綿野舞watanobuの記2022    watanobu634@gmail.com
筆・渡辺伸栄watanobu(新潟県関川村在住) 
更新情報
☛平田家文書「天保5年 重兵衛 酒小売株争いの件 済口證文」⇒こちら
☛関川村広報紙連載<12月号>
     「古文書でタイムスリップ・江戸時代わが村の暮らし⑲」<田麦堀割訴訟④現地熟談破談の届>⇒こちら
☛寛政4年の「道中記」 ただ今 53日目(出発地の下関から1836㎞)名古屋まで戻りました ⇒こちら
     

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13峠道の魅力

安久昭男/
阿賀北山岳会


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2022.10.19
加筆修正



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2011
 
12月1日(木) 初雪やー 長崎カッパ への河童
我が家に来てから 7回目の冬
長崎生まれの長崎育ち
雪には慣れたか
遂にキターと、震える宿主をしり目に へのカッパ
極楽とんぼを絵にかいたような まなこ
この目と、目が合ってしまい
グラバー邸門前の土産物屋から
雪国越後へ運ばれた 運のつき
すべては因縁 赤い糸

室内マシンは快調で、11月155㎞ 月間目標達成
師走の雪籠りも、この調子で
春には何とかハーフを目指す
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11月24日(木) 色即是空 受想行識 亦復如是 
物質の正体は小さな粒
粒になってしまえば、有るような無いような、それが空
すべて存在は空なのだよと、釈迦は教える
もちろん、精神活動も、同じだよと
粒にはエネルギーがある
粒が集まって物体になるように
微少の粒の微少のエネルギーが集まったのが精神さ
だから、それだって、有るような無いような
つまりそれが空なのさ
雲の如く水の如く、この世に漂ういっときの姿
それが我らの正体なのだよと

生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり
Okkaaと二人、そろそろそんな歳に近づいた
生死の意味も知らずままに、粒粒に分解して漂うわけには参るまい
 
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11月17日(木) 鷲ヶ巣遠く 以東遥かけく 
毎週木曜日は出勤日
こう見えても、まだまだ有職者
生涯現役も悪くない
ただ、山の現役は難しくなってきた
肉体の衰えではない
勿論精神の衰えでもない
この日も、帰宅したら、電気湯沸かしポットがガスコンロにかけられて半分溶けていた
急遽、IHに切り替えることにして手配した
ついでに、昨冬まで厳寒期併用していた石油ストーブも止めることにして
すご暖ランクを上げたエアコンを手配した
週一の半日ぐらいなら何とかなるが
泊の山旅はもう無理
一日空けるのも、手配のIHとエアコンが納まるまでは、ちょっと無理
そんなこんなで、山岳会の皆さんにはすっかりご無沙汰

白嶺の以東岳、眺めるだけのアームチェアマウンテニィア
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11月12日(土) 陽だまりのブドウ よだれのカッパ 
小春日を通り越して、小夏日かと思うばかりの陽射しに
顔を日よけに隠して、日向ぼっこの昼寝、耳にはヘッドフォン
穏やかな日々
竹デッキテラスのデラウェアは、今年は生り年
鈴生りのまま放置しておいたら、この時期になって、完熟
絞っては、お昼のパンに塗って、Okkaaと二人食
今年はどうしたことか、ヒヨドリも来ない、スズメバチも来ない
クマもまるまる肥えていると、TVのニュース
よほど食べ物が多いのだろうか
お陰で当方は、穏やかな日々
陽射しに誘われて、久しぶりに庭木に鋏を入れた
時はゆっくりと、流れる雲の如く
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11月6日(日) 老兵死して塚を残す 
ここは、新発田の市街裏から福島潟まで続く、まっ平らな水田地帯
地平線が見えるくらいにただっぴろい
その中にポツンと小山
まるで水面に浮かぶ小島
ここに上関城主・三潴出羽守政長が眠るという
今から436年前、天正14年のことと、そこに建つ石碑に刻まれている
政長が何故この地で没したのか
その栄光と挫折の軌跡を改めてまとめることになった
夏季特集号の田麦堀割訴訟大騒動に続いて、
今度は正月特集号で、今月いっぱいの原稿期限だという
看護学校の講義もあるし
晩秋は、ちとせわしない
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10月29日(土) 高みに立てば 29人のこの笑顔 
公民館登山・牟礼山616mの今日が本番日
前日の天気予報は、スタッフの決断を散々悩ませたが
予定通り実施して、大正解
明け方までの雨も、この山域には降らなかったのか
道のぬかるみもなく、よって、急坂急登のスリップダウンもなし
山頂の寒風も覚悟してきたものの
案に相違して、時々陽射しの温さあり
口々に、やっぱり日頃の行いのいい人たちだからね、などと自画自賛
高みに立てば、善男善女のこの笑顔
視線のこちらには、無人のカメラしかないというのに
誰に向かって微笑みかけているのやら
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10月22日(土) 頂きは ほぼ四月ぶり 
峠歩きはしていたが、山頂に立つのは、ほぼ四月(よつき)ぶり
600mの低山とはいえ、やはり頂きは格別
これが、山登りの醍醐味というもの
ここ牟礼山に来たのは2019年だから、3年前
暮も押し迫った頃で、山頂には雪があったことを覚えている
が、途中に結構な急登があったことなど、すっかり忘れてた
林内を単調に登った緩い山だったような記憶
どうやら、きつい経験は簡単に忘却し
いい気分の場面だけ記憶に残るもののよう
だから、何度でも山に登るのかもしれない
それにしては、ちょっとブランクが長過ぎた
 
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10月20日(木) 田麦堀割講演会
Unqさんに依頼されて、歴史講演会の講師を務めることになった
田麦堀割訴訟大騒動の真相
よしきたとばかりに、引き受けて
この日のために、史料を再点検したら
新しい発見があった
それで、以前からWebにUPしてあった
文化3年 田麦堀割訴訟 顛末記の後半を、かなり加筆修正した
自分としては、その作業の方が面白く、しばらく没頭した

こんな不思議な面白い大事件が我が村にあったこと
そのことを示す古文書が歴史館にちゃんと残っていること
伝えたいことは、この2点
複雑な大事件なだけに、詳細を説明したら何日もかかる
それを90分に、何とか縮めた
「面白かった」という声をいくつか聞いたので、ま、うまく伝えられたのだろう
数日後、今度は、60分に縮めて話してほしいと、依頼があった
面白かったので他の人にもと言われれば、二つ返事

会場には、書家鈴木政信氏揮毫の演題垂れ幕が、やたら引き立っていた
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10月16日(日) 秋の陽射しの峠道 YouTubeはこちら
コロナに罹って1回パスしたので、久しぶりの十三峠歩き
足野水から小国町へ抜ける朴ノ木峠越え
時間に余裕があるので、峠から少し足を延ばし標高も少々上げて
飯豊連峰展望台へ
色づき始めたブナ林の黄葉
眼前に横たわる飯豊の峰々
青い空に、ちりばめた雲
秋の山路を堪能の一日
クマにもハチにもイノシシにも遭わず、転落者も無し
引率人としては、それが一番
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10月6日(木) 走れ走れ この子ら走れ 
10月に入って、やたら寒い
が、マラソンにはうってつけの日和
この日は、近くの小学校の大会の手伝い
体よく言えば、学校ボランティア、コースの安全管理が任務
が、それはそれとして、手が空けば、応援ギャラリーの一員
「がんばれ、がんばれ」、ついついありきたりの声援
ふと、思い出した
自分がランナーの時、「がんばれ!」の激励ほど、いやなものはなかったと
そうだったと思い直して
「おー、いい走りだねー」、「かっこいい走りだねー」
そうなのだ、「ナイスラン!」なんて、沿道から声かけられたときのいい気分

たまたま教頭先生に会ったので、言ってみた
男女別々にスタートする意味もないのでは?と
マラソン大会の良さは、老若男女一斉にスタートしてごじゃまぜになって走る面白さ
他と競いたい人は競えばいいし、ゆっくり沿道の風物を楽しみたければ楽しめばいい
応援のギャラリーに手を振ったり、タッチしたり

後日、クライミング大好きの小学生が言った
ワタシ、マラソン キライダ と
そうなのだ、学校で、走る楽しみを教えてこなかったのだ
21世紀も、はや5分の1が過ぎた
そろそろ、20世紀型の旧教育から脱却してもいい頃なのだが・・・
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9月30日(金) 夏往ぬる 庭に曼殊沙華 
言ってはみたものの、まさか冬まで倒したままにはしておけない
庭の竹棒は、元の状態に立てかけ直した
9月最終日の陽射しは強い
曼殊沙華がまるで夏の花

水害の8月、コロナの9月
結局思ったようには走り込めず、10月の新潟フルも諦めた
安価になったランニングマシンを購入して、専ら室内Run
11月の魚沼ハーフには、何とか調子を合わせたい
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9月20日(火) 台風過ぎて 庭は竹棒の山
台風が通り過ぎた
今朝、目覚めて、防災アプリの台風経路を見たら
どうやら、頭の上あたりを静かに通り過ぎて行ってくれたらしい

庭の惨状は、台風のせいではない
昨日、立てかけておいた竹棒をすべて倒して地面に伏せた
台風で飛ばされて、窓ガラスにでも当たったら大変だから
炎熱の真昼間、手足は蚊に刺され放題
作業を終え、手足にムヒを塗りまくり
備えあれば憂いなし、などとひと心地

それで、今朝
今までに見たことがないと言われたほどの台風にかき回されたか、
大気は、一気に冷たくなった
さて、倒したこの竹棒を、どうしよう?
ここだけでなく、家の裏にも同じくらいある
倒すには倒したものの、立てかけ直すとしたら大仕事
いっそこのままにして、雪の下敷きにしてしまうか

コロナの自宅拘束期間は、昨日で終わった
Okkaaは、あと二日
 
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9月16日(金) with corona TUINI corona
遂に罹ってしまった
罹ってみれば風邪の程度で、8度近くの高熱は一晩、3日で熱は引いた

9度近い高熱に5日も唸ったインフルエンザからみれば、軽い
勿論手厚い看護体制のお陰
4種の薬を日に3度、プラスして特例承認の特効薬、これを朝晩4カプセル
基礎疾患持ちの高齢者向けだと、診療所の名医の処方
多分高価なのだろうが
坂町からわざわざ届けてくれた薬剤師が電話で言うには、公費負担なのだと
急変すればすぐ連絡をと、保健所からの電話
県からの宅配で、パルスオキシメーターも届いた

Okkaaにもうつしてしまったが、まったく同じ看護体制
罹ってみれば、「日本、すごい!」

分からないのは感染源
人ごみには出ていない、限られた人にしか会ってない
その人たちは皆無傷で、まったく心当たりなし

発熱の前日、10月の峠歩きの下見で、朴ノ木峠の山中を歩いた
そこで、ばったり会ったのは、天然記念物のカモシカ
木の葉の下からじっとこちらに鼻息を吹きかけていた
心当たりといえば、コイツぐらい
同行のTamuちゃんも無傷
他所様の大事なお嬢さんにうつしたなんてことにならないで
これだけは本心ホッとしている

あと2日で自宅待機期間が終わる
この間、毎日、音楽を聴きながら家籠り これもまったく悪くない
食糧は、娘から、息子の嫁さんから
大量のレトルト 冷凍スープ 調理の手間いらず
お陰で、10月から始まる後期授業の講義準備が進んだ

23日の白鷹若鮎マラソンは諦めた
参加料放棄、あ~もったいない

脳にウイルスが入ったか、大事なことを落としてた
明日は、6日に下見した高鼻峠と小国宿場歩きの本番日
なのに結局、大穴を開けてしまって、相棒に負担をかけることになった
明日は絶好天日
それでなくてもしっかり者のTamuちゃんのこと
30人も引き連れて、先頭に立って颯爽と案内してるに違いない
それに、強力なスタッフが何人もついているし
老兵はしばし戦線離脱、ただ戦友の敢闘と無事を祈るのみ
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9月6日(火) 気が付けば9月 今日はブラ宿場 
いつ始まって、いつ終わったのか
翻弄された、八月
時間の経過が、人心を宥めてくれて
先の不安は不安として、それなりに日常が戻ってきた

今日は、峠歩きと宿場巡りの下見
小国町も、八月豪雨の傷跡は深く
山中峠道はズタズタのふう
それでも、今回目的の高鼻峠は辛うじて歩けた
ここは、米沢街道三大大橋の一つといわれた小国大橋
橋の袂で、手持ちの宿場図と現地を照合していたら
通りがかりの女性が車から出てきて
その家が、その地図に出ている「越後屋」で、
昔はそう呼ばれていたと、教えてくれた
ブラタモリならぬ、ブラ宿場
こんな出会いが面白い

17日の本番日には、大勢の申し込みがあるという
豪雨の被害に遭った人も多いだろう
それはそれとして、逞しく気分転換
いまだそれどころではない人もいることは承知ながら
みなそれぞれに、明日に向かって歩き出す
元気の源になる一日が提供できれば、いい
本番日の晴天を祈るだけ
 
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8月27日(土) 野の花も高嶺の花も鉢花も
今さらながら、身体の正直さには、驚くばかり
水害発生でなにかにあって、Runは、針ノ木岳山行前日から19日間休止
お盆が明けた17日、さすがにこれはまずいかもと、20日ぶりの10キロ走
それを2日続けたら、両脚パンパン筋肉痛
針ノ木雪渓から蓮華岳へ標高差1400m登っても、ビクともしなかった脚が
初心者の頃に戻った感じ、体重が減ったのは筋肉が減ったせい
高齢者の筋肉は、使わないと急激に減少するというのは真実
これではならぬと、走り込むにつれて筋肉痛は消えたが
反比例して内部疲労は溜まる一方、6日目にダウン
2日間の休養、その翌日、さて走ろうとして身体が動かない
しばし一休みとソファに横になったら、そのまま夕寝
目が覚めると、不甲斐なさに気分は沈む一方
それで今日この日
これで走れなかったら、マラソン大会も登山も、もう諦めるか
悲壮な覚悟?で走り出したら、身が軽い
いつものコース、高低差30mの急坂
颯爽ならぬトボトボ走で駆け上がれば、そこに月見草
さて、表題の句に、下の句をどう付ける?
「みんな違ってみんないい」?
陳腐な発想には、Unqさんの冷笑の雨が降り注ごうというもの
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8月14日(日) 利行とは かくあれかしと ボランティア 
土木機械持参でボランティアが入ってくれています。一台は熊本、一台は小千谷からだそうです。お陰で屋敷内の土砂流木がどんどん片付いています。専門ボランティアの全国ネットワークがあるらしく、どこにでも駆けつけるのだとか。スゴイ仕組みです。今さらながら驚いています。今後は、建物の軒下土台周りに積もった土砂を人力で片付けるのだとか。それもボランティアさんたち。一輪車やスコップシャベルが多数持ち込まれていました。とにかく、頭の下がる思いです。仏典に利行とあるのはこれのことかと、しみじみと思っています。なかなかできることではありません。京都の娘と東京の姪が、来てくれました。到着したばかりのこの日、早速、浴槽に貯まったままの異臭泥水を掻き出してひと汗。この姪っ子、我が家に泊まるのは小学生以来か。30年? 災害は絆をもたらしてくれる、それも不幸中の収穫。
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8月11日(木) 頼りになるぜ 若い衆
いやはや大変なことになっています。今回の8・4水害。我が家は無傷でしたが、村上市にあるOkkaaの実家が、鉄砲水土石流の直撃を受けてこの惨状。すぐに息子夫婦が東京から駆けつけて、甥や、甥の子どもたちもやって来て、果ては、山北桑川から遠縁のご夫妻まで。若い衆の力で、泥の掻き出しに、被災ゴミの排出に、大わらわ。被災から1週間、どうにか一段落。押し寄せた周囲の土砂は、市が重機を入れて排出が始まった。あとは時間の経過を待つしかない。腰もパンパンになった所で、ひとまず撤収。息子たちも帰京して、また老人二人の静かな暮らしに戻った。それにしても、感心したのは甥の子どもたち。姉と妹の孫。ついこの間までお年玉を貰いに来ていた子どもたち。それが、あっという間に大きくなって、今は、大学生に、高校生に、中学生。なんとも頼りがいのある連中になっていた。それが不幸中の最大の収穫。
峠歩きの相棒Tamuちゃんの家も床上浸水大被災。なのに結局、何の応援も出来ずじまい。この日、歴史館に立ち寄って、被災後初めて顔を合わせた。健気に元気に振舞ってはいたが、当然のこと、少しやつれたふう。お盆休みの間も、後始末、片付け作業が続くのだろう。どうか、ゆっくりゆっくり。山歩きは、いつも、一歩一歩、急がない急がない。
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8月1日(月) 眼下に黒部 居並ぶ名峰
二日目の朝、針ノ木岳へ。2821mの山頂は、360度の大パノラマ。真下には黒部湖。そこからそそり立つ剱岳、別山、立山。テント荷を背負って歩いた峰。目を左に回せば、大きな薬師岳。立山と薬師岳の間に五色ヶ原。そこの右が佐々成政サラサラ越えのもう一つの現場、ザラ峠。いつかそこにも立ってみたいとジイっと見入る。薬師の左は、懐かし奥黒部周回の山、水晶に鷲羽。目の前の高瀬ダム湖から右の急斜面を上がれば、野口五郎へ続く裏銀座の道。懐かしい水晶小屋へ続くその道も、きっといつか歩くことになるだろう。高瀬ダム湖の先に槍、奥穂、前穂。大キレットでつないだ懐かしい峰々。その左に大天井、燕の表銀座。ここは今年の計画に上がっている。さらに左へ視線を移せば、雲海の松本盆地の先に富士山、両脇に南アルプスと八ヶ岳。煙吐く浅間。飯縄、戸隠、黒姫、妙高連峰。白馬、栂海新道の山々、唐松、五龍、鹿島槍、そして、懐かしい爺ヶ岳と種池の小屋。よく歩いたなー、靴底も後頭部も相当すり減ってるゼ‼ 
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7月31日(日) 針ノ木の雪渓登り 天国へ
爺ヶ岳の頂に立った時、三大雪渓の一つだという針ノ木岳の雪渓を見た。あそこを登って針の先端に立ってみたいと思ってから5年。今、その雪渓に挑んでいる。固い雪面にアイゼンの爪を喰い込ませ、一歩一歩。急斜面の頭の上に、針ノ木峠の標識が見えた。この峠は、佐々成政サラサラ越えの現場。大河ドラマでいっとき有名になったが、歴史マニアでもこの現地に立つ人は少なかろう。峠の小屋で一休み。荷を置いて、先ずは蓮華岳へ。爺ヶ岳から見たとき、山頂部の長い大きな山だった。案に違わず長い長い山頂稜線。そこは花の園。小石を敷き詰めたガレ場の広い山頂部は一面のコマクサ。盛りは過ぎたというものの、どうしてどうして、姥桜も捨てたものではない。色は真紅になって、若い薄紅の花たちと競演共舞。誰もいなくなった天空で賑やかに賑やかに咲き舞い踊る花々。ここが天国でなくて何だろう。 
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7月24日(日) 賑やかに 花の蔵王のエメラルド YouTubeはこちら
公民館登山、一日延期したお陰で絶好天。天上の霧は、天然クーラー。熱中症注意報ななんてどこの国の話かというくらい。刈田岳に上がると、目の下にエメラルドグリーンのお釜。こいつはハナから縁起がいいわい。神秘の色に目を奪われながら火口の縁を進み、主峰熊野岳山頂へ。そこから地蔵岳へ進み、RW山頂駅前の広場で長休憩。帰路は巻き道を通って馬の背を歩き、再びエメラルドの湖に感動しながらレストハウスで終点。行き返りの道々、夏の蔵王のお花畑。女王のコマクサもまだまだお若くて、オノエランやらハクサンチドリやら、トウウチソウにイワオトギリ・・・あげたてならないほどの多種類。老若善男善女、大満足の一日でした。これだけ満足してもらえれば、ボランティアのスタッフ一同も大満足というものです。山好きの人達みな、いい笑顔だったなー。 
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7月18日(月) ニュウという ミョウな名前が気になって 

ニュウ山頂稜線間近 苔生す岩に根を張るコメツガ
ニュウ山頂に立つ 背後に富士山
3日目は、白駒池からニュウへ。以前、天狗岳に登ったときから、妙な名前が気になっていた山。山中の標示も「にゅう」と「にう」が入り混じってる。 ネットでは、乳だとか丹生だとか藁におだとか、様々な説が紹介されていた。白駒池から山頂直下までは、仰天するほどの苔の森。八ヶ岳は全体が苔の森だが、ここのはまた格別。もののけの森と名付けられていたのもうなずける。それに、苔生した岩の上に根を張ったコメツガ、シラビソ。なんとも異様というか威容というか。ニュウ山頂は岩の山。遠く富士山も見えた。山頂から中山峠に続く稜線がまた凄まじい。西側は苔生す森。東側はスパッと切れ落ちた断崖絶壁。これまたネットで調べると、平安時代に天狗岳が大崩壊を起こし、ニュウと稲子岳の間の山体もそれに引きずられて大崩落したのだという。以前、東麓のR141を通ったとき、やたらに海のつく地名があったが、あれは、この大崩壊で千曲川が堰き止められて大きな湖ができたときの名前なのだとか。硫黄岳、天狗岳からニュウに続く稜線の東側大絶壁を見れば、それも納得。中山の分岐に荷を置いて、独り、中山峠まで往復1㎞ほどトレランの真似。途中、若い子たちを追い抜こうとして細根にけつまづいてバタリ、膝カブに擦り傷。御愛嬌のドジはおまけ。とまれ、八ヶ岳は今回で3度目。これで、赤岳から北横岳までの八ヶ岳連峰を一通り舐め尽くした。味わい深い山ではある。3日間の歩行距離29.6㎞、累積標高は、1781.4m。
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7月17日(日) 北横の次は三ツ岳 岩の壁 

北横岳北峰山頂

三ツ岳Ⅲ峰の岩壁へ
2日目は、八ヶ岳連峰北横岳へRW登山。地図上の名は横岳。八ヶ岳主峰赤岳の隣にも横岳があって紛らわしいので、通称北横岳。2500mの高山にもかかわらずRWのお陰で、ハイキング登山者多数。マスクが外せない。ただし、三ツ岳へ向かうコースに入れば、さすがに人気が絶える。それもそのはず、三ツ岳は思いの外の岩の山。ハイキング登山者はお断りの看板もあった。岩壁を攀じる快感をここでも味わえた。雨池山と縞枯山は樹林の中。2000mを越えるというのに森林限界を越えてない。それほどの湿潤。山頂稜線ですら泥道。蘚苔類が喜ぶはずだ。八ヶ岳は苔の山。
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7月16日(土) 霧ヶ峰グルっと回って車山

霧ヶ峰のニッコウキスゲ群生地

ヤナギラン咲く八島ヶ原湿原の木道
車山肩の駐車場に着いたとたん一面びっしりにニッコウキスゲ、真黄色の丘。その量に圧倒されて暫し観覧彷徨。そこから八島ヶ原湿原へ。そこは植物群落の天然記念物とかで、次々と現れる花々に感嘆しつつ歩く。観光の人々とすれ違う度に顎マスクを鼻まで持ち上げながら。物見石から蝶々深山へ続く広い草原を行き交う人々。徐々にガスの厚みが増してきて、車山へ登る頃に雨になった。天くらの有料予報を信じて、ポンチョと雨傘で凌いでいたら、本格的な降り。結局、ズボンも靴もびしょ濡れで車山を下る。Unqさんの高級車は濡れたまま乗り込める優れモノ。その上、投宿の白樺湖畔格安ホテルがまた、実に親切で行届いた宿。濡れた靴も雨具も衣類も、翌朝までにはすっかり乾いた。その上、朝晩の風呂。ここを2晩の宿泊基地にして2泊3日の連泊遠征。
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7月9日(土) 花迷い雲迷いして姥の神   YouTubeはこちら
夏の蔵王は8年ぶりか。前回以上に花の山になっていた。雫を滴らせながら咲くコマクサ。荒地にこの花は、似合う。女王という雰囲気ではない。健気さそのもの。今日は、23日予定の公民館登山の下見。刈田岳のレストハウスで昼食をとってから、小雨模様の中をゆっくりスタート。道々、高嶺の花盛り。百花繚乱。お陰で下界の熱は凌げるし、雫に濡れた花々はいいし。これは役得というもの。2週間後の本番までコマクサは残っていないかもしれないが、まだまだ、次々と花は咲いてくれそう。写真は、見通しの悪いガスの中、姥神様に合掌の一行(コマクサは別の場所からの合成です。)千紫万紅の花々は、追ってYouTubeで。
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7月2日(土) 50年ぶり エスペラント語 
歴史館の行事で大河津分水へ。資料館の展示を見ていてふと思い出した。初めてここへ来た50年前、エスペラント語で書かれた碑文を見た。世界共通言語を作って普及させようとした人たちがいたことに驚いたこと。25年前、2度目にここへ来た時、そのことは全く失念していた。3度目のこの日も、館員の説明の話題にすら全く上がらなかった。この50年、結局、エスペラント語は広がらなかった。理念は共通言語による世界平和。結局それも実現しなかった。50年前に見たこの石碑は、もっと低い目線で草叢の中で見た様に記憶している。今はえらく持ち上げられて、銘版のエスペラント語をなぞることも出来なくなっていた。50年・・・100年の半分、長かったような短かったような。ともあれ、バス2台の賑やかな一行に紛れ込ませてもらって、Okkaaは随分元気を出した。前日まで渋っていたことなど、すっかり忘れたように。 
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6月25日(土)26日(日) 岩壁の鎖攀れば 乾徳山 YouTubeはこちら
1泊遠征山行日。なのに各地の山は軒並み強風予想。どういうわけか、この山だけ弱風好天予報。というわけで、消極的選択でこの山へ。何やら中国の皇帝のお名前のような山。さぞかし謂れ気高き物語の山かと思えば、何のことはない。恵林寺の乾(いぬい=西北)に当るからとか。恵林寺と言えば、心頭滅却すれば火もまた涼しの怪川和尚で知られた寺ではあるが、それはそれだけの話。ま、それはそれとして。対面にドンと居座る富士山の頂から霊気が発せられて、この山の頂へ飛んできているのだそうで、今、我ら6名、その霊気パワーをたっぷりと浴びている最中。ただし、霊気を浴びるためには、山頂直下の岩壁の鎖を攀じ登らなければならない。スリル満点のその修行を終えて、ホッとして気を緩ませたひととき。そんな表情だから、霊気を受取っている自覚はさらさらない。もっとも、岩壁登りの前には、髭剃り岩という、身体がやっと入るほどの狭い岩の割れ目を通る修行がある。その割れ目を抜け出た先の、断崖絶壁の上から眺めた富士山。そこでの霊気の当たり具合は、山頂よりもずっと強かったような気がしている。
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6月19日(日) 雲の中 星を探して 頼母木山  YouTubeはこちら
前回ここに来たのは2年前の8月。テント泊荷を背負ってエッチラオッチラ登っていたら、日帰り軽装登山人に何度も追い越された。ならば我らも日帰りにしてみっかと、今回は思いっきり軽量ザック。下界は夏だったので暑さ対策だけ考えてきたら、山頂は雲の中。雨も来たりして、手が少々痺れるほどの気温低下。やっぱり山は何が起きるか分からない。前回は終わっていた飯豊竜胆に今日は会えるかもしれないと、有るべき筈の山頂草叢を探したが、ない。山頂を越えて地神山方面へ数百メートル進んだが、ない。ただ、怪我の功名。そこの草原は、飯豊竜胆こそなかったものの、白山一毛に深山薄雪草に深山金梅に、今が盛りの花の園。堪能して山頂に戻ってみれば、あったーとUnqさんの声。何と、さっき記念写真を撮った山頂標識のすぐ近くに一輪、飯豊竜胆。別名、飯豊の星。これこれ、この花。前回会ったのはいつだったか、覚えてないが、初めて会ったのはよく覚えている。もう11年も前。初めての飯豊連峰プチ縦走。飯豊へ行くなら必ず飯豊竜胆を見つけて写真に撮ってくるようにと、これが山の先輩Morandoさんからのミッションだった。あれ以来、何回見たことか。それでも今回は久しぶり。飯豊にしかない花となれば、格別だ。気温低下で閉じているかと思ったが、思いの外に、半分開いていてくれた。よう、ひさしぶりぃ。もっとも、実際にはこんなに大きくない。道々、白根葵に、山荷葉(サンカヨウ)、褄取草(ツマトリソウ)に赤物、みな群落の花々。姫小百合と日光黄菅はまだ可憐な蕾。久しぶりにたっぷりの花々に出会えた雲中山行。こんな近くのこんないい山、大事にしたいですねえ。と言いながら、帰りの車中では、遠くの山への計画話。来週の予定。
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6月11日(土) 6月の宇津峠は毛虫の峠 YouTubeはこちら
歴史館主催「十三峠と宿場を歩く会」。早いもので今年度の第3弾め。どういうわけか、いや、きっとTamuちゃんの人柄人気のせいなのだが、回を追うごとに参加者が増えて、いつも満席打ち止め。そのTamuちゃん、この前日に大講演会をこなして、その上慰労会まで設けてもらったとかで、今日はお疲れの態、いつもの調子をちょっと落としていたような。それなのにもかかわらず、身体に似つかわない重い超高級一眼レフなど持ってきた。さすがの高級機、その写りのいいこと。セルフタイマーのオートシャッターでもないのに、全員ちゃあんと写ってた??
さて、ここは宇津峠。ここに来ればいつも言うことは決まってる。十三峠最大の難所はここでなくて大里峠だ、道普請供養塔には上関城主の末裔の氏名が刻まれている、工事費を出したのは街道で稼いだ商人だ、バードさんもたまには歩けディヤと伊藤青年は言ったとか。しゃべる本人が飽きてきた。何か別の話を考えなくちゃ。と、Tamuちゃん曰く、皆さん忘れてくれるから大丈夫ですわ、だって。
とまれ、この日は、どうしたわけか、毛虫の異常発生日。上から降って来るわ、下にはウジャウジャいるわで、悲鳴の連続。肌が鈍感なはずの小生の両腕も顔も、この二日後に、異常発生。秘薬をすりこんでどうにか治まった。何ともなかった人もいるそうだから、いやはや、世の中には強い人もいるもんだ。
 
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6月4日(土)5日(日) 懐かしい吊り尾根バックに上高地 
阿賀北山岳会には、メンバーの特性に応じた小グループがある。只管組といえば、ランナーズ。ノボラーズといえば、低山散歩組。只管組につき合う他メンバーはいない。が、どういうわけか、ノボラーズに付き合うメンバーは多い。というわけで、今回はノボラーズ企画で上高地漫遊。実は、付き合いメンバーは、ノボラーズを上高地に置いて、焼岳に登る魂胆だった。ところが、悪事千里を走って焼岳に聞こえてしまった。火山振動多発。焼岳は立ち入り禁止措置。よって、2日間ともノボラーズに完全お付き合い。ところが、それ又よくしたもので、人間万事塞翁が馬。上高地は何度か来たが、いつも、高山への通過点。こんなにゆっくり味わったことがない。大正池から明神池の間、2日間たっぷりとブラノボラ。高名な画伯と親しくなったり、岩魚の丸焼きにかじりついたり。山賊焼きが名物だなんて初耳だったり。4年前に大キレットを渡って吊り尾根から下山したとき、これでもう上高地に来ることはないだろうなんて、生意気な口をきいたのが恥ずかしい。山に登れなくなったら、ここに来て、終日ベンチに腰掛けて、登った山々を眺めてアイスを食べるのも悪くない。おっと、その前に焼岳焼岳。ここだけ残ってる。あ、そうそう、人間はジンカンだなんて、物知りふうに野暮なことは言わないこと。カミガミしいと言えばコウゴウだとか、ナナユウと言えばタナバタだとか、ウンジャクと言えばヒバリだとか、それを言って大成した人は、まずいない。
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5月30日(月) 花は光兎の姫小百合 YouTubeはこちら
 前日、Unqさんから、光兎山の姫小百合開花と情報が流れた。前から、今日行こうかと思っていたところだった。先を越されてしまった。姫小百合も見たかったが、田植えの終わった女川段丘の水田を光兎山頂から撮りたかったし、田麦堀割の位置も山頂から確認しておきたかったのだ。
 久しぶりの単独行、黙として進むのも悪くはない。森閑としたブナ林に郭公の声、筒鳥の響き。樹林帯を抜けて稜線に出れば、夏の陽射し。女川本流の谷から吹き上がる冷気が焼ける肌を鎮めてくれる。
 お目当ての姫小百合は、雷峰の手前にひょっこり一株。真っ赤な山躑躅と競り合っていた。ヨ平戻ノ頭の前後から群が出はじめ、山頂近くの岩場までの間に次々と群舞。
 道々、高木に白いモヤモヤとした花。ナンジャモンジャの木(ヒトツバダコ)かと思って自慢そうにメールでUnqさんに伝えたものの、帰宅して調べたら、どうやらマルバアオダモ。そういえば、ずっと以前、光兎山に登り始めた頃、バットの木だと話題になったことがあったようにおぼろげながら思い出した。
 先客は2組で、それも早々に下山して、山頂は独り占め。ゆっくり昼寝でもしてから下りようかと思っていたら、追っかけ、賑やかな一団が上がってきた。賑やかなのは我慢するとして、リーダーっぽい一人が百名山踏破の自慢話を声高に始めたのには、我慢も限界。コーヒーを啜って早々に山頂を後にした。よく山で出くわす輩。他所の山の自慢話なら下界の飲み屋でやれ!というものだ。
 下山したその夕から強風が吹き出した。稜線吹きさらしのあの花たちが右に左に揺さぶられていると思うと、いたたまれない。が、ナニ、アイツラ、見かけに寄らず案外しぶとくしたたかなのさ。
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5月24日(火) 手ノ子宿 宇津峠 出逢い
 歴史館の「峠と宿場を歩く会」第3弾が来月あって、今日はその下見。 
 手ノ子宿はかつて小松に次ぐ大きな宿場だったという。今は国道113号がムラ中を突っ切っていて、よく通りはするが、気に留めたこともないムラ。
 昭和の初めごろ大火があって、旧宿場の面影を残す建物は焼失したという。それでも今回、ムラブラをしてみて驚いた。大火後に建てたという古い建物が残っていたし、宿場時代の屋号の商店もあった。郵便局だったという古い建物の持ち主に偶然出会って、居宅に招じ入れていただいた。大火後に、持ち山から切り出した材木で建てたという旧家。内部は全面漆塗り。旧宿場に興味を示す我らの来訪が余程嬉しかったらしい。かつては造り酒屋だったのだと、屋号の入った蛇の目傘を見せてくれた。
 その後、旧街道を通って宇津峠へ向かった。途中、落合のムラで、これまたびっくりするほどの大邸宅。今は無人のふう。当日もこの道はバスで辿りたい。
 ようやく宇津峠の登り口へ。地蔵堂の前でせっせと掃除している老夫婦。話を聞けば、御堂の下で餅屋を開いていた家の人。先々代のお婆さんまで、餅屋をやっていたのだという。地蔵祭りの日、この餅屋のあんこをお地蔵様に舐めさせて、口の周りについたあんこを子どもたちが舐めたものだと、「小国の交通」に書いてあった。その餅屋さんかと尋ねたら、お二人、とてもいい笑顔でカメラに収まって下さった。
 午後下山したらまだ掃除中。餅屋をやめてから2代の時が過ぎている。それでもこうやって毎年地蔵堂を磨き、周りをきれいに掃除。その律義さに、ただただ頭の下がる思い。庶民の、名もなき人々の、律儀な日々の積み重ねこそが歴史。そんな思いを深くした。峠歩き、宿場歩き、思いがけない人との出逢い。ますます佳境に入っています。
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5月15日(日) 緑の中の黒沢峠  YouTubeはこちら
せきかわ歴史とみちの館主催・米沢街道十三峠と宿場歩きの会。今回は第2弾で「黒沢峠と黒沢宿、貝ノ淵峠」。昨日は雨で1日延ばし、今日は晴天。お昼の風は少々冷たかったが、爽やかな爽やかな五月の緑の風。萌黄色のブナ林の中を進む。足下は、見事な石畳の階段道。所々で往時を偲びながらゆっくりゆっくり、今、峠の頂きに着いたところ。
峠道にはいろいろな昔話が転がっている。坊主がまくれたの、茶屋の爺さんが殺されたの、かたき討ちが切腹したなんてのも外の峠にはあった。そうそう、大蛇の化身の美女出現も。真偽のほども定かでないそんな話も峠歩きの楽しみの一つ。多分、往時もきつい坂道登り、そんな話で気を紛らわしていたのかもしれない。
黒沢宿でバードが腰かけたかもしれないような石を見つけて座ったら、何やらタイムスリップしたような気になった。のんびりナラティブを楽しむのも、歴史の楽しみ。
ゴープロで動画ばかり撮って、一眼レフは止めた。で、静止画の質ががったり落ちた。毎回Tamuちゃんが参加者に記念写真を配っている。この集合写真では多分使い物にならないだろう。さて、困った。どうしよう。YouTubeの動画配信で勘弁してもらえるか。
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5月8日(日) 3年ぶりのハーフM 何とか完走
コロナで各地マラソン大会は中止。今日、白根マラソンで3年ぶりのハーフを走る。この間、大会がなくて練習のモチベーションは下がる一方、その上、脊柱管狭窄症にはなるは、帯状疱疹にはかかるはで、練習量はがた落ち。21㎞を走り切れるか、自信は全くない。それで、目標は1キロ7分のイーブンペースで、とにかく、止まらず歩かず走り切ること。
さて本番、15キロまでは目標通り、16キロから足に来た、最後の3キロは足が上がらず、それでも、何とか目標通りで、タイムは2時間29分。これまでのワースト記録は2018年東根の2時間28分、それを塗り替えてしまった。が、なに、ここがどん底と思えば、這い上がる楽しみがあるというものだ。
それにしても、3年ぶりの大会。スタート前のこの雰囲気が何とも言えず、いい。それに、広く平坦な白根平野の水田地帯を淡々と走る爽快感。走り終わってフィニッシュゲートを通り抜けた後の達成感。やっぱり、マラソン大会は、いいなー。
そうそう、言い落した。同行のUnqさん、Youmyさん、ともにボクよりはるかにいい成績だった。おみごと!お二人には、ゴールして芝生のグラウンドに座り込んだら、両方の足が次々と攣りまくって、のたうち回り、すっかり迷惑をかけてしまった。記録は後日「走の記」へ
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5月5日(木) 残雪の二王子で尻セード   YouTubeはこちら
二王子岳は、残雪春山の大人の遊び場。尻セードのメッカ。油こぼしの急崖、その下方にもニセ油こぼしらしき急坂が2ヶ所、その下方の林内に入っても適所が数か所。滑り台のような尻セードの跡だらけ。ここでやらない手はないということで、Youmyさんが代表して尻セード。密かに前もって、そのため用の濡れないズボンをはいてきたらしい。そんな心がけのないUnqさんと小生は、ただボー然として見守るだけ。
それにしてもこの日の山頂は、暖かく穏やかで、シートを敷いてたっぷり昼寝。こんなのんびりとした登山は久しぶりのような気がする。
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5月2日(月) 黒沢峠の下見行 
峠と宿場歩きの第2弾は、今月14日。今日はそのための下見。第1弾の諏訪峠から越後へ戻るとなると、本来は宇津峠が第2弾になるはず。が、諏訪峠の帰りにバスの車中から宇津峠の山を見れば、急斜面に残雪が張り付き、まだまだ人を受け入れる状態ではない。で、一つ飛ばして、第2弾は黒沢峠。峠道にはまだ雪が残り、茶屋跡の水路には吾妻白金草が咲いていた。去年の峠の集合写真も載せて、本番当日用のしおりも出来た。黒沢宿でバードが途方に暮れて座り込んだ石を探した。確証はないが多分これだったらいいな、という程度の石はあった。最近見つけた図書には、いつの時代のことか遥か昔、峠の付近で茶屋の翁が殺されて、その慰霊碑があるのだとか。下見では見つけれなかったので、本番当日みんなで探すことにした。とにかく峠にはナラティブがつきものだ。 
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4月30日(土) 山笑い雲笑い人笑う   YouTubeはこちら
山々は春を悦び萌黄色に笑い、白雲は青空を隠してほくそ笑み、登山びとは特段の理由もなくしゃべりながら笑う。公民館登山の本番日。前一ノ峰の頂に勢揃いした山好きびとたち。ここまで来れたという達成感、まだまだやれるという自己確認、ただ高みに立ちたいという優越感、高山の澄んだ空気を吸いたいだけという清涼感、下界の憂さをすべて忘れたいという解放感、山に来る理由は人それぞれ。とにかく、山にあるのは非日常。そして単純に気持ちがいい。だから山に理屈は無用。似合うのは笑い。
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4月25日(日) 残雪の五頭 萌黄色
 30日に予定の五頭登山の下見。標高900mの五頭、登り始めの麓から高度を上げるにつれて春の時間が巻き戻されていく。麓は青葉若葉、緑に染まる。やがて登山道に薄桃色の花びら、咲き誇る岩団扇。800mの三ノ峰近くからは残雪。萌え始めたばかりの橅、楢の葉、赤子の肌の柔らかさ。枝豆の「湯上がり娘」とはこのことか。残雪の白、根開けの穴、黒々とした杉林、萌黄色の雑木林、青空を透かす木立。ザクザクと音を立てて雪上を歩く気持ちよさ。
 季節は今まさに復活の時。生きとし生きるものすべて生気を漲らす。だがしかし、老いたる我に復活はなく、時計の巻き戻しもない。只管坂を下る。YouTubeは追って後日
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4月24日(土) のんびりと 早春の山形路 YouTubeはこちら
 ここは、諏訪峠。3年前から始めた十三峠歩きの最終峠であり、尚且つ、本年度から始まった「十三峠と宿場を歩いて越後に向かう会」の第1弾。つまり、終わりの始まりの回。
 まずは、芽吹きの始まったばかりの峠山中の小径をのんびりゆったりと歩く。藪中には山桜に辛夷の花、足下には春蘭に岩梨の花。今回で十三峠完歩の会員3名、峠の展望台で表彰式。バスで山を下って置賜公園で昼食。ちょうど今が公園の染井吉野大満開。のんびり寝転んで見上げる桜花。午後は旧宿場町小松の街道散策。小松の皇大神宮は平田大六氏の御親戚とのことで寄り道参拝。御神職が祝詞をあげてくださるとおっしゃるも時間を理由に固辞。終点の羽前小松駅、猫駅長は本日休業日。そこからまたバスで飯豊町の渡辺六郎兵衛家の長屋門見学。関川村の重文渡邉邸と御縁の御家。
 動画を撮って編集したら中心人物は学芸員のTamuちゃん。それもそのはず、道中すべて彼女の説明、歴史勉強会。
 飛び入り参加した同級生のMariちゃん、山野草の花に詳しくこれまたびっくり。それもそのはず、ウエルネスの登山でガイド役だったとか。帰宅して後、木の葉っぱの画像が送られてきて「これ茶花、名前が分かるか?」と。蕾らしきものが4つ乗っかっている。「う~ん、花筏かも?」と答を送ったら、「正解!さすが!」だと。どうやらテストだったらしい。
 YouTubeは ⇒こちら
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4月19日(火) 駆け上がれば そこにKsukeさん 
 この時期の我が村は桃源郷。我が家の桃の花も今が見頃。桃も桜も梨も杏も何でもかでも一斉に花開くこの時季。花の下Runをしない手はない。ということで、昨日はR113バイパスの桜並木の下を走って土沢まで。そして今日は、桜の土手から丸山大橋へ。国道の1㎞もある長い坂道を駆け上がって御野立公園へ向かったら、荒川峡芍薬園の大きな看板。そこでKsukeさんが独りせっせと鍬をふるっていた。3反歩もある放棄地に畝を立て芍薬の株を植えたのだと、しばし立ち話。よくもまあこれだけの畑をと、ただただ敬服。芍薬の開花は5月だろうか。何千株の芍薬、さぞかし見事だろう。奇特の花園を見せてもらうために、度々ここへ駆け登ろう。
 本来は、16日の燕マラソンに出て、大河津分水路の桜堤防を走る予定だった。3年ぶりのハーフ。だからそのつもりで走り込んできた。が、前日までの天気予報が最悪。小雨に気温低下に5~6mの北風。年寄の出る幕ではないとすっかり意気消沈して棄権。代わって昨日今日の独りマラソン。10㎞ずつ2日で20㎞、これでほぼハーフ。Runは気持ちよく走るに限る。Ksukeさんのように、たとえ独りでも。
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4月17日(日) 花も微笑む善男善女 YouTubeはこちら
 関川村公民館主催の軽登山ハイキング。ここは、今、桜花盛りの大峰山。まずは登山口の公園に勢揃いして記念撮影。 このあと、ゆっくりゆっくり歩いて山頂へ。途中の尾根道には雪椿、一人静、天狗菫に大葉黄菫、錨草、片栗、大亀の木、姫青木の花々。木々は芽吹き初めの柔らかい柔らかい緑、山はパステルカラー。今来なくていつ来るかというくらいの時季。空は快晴、老若揃った善男善女に花も空も微笑んでくれた一日でした。YouTubeは ⇒こちら
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4月7日(木) 誰が為に春の野に出て若菜摘む
 昨日は峠歩きの下見。本番ルートは、諏訪峠から小松宿へ下り原田城址の置賜公園で昼食、その後は小松宿散策の予定。計画通りに行動して公園で昼食。春の陽射しがともすると肌を焼くほどに温く、枯芝の中には蕗の薹。同行のTamuちゃん、やおら、春の野に出て若菜摘むの態。どうやら、御父上の酒の肴にするつもりのよう。で、半分どうぞと分けてくれた。夕食後Okkaaが洗って花をあらかたむしったそれを、翌朝、小生が調理。Tamuちゃんレシピに従って、まずは茹でる。いい香りが台所に広がって、一気の春。隣のレンジではちょうど朝粥の仕込み中。水気を絞って刻んだ蕗の薹を二つまみほど、粥の中へ。真っ白な粥に緑が映えて、実にいい感じ。残りは、砂糖と味噌で油いため。白菜の味噌汁と三点セットで毎朝の仏壇へ。我ながら中々の出来栄え、何よりの仏供養。
 ところで、昨日のTamuちゃん曰く、蕗の薹には雄雌の区別があるのだと。これまで毎春、蕗の薹を摘んできたが、雌雄を意識したことなどついぞない。いや、人から聞いたことさえない。え、まさか!と疑えば、ほらねと、図鑑webで雄花と雌花の画像を突き付けられて、万事休す。いつも一本取られっぱなし。
 さて、この翌日、歴史館でUnqさんにその話をしたら、えっと絶句の態で仰天。すかさずTamuちゃん、渡邉邸の草叢から蕗の薹を引っこ抜いてきて、今度は画像ならぬ実物を突き付けた。Unqさん、菊咲一華(キクザキイチゲ)も知らないTamuちゃんから一本取られるとはと、むむーと絞り出した声は、実に悔しそうではありましたね。
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4月3日(日) 藪漕げば 頭巾呵い光兎哂う
 山中は思いの外の少雪で、登山道なき頭巾山ルートは想定外の密薮。足に絡まりザックを引っ張る柴木の林。両手で搔き分け搔き払い急斜面を進むうち、体力消耗。終に足が一歩も上がらなくなって、標高600m地点で老兵は緊急リタイア。それでも頭巾山頂を目指して前進したアタック隊Unq、Kazu両名も700m地点まで進んでタイムアウト、引き返してきた。目指す頭巾山頂は、藤沢川の谷を挟んだ対面に平らな頂を光らせて、わらって見えた。
 わらうの漢字は4種類ほどあるという。真向いの頭巾山頂は、呵い。呵々大笑、ワッハッハッ、君たちここまで簡単には来られまい、どうだ、まいったか。調べると、呵には叱る咎めるの意味もあるのだとか。山を甘く見るんじゃないと。
 目の前に聳える光兎山は、いつもと違う後ろ姿で哂ってた。哂うは、微笑む。うふふ、ま、頑張ったわね。そんな感じ。含み笑いの意味もあるという。ちょっとバカにした感じか。
 ルート上の雪面にそれほど古くないトレースを見つけ、跡を辿ると、我らと別尾根を下ったらしい。しめた、ショートカットルートかと、跡を辿って沢まで急降下。が、そこから先は断崖の沢筋で危険極まりない。ルートを見つけれず、結局、標高差200mの急こう配を引き返し。とんだアルバイト。それでも日暮れ前に藤沢川を渡り切って、車に到着した時にピッタリ日暮れ。
 帰宅して、上関の湯の仕舞い湯に浸かったら、傷だらけの手足の滲みること。信玄の隠し湯もかくあるらんかと。暫し、戦い終えた戦国の古兵の気分でしたね。
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4月2日(土) 春は駆け足 追い越しのランナー
 お婆様の御見舞いだろうかTamuちゃんが、今、湯沢にいると山野草の画像を送ってくれた。菫に黄連に越の小貝母。しまった!我が庭の黄連は? 慌てて見に行ったらもう終わりかけ。昨日、庭の梅が1輪だけ咲いて、まだ寒いなーと思ってた。福寿草も既に満開。春は駆け足でやって来る。うっかりしてると追いつけないまま先へ先へ。鈍足ランナーは取り残される。
 昨日から村営ジム「コラッシェ」が営業運転開始した。大賑わいの一昨日までと、うって変わって貸し切り状態。使い放題。せめて季節に置いてきぼりを食わないように、せっせと走り込み。
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3月29日(火) いまだ草萌えず桜膨らまず風心地よく
 憤懣やるかたないとは、このことを言うのだろうと思った。数日前の上関の湯。私が入るのを待っていたかのように、どこぞのお父さん、機関銃のようにしゃべり出した。ウクライナのこと、プーチンのこと。その勢いに押されて私はただ、いやまったくだ、ホントにそうだと只管あいの手を繰り返す。毎日のテレビ、惨状、憤懣やるかたないのは皆同じ。といって何ができるわけでもない。只管祈るか願うか。昨夜はamazonのPrimeVideoでゴルゴ13。50年も前によく見た劇画のアニメ。ちっとも色あせていない。朝風呂のお父さんも、きっと、ゴルゴ13を思ったにのに違いない。この人さえいればと。朝のテレビから流れる無茶苦茶な暴力戦。こんなことがあっていいのかと思いながら、平々凡々たる日々が続く。平凡な日常がどんなにありがたいことか、などと言えば惨状下の人たちに申訳がない。
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3月27日(日) 雪消を待ってヤマガラ飛来
 ついこの間まで、竹デッキの屋根の庇に届くほど雪があった。雪が融けたから春になったのか、春になったから雪が融けたのか。さあ、どっちだ?
 今年は庭木の雪囲いは一切しなかった。あの厚い雪の下で庭木はぺっしゃんこかと思いきや、豈図らんやとはこのこと。どの木も皆、何事もなかったような顔をしている。今まで何年も、さんざん手間暇金かけて庭木を囲って来た。あの作業は何だったんだ?
 冬前、今年は雪囲いはしないから、折れたら折れたで始末するぞ!と木々に言い聞かせた。それが効いたのかもしれない。ならば、今まで一度も花を咲かせたことのない山藤にも、今年花芽をつけなかったら始末だ!と引導を渡そうか。
 そもそも、今月で軽トラを手放すことにした。だから、これまでのように庭木を刈り込んでは葉や枝を山の林へ運ぶなんてことはできない。不要の木は切り倒す。終活開始だ。
 尤も、庭の中央に陣取るジシャガラの木だけは別格。こうやって、ヤマガラ君がこの木の実をあてにしているから。それに、時が来ると咲き乱れるこの木の花は、また格別好ましい。だから、この木だけは、別格。
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3月22日(火) 雪割の花 春はゆっくり 
 三寒四温と七曜の周期が完全合致。お陰で終末予定の登山は毎週お流れ。先月からずっと。何だろう?これは。夏山の遠征に向けて、今は体力を鍛えるようにと神の思し召しか。
 それならばと、せっせとランニング。3日前には20k走。Run記録を見たら、なんとちょうど2年ぶり。2020年2月19日に20k走して以来。思えば、その年の3月15日新潟ハーフ大会に向けて走り込んでいた時期。コロナで大会の中止が決まったとたん、走距離はパタリと落ちた。以後、マラソン大会はストップ。その後、脊柱管狭窄やら帯状疱疹やら、故障の連続。走力はガタリと落ちた。2年前の20k走は1k6分平均。今は7分平均でやっと。
 スポーツに大会がないのはつらい。それがようやく、4月16日に分水マラソンが開催されるという。ありがたい。モチベーションが上って、1月からは週1の15k走。果たして21kの大会を走れ切れるか、最低目標2時間30分をどこまで縮められるか、不安だらけ。不安がモチベーションになる。今日は1k5分4,50秒台で3kインターバル3本。調子が上がってきた。やっぱり大会があるとないとでは大違い。あと4週間を切った。今週、来週、再来週はもう少し自分を追い込みたい。登山がないのは、むしろ幸いというものか。
 すべては神の思し召し。いや敬虔なる仏教徒としては、仏の意のままにか。鉢植えの雪割草が咲いた。ようやく春来にけらし。
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3月1日(火) 今日から我が家も文明開化 
 極寒2月の寒波も去った。今冬、どうにか屋根雪下さず耐えた。厚い雪の軒を見上げては、まだ大丈夫か、まだもつか。毎朝ハラハラの日も終わったようだ。
 今日3月に入り、村の広報紙が届いた。連載をさせてもらってから早いもので、もう10回目になった。平和でどこかのんびりとした江戸時代、なかなか面白い時代だ。昭和53年築の我が家は純日本建築で、生活様式は畳の床に直座、直寝。ほとんど江戸時代のままで来た。
 それが一昨年、腰を痛めてからすべて椅子生活に替えた。唯一江戸時代と変わらないままだったのが寝方。それも今日からベットに替えた。
 アマゾンのタイムセールで値下がりを待っていた。今日届いて、半日がかりで2台分組み立て、ヘトヘト状態。その甲斐あって、これでどうにか、我が家も明治維新の文明開化。せめて、毎朝手を合わせる仏壇の前だけは座布団正座で、このときだけは未だ江戸時代。和魂洋才、気持ちだけは江戸時代のままでいたいような気がして御座候。

 上の図は、広報3月号のイラスト。本文は ⇒こちら
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2月16日(水) ホワイトアウトのゲレンデで YouTubeは⇒こちら
 学校スキーボランティアの2回目。今回は高学年。あいにくのコンデションで、ゲレンデは激しい降雪とガスでホワイトアウト状態。リフトに乗っていると頭も肩も胸も、たちどころに真っ白。中には雲中船酔い状態になった子も。そんな中でも、子どもも大人も元気にスキーを楽しんで、大満足の一日。
 我ら阿賀北山岳会の同志Keynさんは、毎年、初心者の子どもたちを預かって苦心ならぬ苦労惨憺。それでも、終りになって「滑れるようになった!」と言ってくれたと大喜び。苦労のし甲斐あったというもの。
 とまれ、これにて本年のスキー教室、無事終了。私がスキーを履くのも多分今年はこれまで。せっかく会えた懐かしい旧友と、今度ここで会えるのは1年後か。1年、1年、来年のことは分からないぞ。などと心にもなく言いあったり。とまれとまれ、今年もいいスキー教室でした。皆さん、いつまでもお元気で。
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2月12日(土) 里山に憩う 雪道ハイキング  YouTubeは⇒こちら
 新津丘陵の菩提寺山は、250Mの低山ながら春夏秋冬人跡絶えない人気の山らしい。7年前の5月に公民館登山で来て以来。いつもは、五頭、菅名、二王子から見下ろしている長い丘陵、今日は、その丘陵の上に立ってそれらの山を見上げてる。平らで長い日本平山も菅名と白山の間の谷に横たわり、既にオレのものとなった山たちをグルーっと見回す。屈強の家来たちを従えているようで気分のいいものだ。
 気分がいいと言えば、のんびりと無駄話しながら気心知れた仲良しメンバー低山ハイキング、息が上がることもなく、たまにはこんな山行もいいもんだ。
 昼には下山して、アザレア展を見て、早々帰宅。夜は、阿賀北山岳会の新年会。村内に新装開店操業したゲストハウス「す~む」の来客第1号。オーナーからは特別待遇のケーキふるまい。これも村内の専門家が手作りとかで、その美味しいこと。びっくり仰天して、つい女性専用のケーキにまで手を出した。それに、とよふじ出前の卵とじカツ丼の旨くて盛のいいこと。お陰で完璧1kオーバー。翌日の15kRunでどうにか元に戻したが。
 新年会で今年一年の山行計画決定。ワクワクの一年の始まり。早くオミクロンよ去れ!
    YouTubeは ⇒こちら   登山データは ⇒山の記
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2月11日(金) 楽しんでるのは どっちだ?  YouTubeは⇒こちら
 小学校のスキー教室で毎年恒例の一日ボランティア先生。最近ではもう、スキーを履くのはこの機会だけになった。だから、スキーを楽しんでるのは、子どもたちは勿論として、こっちも!なのだ。
 余禄がもう一つあった。高校の同級で仲の良い友達だったヤツ(失礼)が突然目の前に現れた。同じボランティア先生で。同村ではないし、孫がいるのかと問えばそうでもないし、訳が分からず思わず目をこすった。忘却の人ではない。一昨年勃発のコロナで、カミュのペストを思い出さずにはいられなかったが、あの本を貸してくれたのがこの人だった。高校卒業の年に盲腸になって入院中の読書にと、狭き門と二冊貸してくれた人。休憩中に懐かしいヤツラ(これも失礼)の消息も二、三。何はともあれ、後期高齢者になってもお互いこうやって山にスキーに、動き回れるだけ幸せだということになって、邂逅のエール交換。
 午前中は、逆さボーゲンスタイルで一人の子につきっきり。午後は、こうやって上級の子たちの先導。久しぶりのスキーで、ぐったり疲れて翌日は終日休養。としかな~やっぱり。
 Goproを初めてスキーで使ってみた。アクションカメラにうってつけ。YouTubeにUPして、校長先生にも送ったら、学校のHPにも載せるらしい。そうと分かったら、次回はもっと丁寧に撮らなくちゃ。YouTubeは ⇒こちら
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2月5日(土) 道開かず ほだわら漕いで朝の風呂
 先月下旬、暖気が入り、雪もこれで終わりかと気を抜いていたら思わぬ大雪。朝風呂の歩道は通学路で、いつもは早朝から機械除雪の道。ところが今朝は、新雪のほだわら。あまりの大雪に除雪も間に合わないかなどと独り言ちながら、ラッセルで雪を漕ぐ。今の長靴は紐をグッと絞れば、雪は入らない。昔はこんな時、ズボンの裾を長靴の外に出して雪が入らないようにしたものだが、などとよしなしごとを思いながらラッセル。
 風呂で身体を洗いながらも、よしなしごと。あだらしやのとーちゃんが、俵かんじきを両足に履いて、長いほだわらの道の雪踏み。首から吊るした俵の縄を、足と一緒に左右交互に上下させて、道をつけて歩いてる。子どもの頃の映像。ふと我に返って、あれ?シャンプーやったっけ? 洗髪して次に石鹸で身体、これがルーチン。だから、何も考えずに作業進行。その間に、昔のことやら、あれこれよしなきままに脳が勝手に暴走。暴走に身を委ねて、現実の行動に記憶がない。最近こんなことがよくある。Okkaaの軽度認知障害はこれがもっと大層になった状態なのだろうな、多分。大学の専門医は老化現象の一つですからと言う。年相応と思えば、受入れるしかないか。
 帰り道、ほだわらの消えかけた自分の足跡を辿りながら、ふと気が付いた。ああ、今日は土曜日。だから、歩道除雪はしないんだ。年相応とは言え、ふと我に返るか、返らないか、その違いは大きい気がする。
 YouTubeにUPしておいた「栂海新道の山旅」にコメントが入った。「3泊4日のテント泊縦走スゴイですね」と。で、即「若かったですね、あの頃は」と返信した。2015年、もう7年にもなる。今はもう無理だろうな、多分。老化現象だけは誰にも止められない。皆いつかは通る道。
 今日6日は、亡母の三回忌。甥一家も来てくれて、賑やかなのはいいねーと久しぶりに笑顔のOkkaa。命日は8日。
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1月31日(月) ここは上関 今・昔
 村の広報紙2月号が配布されて、古文書紹介の連載も9回目となった。下関と上関の係争、細かいところに入り込んでしまった感も無きにしも非ずだが、これだけ面白い内容を紹介せずにはいられない。街道の村というものがどういうものであったか、そして、人々はどう知恵を凝らして折り合いをつけ乍ら暮らしていたか等々、江戸時代の現実が見えている。と思っているのは自分だけで、果たして他の人たちはどうなのか、どこか心もとない。
 オミクロン株とやらで、運動施設はみなマスク着用の指示が出た。マスクで走ったら死んでしまうと言ったら、係のKumiちゃん曰く、死なない程度の走り方にしてください。なるほどなるほど、それではと、LSDで15キロマスク走。やればできるじゃない。ゆっくり走る口実ができた。
 このところ、やりたいことが増えて、時間が足りない。Okkaaは寝ていることが多くなって、家事の時間も増えた。一日の時間をどうさしくるか、無駄な労力をどう省くか。掃除はロボットに任せた。これがまた、よう働く奴で、北京五輪のTVを見れば、調理ロボットもそのうち開発されそうな予感がしてきた。とはいえ、ランニングをロボットに任せるわけにはいくまいし、マスクでトコトコ、ドームを周回している時間もそれなりに至福の時間。人生全て、仏になるまでの修行。修行ならば、無我の境地で進むべし。と言う間に、あと46分で1月が終わる。はやい!
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1月26日(水) 道中記解読完了  ⇒道中記へ
 歴史館の古文書講座「道中記解読会」 始まったのが平成30(2018)年12月、あれから丸3年、4年目に入った今日読み終えた。77日間に渡る旅の記録は小さな手帳にびっしり書き込まれて95頁。全行程の泊地を地図に落とすと上のようになった。利根川と瀬戸内海の船を除けば、全て徒歩の旅。正確ではないが、概算で2500㎞は超えるようだ。病気にもならず怪我もせず、よくもまあ歩き通したものだと驚き入る。毎日の泊賃が記録されていて、概算で、1泊300文として80泊で24000文。最終頁の相場書によれば、1両がこれも概算で6000文。とすれば、4両。現代の金額で1両6万円とすれば、24万円。思ったほどの大金をかけたわけではなさそうだ。が、当時の越後の農民にとってどれくらいの額に当たるのか。母が、昭和30年代、集落の伊勢講でほぼ同じコースを旅行している。鉄道の旅だが、どれくらいかかったものか健在なら聞けたのにと、時すでに遅しだ。江戸時代、小規模の自作農より、土地を持たない水呑みといわれた百姓の方が、商工業、運送業などでむしろ金銭収入があったとも言われる。こうやって古文書を読み始めたら、とにかく江戸時代は面白い。
 それにしても、足かけ4年、講師を務めた田村舞子さんに感謝です。今日、改めて伺ったので、これまでの講座開催記録をここに書いておきます。
 第1期・平成30年12月~翌31年2月(冬場の開催)
 第2期・令和元年12月~翌2年2月(冬場の開催)
 第3期・令和2年12月~令和3年2月(冬場の開催)
 第4期・令和3年4月~令和4年1月(通年開催)
 こうやって振り返ってみれば、あっというまの3年。それでもこの会のお陰でずいぶん古文書が読めるようになった。何事も、継続。石の上にも3年とはよく言ったもの。
 次からは新たに、寛政4年の道中記の解読会が始まる。これがまた判じ物のようで、なんとも面白い。村広報の2月号で新たな募集もかけるそうだし、大勢の人が参加してくれるといいのだが。
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 1月10日(月) 雪の五頭山 登り初め
雪の五頭山。今年もまた大勢の人が登ってた。稜線のピークに思い思いに陣取って、何を話すか、何を眺めるか。天空のひとときを過ごしてた。この人たち皆、下界に何かを置いてきたのだろうな。重い荷、軽い荷、強い縛り、弱い縛り、人様々。誰に語るでなく、声に出すでなく、多分心を無にして山を眺めているのだろうな。天に近づけば近づくほど、下界のことは小せえ、小せえ。今日の五頭山の樹氷は、まるでガラス細工の森の中。天空の別世界。天空と下界を行き来できるのは仙人だけ。仙人になるために、ここへ来た人たち。
YouTubeは
⇒こちら 登山データは⇒「山の記」
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 1月4日(火) お前は誰だ オレは大福だ
娘一家に塩鮭を送ったら、この画像が返ってきた。やっと乾いて2日に丸重商店に持っていったら、3日に京都に着いた。いつものことだが、宅配物流の仕組みにはただ驚くばかり。昨日アマゾンに発注したホットマットも今着いた。これまで長年、冷たい布団でも平気だったが、もうどうにも我慢できなくなった。同時に、息子からゲームコントローラーが送られてきた。これを使えば、キーボードよりやり易いらしい。今ボケ防止が必要なのはOkkaaの方、だからOkkaa用のゲームソフトを探してくれるように頼んだ。その息子、塩引は迷惑だからいらないと言う。切るのが大変で、その後冷蔵庫は満杯、その上毎日塩分過多だと。隣で嫁さんが聞かないふりをしてこっそり頷いていた。これが案外本音かも。送った人たち皆、いいもの貰ったとさも嬉しそうに電話をくれるのだが。本当のことを言ってくれるのは息子ぐらいか。だとしたら、娘はどうなのだ?この犬、大福という名だが、大福だって嬉しそうにしてくれてるじゃないの。
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1月2日(日) 雪降れば童心俄かに蘇り
息子夫婦が玄関前の除雪をしてくれた。と、喜んでたら、何のことはない、雪だるまを作って遊んでた。雪は童心を呼び覚ますものらしい。二人とも美大出だから、造形意欲未だ旺盛。ボケ防止にと、ゲームパソコンの中古を置いていった。やってみたら中々面白い。頭と両手指先を瞬発的・持続的に動かし続ける。相当難しい。なるほど、ボケ防止には最適かも。問題は、時間が中々生み出せないこと。古文書、歴史書、それにY家から預かっている伯父の戦記、どれもみな中途半端。あっちに手を付けたり、こっちに手を付けたり、遅々として進まないのは吾輩のマラソン並み。講義受講生の期末評価の〆切も迫っているし、村広報紙2月号の〆切まで2週間。以前と比べて作業能力は相当落ちている。無駄に費やす時間が多い。つまりモタモタしているのだ。それで、作業に使っているパソコンをデュアルモニタにしてもらった。27in.と21in.のモニタ2面立て、双方別々にソフトを開けるから、左で古文書を読み、右で辞書を見たり書き込んだり、などなど実に使い勝手がいい。一説には40数%の効率UPとか。なんでも若い衆には教えを乞うもんだ。さあこれで、ペースを取り戻せるか。2022のスタート。皆さんもきっとよい年をお迎えのことと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。年賀状の返信、今しばらくのご猶予を。
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