで機関銃の連射のように言葉が出ているが、泡を飛ばすほどの早口でほとんど聞き取れない。顔を赤くしてまくし立てている。あれほど裏参道で感動してきた私としては、そこの雪割草をこき下ろされたようで、少々おもしろくない。よせばいいのに堪らず、言い返した。

 「下山は、裏参道コースを通ってみたらどうですか。見比べてみなければ・・・」

 すかさず、連射砲が打ち返されてきた。

 「そんなもんじゃない、あんなもんじゃない・・・・・・・・・・・・」

 小母さんの後ろの連れの二人が困った顔で立っていた。彼女たちの顔には、「コノヒトヲ コーフン サセナイデ クダサイ」と書いてあった。それで、早々に立ち話を打ち切って別れたのだが、件の小母さん、何を思ったか数メートル歩いて振り返り、わざわざ戻って来て、石山さんに向かってまた何やらまくし立てて、戻って行った。
 何だって?と聞けば、裏参道コースは一週間ほど前に歩いたけど、今日の田ノ浦コース程の花ではなかったから、ぜひ下山は田ノ浦へ、と勧められたのだとか。


 人間、自分の見た世界がすべてと思っている方が幸せなのかもしれない。一週間も前の状態と最盛期の状態を比べて優劣をつけるなんて、そんな不公平なことをしないでー、という花たちの声が彼女に届いたかどうか。

 本来業務に戻った我ら五人、山頂公園広場まで行き、そこで石山さんから優雅に野点ならぬ山点の一服をご馳走になって下見を終えたのだった。下山はもちろん裏参道。田ノ浦コースなんて、そんなもんじゃない、そんなもんじゃない。



その二 なるほど

 山道で行き交う登山人から、「どちらから?」などと尋ねられることがよくある。最近、この質問のやり取りで、初級者か上級者かの違いが分かるようになった。

 「どちらから?」には二つの意味がある。一つは、もちろん住まいはどちら?の意味。この意味で問いかけてくるのは、一部を除いてほとんどが初級レベルの人だ。

 多少ひねくれ気味の私など、それを聞いてどうする?と思うのだが無視もできず、県内の山なら「関川村です」と、県外の山なら「新潟です」と機嫌よさそうに繕って答える。山頂の寛ぎ中や山小屋でなら、それで会話の糸口ができて親しくなったりもするのだが、通りすがりの人にいきなりこんな質問をする人の気が知れない。ぶしつけにもほどがあるというものだ。一歩譲って、多分、山に登る人はみな同士、仲間だと思っているからの問いかけなのだろう。それはまあ、登山などごく限られた人たちのすることといった時代の名残りというものだ。私に言わせれば、暇な観光地の土産物屋の会話程度のものだ。

 だから、それはどうでもよいことで、重要なのは二つ目の意味で尋ねる場合だ。


 5月4日から3日行程で入った大朝日岳は、期待通りのぶ厚い雪の山だった。一面雪に覆われて真っ白な急坂雪面を一筋のトレース(足跡)を辿りながら一歩一歩キックステップで登る。残雪期ならではの醍醐味だ。

 そして、山頂は大展望。はるばる月山の麓を経由して2日もかけてようやく達したというのに、山頂に上がってみれば目の前に故郷の光兎山があって、何やら仏の掌の上を飛び回った孫悟空のような気分もしないではなかったが、それでも、飯豊に吾妻に蔵王に葉山、月山、以東、鷲ヶ巣、光兎と知己の山々が残雪の姿で居並ぶ様は圧巻だった。

 さて、山頂を十分に堪能して下山途中、小朝日岳への鞍部登り返しにかかったときのこと。小朝日の頂から降りてきた若いグループが道を譲って待機してくれていて、先頭の若い女性が、こちらの先頭の安久昭男さんに問いかけた。

 「どちらから?」

 この問いが上級レベルだということは、彼女の次の言葉で分かる。

 「私たちは、古寺山ルートですけど。」

 これが上級の問いというものだ。ルートを聞けば登山道の情報交換になるし、次の山行計画の参考にもなる。大いに意味ある問いだ。それに、自分たちのルートをまず告げている。人に尋ねる前にまず自分が名乗れというものだ。いかにもリーダーらしいキリっとした動作と口ぶり。なかなかのしっかり者に見えた。

 上級の問いには上級の答えが返る。安久さんが立ち止まって答えた。急登に息の上がりかけていた私にはちょうどよいタイミングだった。

 「古寺から入って鳥原小屋に1泊し、そこに荷を置いてピストン、今日もう1泊して下ります。」

 上級者の答えはいつも簡潔明瞭だ。

 聞いていた彼のリーダー女史、一瞬怪訝そうな表情を浮かべたものの

 「なるほど」

と、抑揚のない小声で一言。

 それで、このグループとはそれっきりとなったのだが、彼女のその一言が、私には実に生意気な言いぶりに聞こえた。人にものを尋ねて、「なるほど」はないだろう。「なーるほど」と手を打って感歎するほどならまだしも、冷たく一言、さも小ばかにして聞き流したかのように私には聞こえたのだ。

 当の安久さんがそれほど気にならなかったというのに、私が気にすることもないのだが、仮に職場で若い人にあのような生意気な態度で応答されたら、多分声を荒げて叱ったに違いないと思ったほどの響きだった。

 さて、その夜中のこと、鳥原小屋に異変が生じたと朝になって高橋裕美子さんが言う。瀬戸物の皿を叩くような妙な音が続いたのだそうで、安久さんも聞いたと言う。この2晩、鳥原小屋には我ら3人以外誰も来ていない。それで、思った。もしかしてあのリーダ女史、鳥原小屋に物の怪が出るというような噂を聞いていて、そこにわざわざ2泊もするという我らへの怪訝な思いが、あの抑揚のない冷たい「なるほど」だったのではないだろうか。それなら、多少は納得できなくもない。と、そう思って月日は過ぎた。


 7月に剱岳に登った時のことだ。ピッケルやロープを括りつけた大ザックの重装備であの岩山を歩いている一団が来て、それに道を譲って、高橋裕美子さんが声をかけた。

 「どちらからですか?」

 住まいを聞いたわけではない。もちろんルートを聞いたのだ。立ち止まって答えた方も顔つきからして上級者だった。何とか温泉から入山して、ここまで3日ほどかけて来たというような話だった。私にはまったく知らないルートだし知らない地名だったが、安久さんはよく知っているらしく、ずいぶん遠くですねみたいな応答をしていたし、聞いた高橋さんも感心したようなそぶりを示していた。


 そのときふと思ったのが、あの大朝日の「なるほど姉さん」のことだった。もしかしたら、鳥原小屋のルートを彼女は知らなかったのかもしれない。なぜかというと、剱のこの時、何とか温泉からというルートを聞いて、私は、「なるほど」と呟いてみせるしかなかったからだ。知っているふりはもちろんできないし、かと言って初めて聞いたような態度はいかにも初心者のようで、沽券に関わる。

 こんなとき、「なるほど」は、実に都合の良い応答のようだ。多分、あのお姉さん、初めてリーダーを任せられたのに鳥原小屋を知らないなんて、そんな素振りを見せるわけにはいかなかったのだ。そういえば、あのキリッとした態度も、後ろに続く仲間に対して肩肘張った虚勢のようにも思えてきて、遅ればせながら、がんばれ!とエールを送りたくなった。



その三 ついに発見

 ハナイカダという花がある。ふつう花筏というと、お堀の水面に桜の花びらなどがびっしりと敷き詰めたように浮かぶ情景を言うのだが、ハナイカダはれっきとした花木である。雌雄別株だが、どちらも葉の上に花を着ける珍しい形態で、筏に乗った花にたとえて名がつけられたらしい。花の後で実が雌木の葉の上に乗っかったように生る。

 この花木を安久昭男さんから初めて教えてもらったのは、2年前の7月の岩手山で、その後、同じ月の米山で見た。ところが、不思議なことに、それ以来まったく見ることがなかった。忘れていたわけではなく、翌年も6、7月になるとは山道で探していたし、今年も5月の高坪山や光兎山で探したが見つからないままだった。


 6月4日は、東根市でマラソン大会だった。出場した安久さんと高橋裕美子さんと私、それと介添え役の妻の4人で翌日は登山をしてから帰るのがここ何年かの恒例行事になっていて、今年は寒河江の葉山を計画していた。ところが、予定していた最短登山道の登山口十部一峠まで除雪が進んでいなくて車が入れないことが分かり、葉山は葉山でも上山の葉山に目的を変えた。

 山形県には「葉山」が三つあって寒河江の葉山が最も高く1,462m、次は長井の葉山で1,237m、三番目が上山の葉山で、標高はグンと落ちて687m。ここなら同行の妻も楽に登れるだろうとの安久さんと高橋さんの配慮だったようだ。予定通りの寒河江葉山だったら、妻は麓で待っているつもりだったのだ。

 上山葉山の登山道は、麓の金生熊野社から入り、三吉山に登ってから稜線を歩いて葉山に往復する。三吉山(574m)は国道13号バイパスのすぐ東側にあり、神社のある山頂からは上山市街が一望できる。
 上山のバイパスを通るといつも高層マンションが目立つのだが、三吉山の山頂に立てばあの高い建物も遥か足の下にあって、人間の建築力など自然の造形力から見れば大したことはないなどと見下す気が起きてくる。
 それに、三吉山の山腹には大きな黒岩がゴロゴロと敷き詰めたようにむき出しになっている「岩海」と名付けられた箇所がある。この地形はゴーロと呼ばれ、野口五郎岳の名のいわれともなっている特徴的な山岳地形であって、こんな里山の低山でそれが見られるのも面白い。


 時は6月、その山道をハナイカダはないものかと探しながら歩いた。と、突然、前を行く妻がそれを見つけた。まだ一度も見たことがないくせに、探している私を差し置いてだ。当然、面白くない。二番煎じながら、オレも絶対見つけてやると、行きも帰りも目を凝らして歩いた。

 そして下山時、ついに見つけた。葉の上に蜘蛛の巣がかかっているから、行きに妻が見つけた花とは違う。
 よせばいいのに、思わず「ついに発見、ハナイカダ!」などと、素っ頓狂な声で叫んでしまった。なぜ叫んだかというと、三年がかりで自力で見つけたのが嬉しかったのもあるが、ウロウロキョロキョロ探している私を後にして、ほかの三人がさっさと前に行き、かなり離れてしまっていたからなのだ。
 「どれどれ、ホントかな」と言わんばかりに戻ってきた3人、妻が低く冷たい声で言う。

 「それ、さっき私が見つけた花でしょ。」

 言われてよくよく見れば、私の発見した花のさらに下の枝に、登りで見た花がついていた。すかさず安久さんの突っ込み。

 「最初の発見でもないのに、“ついに”とは、よく言ったものだ。」
 「しかも、よりによって、蜘蛛の巣のついたこ汚げな花を見つけて。」

 妻も、何やらぶつぶつと、安久さんに同調している。

 悔しいやら、情けないやら、恥ずかしいやら。皆が笑えば笑うほど、こちらも怒るわけにもいかず、どうしようもなくて、笑うしかない。皆の笑いに同調しているうちに、本当に可笑しくなって、しまいには、腹の筋肉が勝手に痙攣して止まらない。笑い過ぎて涙まで出てくる始末。

 それを見かねて、笑いながら高橋さんが言う。

 「あーあ、泣かせてしまった。安久さんがあんまり突っ込むものだから。かわいそうに。」

 その一言がまた腹筋を痙攣させて、泣き笑い状態で、笑い下る三人を追った。


 すると、実に不思議なことが起きた。

 その後、ハナイカダの木が次々と現れたのだ。登りに通った道だから、念入りに見て歩いたはずの道。それがずっと見つからず、ようやく見つかったのが妻の一本。それなのにだ。その木に至る山道のずっと前から、何本もハナイカダの花があったのだ。ついには、花がなくても木肌と葉を見ただけでそれと分かるほどになっていた。

 私があまりにも次々と見つけるものだから、安久さんも人を笑っている場合ではなくなったらしい。藪の中を探し始め、登山道もそろそろ終わろうかという頃、ようやくこちらを振り向いて、ニヤリ。顔には「どうだ!」と出ていた。これを近年の流行り言葉でドヤ顔というらしい。さすがに「ついに、発見!」とは喚かなかった。


 年甲斐もなく素っ頓狂な声を発して、どうやら一番変なのは他ならぬ自分だったようだ。


 
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