歴史館の古文書WEB分館へ戻る
平田甲太郎家文書<筏伐り出し稼業一札 嘉永2(1849)年 文書№515
<解説>
文書の大意
小見・上野山・瀧原三ヶ村の用水保護林は、安易に木を伐り出してはならない決まりでした。しかし、この年は米・穀物が高値で百姓衆の生活維持が困難になったため、来年春に限って、その保護林の木を伐り、筏にして川を下し売りに出すことについて、三ヶ村役人に願い出、承認されました。
文書の前半は、保護林からの筏伐り出しは、今回一回限りのものだという念書です。
後半は、筏で稼いだ金の一部を使って、干害時の備えとして溜池を二ヶ所造ることを承知し、必要な人足も出すという証文になっています。

「右筏二分銭を以って 赤臓の内外 はんのき谷地 二ヶ所へ」の意味
二分銭という文言は、文化5(1808)年の「入会山から売り薪伐り出し念書」(文書№736)にも出てきます。⇒こちら
この文書でも、二分銭を村へ提出するとあるので、これが当時の相場だったのでしょう。
二分とは、売り上げの10分の2の割合のことか、あるいは、金2分に相当する銭のことを言う場合もあるようです。後者であれば、銭にしておよそ3000文くらいでしょうか。
溜池の場所として二ヶ所あげてあります。はんのき谷地には現在も溜池がありますが、赤臓の内外というのは、地名としては妙な気がします。
原文
釈文
読下し
      
 ページのTOPへ