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平田甲太郎家文書<田麦堀割訴訟関係> | |||||
② 文化3年(1806年)7月 新規用水路掘割出入一件 (文書№543) | |||||
《解説》 文書② 新規堀割用水路出入 村上藩宛訴状 (文化2年7月 文書№543) について <新規堀割用水路出入について> 出入とは訴訟のことです。 この文書の時代よりずっと以前、寛永年簡(1624~)に、村上城主として入封した堀丹後守直寄が、光兎山の北麓を流れる藤沢川(女川の支流)の水を門前川(三面川の支流)へ落とすため、分水嶺の尾根を掘り割りました。現代の地名をとって「田麦堀割(堀切)」と通称されています。(現地の様子は、2017年の「山歩紀行」にあります。⇒こちら )直寄の直接の目的は村上城の堀に水を引くためでしたが、当然、余水は灌漑にも使われていました。 それから約180年近く経った文化3年、その田麦掘割が拡張されたことで、この訴訟が勃発しました。 訴えたのは小見村庄屋・平田平太郎を代表に、朴坂・高田・小和田・若山・平内新・桂・新保・上野山・小見・瀧原・大島・上野新の天領(幕府領)12村。 訴訟の相手は、大栗田・中束・蛇喰・中村・宮ノ前の村上藩領5村。大栗田村は門前川の最上流部谷合にあり、他の4村は藤沢川と女川の流域にあります。 直寄の時代は、関係領域全てが村上藩領でしたが、この訴訟の頃は、関川村の大部分は天領になっていました。 それでなくても貴重な用水を上流で他地域に取られてしまうのだから、大変な事態です。訴訟の意図はよく分かります。 それにしても、新規掘割による用水増の恩恵を受けるのは門前川下流の村々なのに、なぜこの5村が相手なのか。まして、中束村以下は水を取られる側なのになぜ訴えられたのか。そこが不思議です。 それに、訴訟人の側には、女川流域ではない村も数村あって、そのうち大島村は、荒川対岸の村ながら女川の側にも耕地があったので女川用水組合に入っていたということのようですが、その他の村にも、出作地があったのか、それとも小見組としての連帯だったのか。 この掘割拡張による訴訟関係と思われる文書が、文化2~4年にかけて5.6通あり、それらの文書と、「神林村誌」「村上市史」掲載の史料を読み合わせることで、この訴訟の全容が見えています。 <この文書の内容について> この文書の本文は村上藩宛の訴状ですが、末尾に後書があって、訴状部分を含むこの文書全体は、幕府水原代官所へ宛てて、添翰(添え状)を要請したものであることが分かります。 他領藩庁への訴状には、自領支配代官所の添え状が必要でした。 当然、代官所はそれなりの事実調査を行い、訴えの妥当性を判断して添え状を出します。 「神林村誌」に、これの正式な訴状が載っていて、被告の大栗田等五村の反論も載っています。訴えが村上藩に上り、被告村は藩に命じられて返答書を提出して反論したことになります。 ということは、代官所がこの訴状の妥当性を認め、添え状を出したということです。 代官所は訴状の妥当性を判断するために、原告代表の平太郎と事前にやり取りするはずです。文中添削の跡があるところから、この文書は、代官所とのやり取りの中で加除訂正が行われたものと考えられます。 そもそも、幕府領内の川水(水田用水)を不法に取られたとなれば、本来は、代官所が先頭に立って調査し、事実であれば幕府へ報告して対処すべき事態です。 それをしないで、平太郎を前面に立てて、代官所が後ろに回っていることが、この事件の異様さを表しています。それよりも何よりも、犯人は村上藩であることが分かっているのに、あえて大栗田村を犯人にして訴えていること自体、異様です。 この異様さは、すべて、幕府と村上藩の関係から来ています。藩主は江戸で将軍間近に仕える中央官僚の奏者番。幕府領を管轄する勘定奉行の後輩同僚です。地方の一代官所など手も足も出せない存在。まして、水原代官の前沢藤十郎は、一時預かりのいわば委託管理者。村上藩も恐らく高をくくっての無断工事だったのでしょう。 「オレがやらずばダレがやる」 これが平太郎の心意気だと思います。 藩を訴えることができないのであれば、農民同士の水争いにして、幕府へ訴えよう。犯人はだれであれ、幕府領の水が不法に盗まれたとなれば、幕府も無視はできまい。平太郎は、大胆不敵な相当の策謀家です。 さて、代官所が添え状を発行するにあたり、上部機関である勘定奉行所へ伺いを出しているはずです。これにより、村上藩の無届工事と平太郎の訴訟意図等、すべて勘定奉行所は把握しているはずです。本心は、有耶無耶に終わらせたかったでしょうが、平太郎の訴えを抑え込む理由がありません。 多分、村上藩が平太郎をうまくなだめてくれることを期待して、代官所の添え状発行を許可したのでしょう。 期待に反して、村上藩は平太郎の訴えを撥ね付けます。すべては、村上藩のボタンの掛け違いから、ことは大事件になったのです。 |
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意訳は略 | |||||
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