綿野舞(watanobu)2019 日々是帖                
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アーカイブ
2019
12月
29 山地図
22 牟礼山
14 葱 沢庵 鮭
11月
29 初雪
9 門
3 玉葱苗植
2 薬師・朴坂
10月
31 海岸Run
27 帆掛笹舟
26 古道+巨木
20 唐松岳
14 薬師・朴坂
6~7 薬師岳
9月
28 名倉道
19 栗・茗荷
18 ブドウ園
16 畑通い
13 庭ブドウ
1  荒沢岳
8月
11 平標山
4~8 南ア縦走
1 桃
7月
28 ジャガイモ
21 平標山
18 巣立ち
11 梅もぎ
9 秋田駒
8 焼石岳
5 キジバト
6月
26 長葱植付
23 古道
21 護摩堂山
16 マラソン
10 岩木山
9 東北の旅
6 光兎山
3 二ッ森
2 マラソン
1 ヒメサユリ
5月
26 古道
19 飯綱山
12 巨木
4~6 常念・蝶
2 ドローン
4月
28 日向倉山
22 土手桜
20 古道
18 春耕
14 マラソン
7 山林
2 梅に雪
3月

27 角田山
17 マラソン

1月

6 五頭山
1 マラソン


年次別
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2015
2014
2013
2012
2011
     
watanobu634@gmail.com 渡辺伸栄(新潟県関川村在住)
12月29日 来年の山を思いて歳暮れる   ⇒山地図へ 
穏やかな暖かい歳末の日が続いている。昨日はK君が一歳の息子さんを連れて遊びに来た。ちょうど人見知りの頃で、Margoのこの時期のことを懐かしく思い出した。今日は一日暇だったので、これまで登った山を全て地図に落としてみた。北は岩木山・八甲田山、南は雲仙岳、九重山。大小実に様々な山、懐かしく思い出している。過ぎ去った日々はみな懐かしいが、取りとめのない思い出に耽るのは老いたる証拠。地図は、次への展開を構想するためのもの。来る年、どんな山が待っていてくれるかワクワクして新年を迎える。まずは、元旦恒例のマラソン。目標は欲張らず、完走すること。問題は天候だけ。年賀状は結局作らずじまい。今年はスルーすることになりそう。すでに投函してくださった方々、どうかHP上でのご挨拶でお許しを。皆様どうぞよいお年をお迎えください。山の地図は⇒こちらから 
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12月22日 牟礼山で今年の山の締め括り  ⇒山歩紀行へ
関川村を取巻く山々で、登山道があって唯一登り残しになっていたのが、ここ牟礼山616.4m。2019年はこの山で登り納め。調べれば知識は手に入るが実際のことは行ってみなければ分からないと、イチローさんは流石いいことを言う。高さもなく目立たない山。しかし登ってみれば意外や意外。360度の大展望。故郷の山川一望。その上、テントの中は山頂焼肉亭。冬の日の光温かく、今年一年の素晴らしい山行の締め括りに、真にふさわしい登り納めになりました。いつも山行を共にしていただいたお二人に感謝の気持ちを込めてパチリ。詳しくは「山歩紀行」で。
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12月14日 ネギ抜いたタクアン漬けたサケ出来た  ⇒畑作記へ
1ヶ月超山に行ってなくて早12月も半分、それでも何だかんだと面白い日々。
庭木の雪囲いは先月の初雪に間に合ったが、その後も門屋根の支柱や玄関の竹垣造りと、積雪対策事業を継続。ドカ雪が来れば思わぬ箇所に被害が出る。転ばぬ先の杖。それも、今日すべて終了して、雪迎えの準備はこれで完璧。
先月27日に収穫した大根は一部吊るして乾かし、今日漬物係長のOkkaaがタクアン漬け。昨日、コイン精米へ小糠をもらいに行ったら見事にスッカラカン。大容器の底の残りをアサって何とかギリギリ分確保。今はどこ家もタクアン漬けの最盛期ということなのだろうか。
長ネギは一度雪に遇わせた方がいいという八百屋さんの言に従って、掘り上げを9日まで延ばした。格別の太ネギで、〆て300本。隣近所へ泥のついたまま一輪車でおすそ分け。煮て焼いて毎日せっせと食べている。今年の作は皮が少々堅かったが、雪に遇わせたせいか中はトロリとしてことのほか美味しい。
先月の大根掘りのその夕に、生鮭2尾手に入り夜なべで塩引き。塩蔵1週間、今月4日に塩出しして軒に下げた。今日、ちょうどよい具合に干し上がった。過去何年も、去年逝去されたY先輩が三面川で釣り上げたのを頂いて塩引にしてきたが、体調を崩されて釣りを控えてからこの方、塩引造りもストップ。今年、知人の手配で荒川の鮭が手に入り、4年ぶりの塩引き。方法はY先輩の奥様の口伝。忘れかけていて、メモをパソコンから引っ張り出しておさらい。一塩一塩心を込めてすりこんだから、写真の通り出来上がりは上々。早速、越王柿を頂いた柿農家のK先輩へ贈った。もう1尾は千葉で大風害に遭った農家の知人へ。見栄えは上々でも、何しろ一部削って味見というわけにはいかず、肝心の味は全く不明。こればかりは食べて判定していただくしかない。今、もう2尾塩蔵中で、これができたら1尾味見してみようかと思っている。
10日はぽかぽか陽気で、土手Runに出たら気持ちよく、ついつい鷹ノ巣まで往復した。丸山大橋の坂を上るのは7月24日以来。脚の調子は最悪の状況を何とか脱したようで、ペース走、インターバル走とも、気持ちよくできている。とはいっても、去年のこの時期よりかなり速度は落ちている。7㎞ペース走は、去年は5分30秒/㎞だったのに、今年は5分50秒/㎞がやっと。1㎞インターバル走5本は、去年は5分/㎞、今年は5分30秒/㎞がやっと。踵を傷めて、9月に診療所の名医から原因はオーバーワークと言われた。名医の脇に立つ看護婦さんの顔には、歳も考えてねと書いてあった。いつも優しく心配してくれる看護師さんに免じて?、以来練習量を思い切り落とした。去年月間200㎞、今年は100㎞がやっと。それで何とか調子が戻ってきたのだから、名医と看護師さんのお陰。年々ペースが落ちるのは加齢のせい。もう伸びしろは残っていないのかもしれない。それでも気持ちがいいから走る。今日も午後からドームでインターバル走。ゼイハアが心肺能力を鍛えると思うと何とも心地よく、気分はアスリート。傍目には低レベルの高齢者ひとり陸上部。それもまたよし。
あ、そうそう、あのタマネギのちび苗どうなったか・・・は、「畑作記」で。
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11月29日 雪が来た 庭の囲いは間に合った 
今朝、初雪。「きっぱりと冬が来た」(高村光太郎) 庭木の囲いが終ったのは昨日、今年もどうやらギリギリ間に合った。
11月は、連日の庭木囲い、歯医者通いに母の病院通い、看護学校の講義、ランニング、それに4年ぶりに塩引鮭と、結構忙しかった。山の会の忘年登山旅行はOkkaaだけ参加。母の急変に備えてどちらかは留守番、今回は私の番。母はそれなりに安定していて、お陰で囲いの作業がはかどった。
大根を掘ったのは一昨日。Okkaaがきれいに洗って吊るして、我家の風物詩。畑に残っているのは長ネギ、これも来週掘る。雪囲いも、あと少し残っている。この雪が融けたら最後の仕上げ、年寄りの半日仕事でもう2,3日か。
村の文芸誌が2017年版で廃刊になって、2018年版にと構想していた山行録「登山三題」を、夜なべして、今頃ようやく書き上げた。(新設した「楽書の記」にUP)
その間に、盛岡から喪中葉書が届いた。大学の同級生の息子さん名で、父が9月に永眠したとあった。母も6月に永眠と。寮で一緒でバカ騒ぎバカ遊びした友。卒業後も相互訪問したり、最後に電話で話したのはあの大震災の後だった。7月の岩手山行、元気とばかり思い、いつか訪ねる日を想像して高速を通った。あの時、奥様を失い、気落ちしていた時だったのだろうか。見ず知らずの息子さんに電話して型通りの弔意を述べる気にもならず、雪を眺めて彼を思い出している。
ここのところ訃報が続き、3日ほぼ連続してお通夜へ参列した。みなかつて大変お世話になった方ばかり。人の世はまるでトコロテン、天突き器の中で押し出されるのを待っている。
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11月9日 ラとロでは 一字違いの大違い ⇒猫額苑四季へ
玄関前にスロープをつけるので春に解体撤去した門をようやく復元した。復元と言っても、間口が倍になり屋根も二重にして重厚?なものに作り直した。重厚荘厳と言えばバロック建築だが、我が方のは、材料全て廃材のバラック様式。バラックと言えば、今西祐行の名作「一つの花」の、コスモスに包まれたとんとんぶきの小さな家を思い出す。敗戦直後の日本を代表する建築。屋根の表に打ち付けたのは、かつての我家の味噌樽・漬物樽。屋根裏に張り付けた古板の「六」「七」の意味するものは何か?そのなぞは、「猫額苑四季」で明らかに。
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11月3日 ♬こ~んなチビ苗何になる? 
11月に入ったというのにまだタマネギを植えてない。晴天が続いてどうにか畑が乾いてきたのに明日はまた雨予想。やるなら今日、大急ぎで畑へ。まずは、予定地の全面打起こし、その後へ有機石灰と完熟牛糞と配合肥料をたっぷり撒いて、再度細かく打耕し。もちろん鍬一丁の筋トレ畑。穴あきマルチを掛ければ畑の出来上がり。続いて、苗取り。今年は初めて種を蒔いて苗を育てた。その苗たるや、ほぼ同日9月5日に蒔いた隣のお婆さんのは20~25センチに伸びて10日前に植付。我が方はと言えば、今日まで待っても長いのでせいぜい10センチ、ほとんどは5センチクラス。いつも親切なお婆さん、気の毒がって自分の苗を上げるからと言ってくれるし、Naruさんも余った苗をくれると言う。有難いが、折角芽を出したチビ苗を捨てるに忍びなく、マルチの穴の数200全部植えた。さてはて、雪の下で消えなければいいが、否否、雪が降るまでに根を張って育ってくれればいいが。♬何の負けるか今に見ろ 大きくなって皆のため お役立ってみせまするゥみせまするゥ♬ がんばれチビ苗‼ 畑の向こうに昨日登った嶽薬師が笑って見えた。 
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11月2日 秋日和 紅葉日和の健康登山  ⇒山歩紀行へ
先月14日に下見した嶽薬師~朴坂山縦走の公民館登山。19日の予定が悪天で延期になって今日が本番日。天候大当たり、時期も大当たり。登るにつれて紅葉の色が増し一行21名秋色にたっぷり染まり、その上稜線からの眺望は抜群で、西に新潟から村上まで延びる海岸線、薄く佐渡島と粟島、北に神納平野広がり、東に女川の河岸段丘、南に荒川が貫流する関川村の盆地と飯豊山・朳差岳。嶽薬師と朴坂山の間のあこや谷最低鞍部のダウンアップも何のその、軽快に里山の秋散策を楽しんだ一日でした。詳しくは「山歩紀行」で。
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10月31日 小春日に七十路三歳(ななそじみとせ)の走り人 
脚を痛めて出走を危ぶんだ新潟マラソンが中止になり、天啓とばかり以来走るのを止めていた。あれから20日、さすがに足がムズムズしてきて、昨日ドームを走ってみた。走れるかどうか不安だったが、思いのほか気持ちよく7キロ。この間もドームには通っていて、バイク漕ぎ、山登りマシン、筋トレなど怠りなかったせいか、それに山にも登ったし。もっと走りたかったが控えめにして止めた。そして今日。講義を終えて看護学校を出たのが午後1時、3時からは特別支援学校で打合せがあるので2時間ほど時間が浮いた。小春日で絶好のランニング日和。岩船港に車を停め軽食後着替えて走りに出た。3キロちょっとで瀬波温泉汐見荘裏の海岸。心地よい海風、折り返せば向い風になってなお爽やか。昨日で還暦13歳。まだまだいけそうな気がしてきましたぜ⁉
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10月26・27日 笹舟も森の恵みの文化祭 ⇒風物記へ
ということで、初日の午後と2日目は笹舟で遊ぶ+竹細工。笹舟は少々レベルを高くして帆掛けの笹舟。帆には紀伊国屋よろしく自分のマークを描いて、いざ競漕へ。歴史館玄関前の水路が恰好の競艇場。競争というものはどうにも人間の心を掻き立てるもののようで、まして賞品付きとなれば尚のこと、何度も何度も挑戦する子、2日間にわたって来てくれた子、いやはや楽しい2日間、ツカレタ―。楽しい様子は「風物記」で。
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10月26日 古道行く森の恵みの文化祭  ⇒山歩紀行へ
 
関川歴史館を会場に2日間の国民文化祭。テーマは「森の恵み」、木の実を食べたりドングリで遊んだり、勾玉作りに木の枝パチンコなど多彩なブースあり。私の担当は初日午前が古道探索、午後と2日目は笹舟で遊ぶ+竹細工。古道のテーマは「里山の産業廃道と巨木を訪ねる」ということで、まずは半日健脚連と藪漕ぎ歩きして、株杉の巨木の下で記念撮影。この巨木の在り処は「山歩紀行」で。 
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10月20日 登った山を 見にまた山に 登る  ⇒山歩紀行へ
つとに名高く、春夏秋冬人跡絶えずと聞いてはいたが、これまで何度か登るチャンスを逃してきた後立山の唐松岳。名を成す山は大概、威風堂々たる山容だったり周囲を圧する高さだったり断崖絶壁で登攀困難だったりするのだが、初めて訪れた唐松は違った。八方尾根から登る唐松は中々姿を現さず、ようやく望めた山頂は極ありふれたどこにでもあるピークの一つだった。むしろ山頂から不帰キレットに続く三つの峰の異様さの方が目立っていたし、どう見てもすぐ隣の五竜岳の方が威容を誇っていた。なのに人気を博すのは何故か。その疑問は山頂に至って氷解した。否、既に丸山への登りで眼にした光景から予感はしていた。霧が晴れて目の前に連なる荘厳な山々、不帰嶮、天狗、鑓、杓子、白馬。山肌の色といい形といい、圧倒されて見入った。丸山に上がれば、五龍と鹿島槍。逆光の中で雲を脱ぎつつ威容を顕わにしていた。そして、山頂。そこは360度の大展望。剱、立山、薬師、水晶、鷲羽、針ノ木、槍、蓮華が一続きの長い山並みとなって雲海に浮かんでいる。そこから五龍を挟んで、大雲海に浮かぶのは八ヶ岳に富士、南アルプス。一面の厚い雲の海の北方、ちょっとだけ頭を出したのは妙高連山。その隣に白馬から連なる小蓮華、乗鞍の稜線。この眺望こそがこの山の名を馳せた由縁と、真実納得。視線を回転させながら、これまで登った山の名をあげて位置と姿を確かめる。なんと多くの山々に登ったことか。感無量の眼に、未踏の山の手招きが見えた。続きは「山歩紀行」で。
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10月14日 ご縁あり お薬師参り立て続け ⇒山歩紀行へ 
前回は越中一万尺の山上、今回は近郷一千尺の山上。山の高さは違ってもお薬師の霊験あらたかならんと手を合わす。入院8ヶ月となり最近容体悪化で集中治療室にいる母の、今日が98歳の誕生日。薬師如来は医療の仏、一日一日命を繋いで頂きたいと祈る。昔、難問多発の身だった頃は、どうか一日平穏にと神仏に祈り、それも無理と知ると、我に七難八苦を与え給え、それを乗越える知恵と勇気を授け給えなどと、山中鹿之助ばりに毎朝祈ったものだがその後安穏の身になって、すっかり絶えていた困ったときの神頼み。もっとも薬師参りのために阿賀北山岳会の会長と事務局長に同行いただいたわけでは決してない。19日に予定されている公民館登山がたまたま薬師山から朴坂山縦走になっていて、今日はそのための下見登山。薬師参りが重なったのは偶然のご縁、これも僥倖の一つか。ただし、昨日、各地で大被害をもたらした台風が去ったというのに、一過とならず今日も雨。どうやら天気の僥倖は我ら使い果たしてしまったらしい。台風被害の皆様には心からのお見舞いを申し上げつつ・・・つづきは「山歩紀行」
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10月6~7日 薬師大風 雲よ飛べ 風よ吹け  ⇒山歩紀行へ
天気予報で県内近県の山々に当たったが、どこも思わしくない。唯一山頂見晴が望めそうだと予報されたのが富山の薬師岳。ただし強風予想。風で雲が飛ばされるのかもしれないと淡い期待を込めての1日目。太郎平小屋に近づくにつれて山頂付近の雲が飛ばされ青空も出てきた。薬師岳山頂の稜線がくっきり。これも僥倖とほくそ笑んだのもそこまで。翌2日目の山頂は厚い雲の中。稜線に出れば唸る風音、予想通りの強風。雲が飛ばされるどころか、たっぷりと湿り気を含んだ霧雲が谷間から次々と吹き湧いてくる。飛ばされぬようにと必死の俯き登り。ふと気づくと暖かい日の光。雲が割れ束の間の陽光、谷間の紅葉を一筋際立たせ、ときに富山湾まで見せる。が、それも、ほんの一瞬。どうにか山頂に辿り着いたものの休憩を取る気にもならず、まさに文字通りのピストン。とっとと下って、太郎平小屋で食べたラーメンの美味かったこと・・・つづきは「山歩紀行」で 
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9月28日 中納言が祀ったという観音へ  ⇒山歩紀行へ
鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇に万里小路中納言藤房なる側近がいた。その貴人が諸国漂泊の途次、この山道を通り山中岩窟に馬頭観音を祀ったという。700年前の故事が今に伝わる名倉道、その痕跡を辿る関川歴史館主催古道探索会。今年度第4弾めともなると、参加者は絞られてきて少数精鋭、いずれ劣らぬ藪漕ぎ健脚連。山越え谷越え沢徒渉。辿り着いた岩窟に今は観音像なく、代わりに大山祇神を祀る祠が据えてある。夢枕に立った観音様のお告げにより里へ移したのは江戸時代、今から200~300年前のことと伝わる。名倉道は出羽国へ抜ける古街道。500年前に大里峠を通る米沢街道が整備されると、名倉道は廃れたのだろう。さすがの観音様も寂しくなって里へお移りになったということか・・・つづきは「山歩紀行」で。 
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9月19日 山林に 素人技のクリ・ミョウガ 
 
例年お盆頃から山林の夏草刈りを始めるのだが、今年の熱波は異常で、とても炎天下の作業は無理と、ほっておいた。今頃になってようやく涼しくなり、遅まきながらの草刈り開始。その間、Okkaaが栗拾いと夏ミョウガの収穫。栗の木の下には、猿公たちがせっせと青イガを落として食べた跡。それでも、わずかに人間様の分も残っていた。これでどうにか今年も我が山林の秋の味覚を手に入れることができた。この日の午後は庭の門づくり。夜は、ドームでクライミングの講習会。足が不安でとても登れたものではないが、いつものようにビレーヤーの役で2組の父子に楽しんでもらえた。こうやって、足を引きずるようにしても何とか動いているうちに、膝の痛みも少しずつ弱くなってきたようだ。両足の踵の痛みがあって、練習量は随分落としている。去年の3分の1ほどだろう。果たして来月13日の大会42.195キロ走れるのかどうか。 
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9月18日 プロの技 秋の味覚のブドウ園 
 
村上市猿沢にある菅井農園さんのブドウ園。さすがプロ農家の技。シャインマスカットに、ピオーネに、すいほう、各一房ずつ買って帰って冷蔵庫に入れ、毎日数個ずつ貴重品のようにして食べる。一房全部を口に入れ、庭にぺっぺぺっぺと皮種を吐き出している我家の気易いデラウエアとは大違い。言って見れば、貴族と庶民の違い。この日はこの後、隣県まで足を延ばし加茂のクラゲ水族館へ、久しぶりのドライブ。なにせ、山行が立ち消えとなって身を持て余し気味。などと言ってみたものの、実は前日、ドームの筋トレ部屋のバイクを漕ぎ過ぎたせいか、朝起きたら右膝が痛くて歩くのもままならない状態。こんなときは家で静かにしているべきなのだが、じっとしていると、新潟シティマラソンまで1ヶ月をきったのにと不安ばかりが募るので、気紛らしに車の運転はなんとか支障がなかったのでドライブに出た。だから山など、とてもとても。
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9月16日 為せば成る 鍬一丁の筋トレ畑 ⇒畑作記へ
7月末にジャガイモを掘ってから放置していた畑。炎熱の夏の終焉を待って8月31日、ひと月ぶりに行って見た。何と、そこはまるで牧草地。ネギもサトイモも、よくよく探せば叢の中に葉の先っちょがちょこっと見える。はびこった雑草どもの、あまりの凄まじさにもう放棄しようかと真実思ったほど。だが、山とマラソンで鍛えた心身、そうやすやすとは引き下がれない。上杉鷹山公の名言もある。7日通って格闘。9月14日にはここまで蘇らせた。この美畑、畑友Naruさんに捧げたい。なにしろ種蒔きのダイコン・タマネギ、何袋買えばいいか、どうやって種を蒔くかと、電話したり訪ねたり散々教えを乞うたのだから。そして今日、左端の畑へニンニクとラッキョウを植付けてひとまず秋作の一段落。もともとは、今日明日は山行の予定。それが、大気の状態不安定で止む無しの畑作。天気だけは、なしたくともならず、鷹山公も苦笑い。今日まで格闘8日の全記録は「畑作記」に。 
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9月13日 我が庭はアケビにブドウ 菓子いらず⇒猫額苑四季へ 
これ‼ブドウの木にアケビが生った!?というのは大ウソで、ペイント3Dによる合成。どちらも去年ほどの豊作ではないが、それでもブドウはOkkaaと二人毎日毎日パクパクとよく食べている。それに今日はアケビの初食い。どちらも糖度十分で、お陰でお茶菓子不要。テーブルの上にクッキーやらセンベイやら皿盛りにしてあると、ついつい手が出て、なくなるまで食べてしまうという悪い癖をここのところ数週間、出さずに済んでいる。根が甘党で、朝晩のコーヒータイムにはアイスクリームが欠かせない。アイスを罪悪感なく貪るために走っているみたいなところがある。前の晩も、クライミングの後ドームの筋トレ部屋に居残って、バイク漕ぎ30分マシンラン30分。だから、何の憂いもなくアイスにブドウにアケビ。それはそうとして・・・最近の庭の様子など「猫額苑四季」でどうぞ。
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9月1日 登っても登っても山 また山 ⇒山歩紀行へ
奥只見の荒沢岳。残雪の日向倉山から何度も見た山。谷の向かいに屏風のようにそそり立つ真っ黒な山。厳しい岩稜を畏敬の念で見上げた山。銀山平の登山口から標高差1200mをまっすぐに一本道で直登する。急坂の途中、見上げれば空が見えて、あのピークで一休みしようと登り上がれば、その先にはまた急坂が続く。登っても登っても、これでもかこれでもかと、山が次々と現れる。最大の難所は上の写真、前嵓という名の前衛峰の岩場。ここに来るまでが前段で、鎖と梯子の連続。そこをようやく乗り越えて来て、ここで一息。さて、これから先が後段。またまた鎖の連続。改めて新潟県山のグレーディングを見れば、難易度トップクラス。なるほど然りと納得。鎖三昧の岩場はスリル満点、誠に登りがいのある山で、翌日は久しぶりにヘトヘト状態・・・つづきは「山歩紀行」で。
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8月11日 天空の千紅万紫 雲に映え  ⇒山歩紀行へ
平標山への公民館登山。先月21日の下見では花が終わりかけていて、1週間後の本番まで待ってくれるかどうか危ぶまれた。それが、台風来襲で中止して更に2週間延期となったものだから、多分花はみな終わっているだろうと思っていた。ところがところが、行ってみてびっくり。アズマギクにハクサンシャジンやシモツケソウ、下見時にはほんのちょっとだけ咲き始めていた花たちが、一斉開花。天空は思いのほかの花の園。アキノキリンソウなど咲き誇る黄色の花には申し訳ないが、まさに千紅万紫。その上、一日中ガスっていた稜線も花園を通る時だけ青空をちょっと見せてくれたり。下山林中では、フシグロセンノウなどという派手色の花が初見参。山はまことに行って見なければ分からない。ともあれ、一行30数名の団体登山、落伍もなく無事に周回路を巡って下山、大団円大安心・・・つづきは「山歩紀行」 
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8月4~8日 富士を連れ 一万尺を六つ越し ⇒山歩紀行へ 
南アルプスの正式名称は赤石山脈。その名の元となった赤石岳へ、前後泊を入れて5日間の大遠征。最初の千枚岳は2880mながら、その後に続く6峰は、丸山3032m、悪沢岳3141m、中岳3084m、前岳3068m、小赤石岳3081m、赤石岳3121mと、みな一万尺超えの大物。一つ一つ鞍部に下っては登り返して越えていく。息を弾ませて登り着いた山頂で待っていたのは360度の大展望。稜線、圏谷に待ち受けるのは高山の花々、今が盛りの千紅万紫。そして、天空漫歩の道連れは、富士。稜線の東側に寄り添いながら、黄金の衣装をまとったり白綿の頭巾をかぶったり、赤富士、青富士、黒富士、朝な夕な様々な姿態を見せてくれて、最早語るに言葉なしの状態・・・続きは「山歩紀行」
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8月1日 盗賊とどちらが先に食いつくす? ⇒猫額苑四季へ 
見事な桃ではありませんか。1週間ほど前から、夜な夜な盗賊が現れて2個、3個と食べているふう。これはならじと、とって食べてみたがまだ完熟前。盗賊め、もう少し待てばいいものを。で、今日の夕、触ってみたら柔らかくなったのが4個。さっそく収穫、井戸水で冷やしておいて風呂当番の掃除から帰ってOkkaaと二人で賞味。汗をかいた後のその味もまた、天下一品。ここのところ炎暑の午後は、もっぱらドームの冷房完備筋トレ部屋で自転車こぎとマシンウォーキング。痛めた足首を動かさないようにして。今日になってようやく痛みがとれ、普通の恰好で歩けるようになってきた。来週の遠征山行に何とか間に合ったよう。助かった。庭の様子は「猫額苑四季」で。
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7月28日 置き場所のないほど作ってどうするの ⇒畑作記へ 
 
いえいえ心配いりません、Okkaaあちこちお裾分け、さも自分の作の顔をして。そりゃ邪推だろって?いやいや、玉ネギを収穫した後のOkkaaと近所の奥さんとの会話がその証拠。O「奥さん、玉ネギいりません?」「ありがとうございます。ま、立派な玉ネギだこと。奥さんは何を作っても上手ですね。」作ったのは夫で自分はちょっと手伝っただけなどと言うかと思いきや、「植えっぱなしでも、玉ネギと長ネギだけはよくできるんですよ」だと。こっちが立ち聞きしていたのを知ってか知らずか。長ネギも馬鈴薯も、こんな調子に違いない。ただし、馬鈴薯は誰でも作っていて、もらってくれる人はそういないのが難といえば難。足を痛めてしまって走りはしばらく中断。痛む足を引きずって昨日と今日2日がかりでジャガイモ収穫。3年ぶりの豊作で、置き場に困って車庫の車の脇へ。男爵にメイクインにキタアカリ、3種ともジャガバターで賞味、その味天下一品。畑の様子は「畑作記」で。
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7月21日 天空の雲の階段どこまで下る?  ⇒山歩紀行へ
ここは平標山の松手山コース。28日に予定されている公民館登山の下見。雨が降らなければ上出来と、雲中覚悟で出かけた。案の定、花の好機はとうに過ぎていたし、ガスで眺望はゼロ。それでもさすがは花の名山だけあって、点々と綺麗な花たちに出逢えたし、登山道の状況も確認できた。山頂への木道に、珍しくも真っ黒なカラスヘビ。胴体に黄色の筋一本が見えたから、あれはどうやらシマヘビの黒化個体。危険はなさそうで一安心。今回の花などは、「山歩紀行」でご覧ください。まずは、本番日の好天に期待して。 
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7月18日 巣立ち行く君に贈ろう爺婆エール 7/20追記 
あのキジバトの雛がこんなに立派な若鳥になって、ついに巣立ってしまった。巣から離れてアケビの棚の上を歩いていたのが16日、翌17日には姿が見えなくなって、黙って巣立って行ったかとOkkaaと二人しょんぼりしていた。それが、この日18日、朝風呂から帰ってきたら、なんと庭に降りて遊んでいるではないか。羽ばたいて渡り廊下の屋根の上に上がってみたり、玄関スロープの手すりに止まってみたり。別に警戒するふうでもなく、この日一日、庭の草取りをするOkkaaの脇で遊んでいたという。夕、日課のランニングから帰ってきたら姿が見えない。本当に巣立ったらしい。どうやらこの一日をお別れの挨拶に費やしてくれたらしい。なかなか律儀な鳥ではないか。
7月20日追記> 上記をUPして、どうにも引っ込みがつかなくなってしまっているのだが、実は、この若鳥まだ我家の庭で遊んでいた。時々フッと塀の上に現われてジッと通りを眺めたり。選挙カーの大音にも平気、どころか、私がすぐ目の前を通っても平然の態。姿が全く見えず、今度こそ巣立ったかと思っていると、ちょこんと居てみたり。どこかに隠れているのか、あるいはまた、どこかへ出かけているのか。ま、このまま居ついてくれてもこっちは別に構わないのだが、さて。
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7月11日 生り過ぎも放っとく訳にゃ行きません ⇒林間記へ 
 
今年はどこも梅の豊作らしい。庭の木1本で7キロ、全部姉宅へ。山林の木が6本で、重さは計ってないが段ボール4箱分。姉にはもういらないと言われ、知人に電話して3箱もらってもらい、Okkaaの処理分は結局1箱残した。赤じその葉と氷砂糖を大量に買い入れ、腕組みして思案顔のOkkaa。梅干しと梅ジュースの新作は当方の取り分。どちらも炭酸水で溶かすとランニング後の絶好の潤し。梅もぎや最近の山林の様子などは「林間記」で。
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7月9日 空青く ムーミン谷は花盛り  ⇒山歩紀行へ
昨日は焼石岳下山後100㎞移動して雫石のキャンプ場にテント泊。今日は2度目の秋田駒。3年前は9月で花の時期を過ぎていたのでムーミン谷には降りていない。今回は国見温泉口からまっすぐにその花の谷へ直行。狙い通りにドンピシャリ。大焼砂の斜面はコマクサが群れ、谷に降りれば一面のチングルマ、ヒナザクラ、そして初めて目にしたエゾツツジ。要所要所にシラネアオイ。標高差200mの壁を息荒く登りきれば横岳の稜線。そこにもエゾツツジ咲き誇り、空はあくまでも青く、眺望は抜群。北に森吉、遠く岩木山、東は厚い雲海の上に早池峰、南は昨日の焼石、その奥に栗駒、すぐ隣に和賀岳これは未だ見ぬ山。西には昨日に変わらぬ鳥海の麗姿。いやはや何とも贅沢な山旅・・・つづきは「山歩紀行」で。YouTubeも⇒こちらから どうぞ。
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7月8日 天空の大草原の小径行く  ⇒山歩紀行へ
ここは岩手の名峰焼石岳の山頂直下、標高1450mの天空に広がる大草原。ひと月前ならハクサンイチゲで一面真っ白になるという。左右に連なる焼石連山の峰々を仰ぎながら雄大な気分に浸って一本道を歩く。山頂稜線からは、眼前に富士と見紛う鳥海山の麗姿。遠く月山、南に栗駒、北には早池峰に岩手山、明日行く秋田駒、遠く森吉、みな馴染みの山々。本来は昨日から2泊3日で北岳山行の予定だったが、梅雨前線が南方を上下していて天候定まらず、急遽東北の山に変更。昨夜は麓のひめかゆキャンプ場に前泊して今日焼石岳、明日は秋田駒。予報通り天候に恵まれた。山行記録の詳細は「山歩紀行」でどうぞ。YouTubeで花と大草原と眺望もどうぞ ⇒こちらから
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7月5日 子育ての君にあげたい表彰状 ⇒猫額苑四季へ 
母は依然として戻らず、改装した部屋は無人のまま。その部屋の窓のすぐ外にアケビの棚がある。そこに初めてキジバトが巣をかけたのが先月の14日。今日、雄の呼び声に雌がいっとき巣を離れたその隙に、下から覗いたら雛が生まれていた。すぐに戻ってきた雌、まだ目も開いてない雛に餌をあげている。巣をかけてから3週間。雨の日も風の日も日射の日も、ずっと卵を抱き続けた番の2羽に、ようやったと表彰状を贈りたい気分。ずっと入院の母にこのことを知らせたいが果たして通じるかどうか。洗濯物を取替に、2,3日おきに病院へ通っている。眠っていることが多いが、時々目を覚ましていて頷いたり笑ったり。今度覚醒の時に話してみようか。ただ、この番、無人の部屋と分かって巣をかけたのなら、ちょっと辛い。写真中心部のアケビの葉の中に雌の頭と嘴が見える・・・その後の様子なども含め、つづきは「猫額苑四季」で。
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6月26日 捨てる神 拾う神 塞翁が馬  ⇒畑作記へ
禍福は糾える縄の如く、大概のことは何とかなって帳尻が合うものだ。去年400本収穫した長ネギ、だから今年は600本植えようと張り切って畑を作った。この日届いた苗を植え始めたら、作った畑が半分も余る。どうやら苗の注文数を間違えたらしい。さて如何にと思案中、隣の畑のお婆さんがやってきた。種を蒔いた苗が大量に余っているからあげるとおっしゃる。ありがたや天の助け。買った以上の苗をもらって、さらに一畝作り足した。人様の情けでこれまで何とか生きてきたようなもの。この後、玉ネギもニンニクも収穫できたし・・・つづきは、「畑作記」で。 
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6月23日 笹舟を童の心追いかける  ⇒山歩紀行へ
水路に笹舟を浮かべ、誰のが一番速いかと何処までも何処までも追いかける平均年齢○○才の童たち。今日は歴史館主催古道探索会第3弾。全道中13㎞中、山道は2㎞弱、残り11㎞はのんびりと田圃道のウォーキング。童といっても、その正体は前回の激烈藪漕ぎ山登りをものともしなかった強者たち。勇者は時に優者となるのでありました。行程など、つづきは「山歩紀行」で。 
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6月21日 朝駆けに護摩堂山の手まり花 ⇒山歩紀行へ 
紫陽花は別名の多い花、手まり花もその一つ。同期の会で護摩堂山の麓に一泊。朝飯前にとひとり山頂まで駆け上り、音に聞く護摩堂山のアジサイを検分。感想は、フムフム、これがと、ま、その程度。それよりも、護摩堂山が実に堅固な山城であったことに妙に感動。そんじょそこらの山城の規模ではない。紫陽花だけで名が知られてしまったとなれば、悔やまれてならない話。詳しいレポもないのだが、数枚のPhotoを「山歩紀行」でどうぞ。 
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<6/19記> 昨夜の激震には驚きました。あの揺れでも関川村は震度4だったとのこと。6強はいかばかりかと思うばかりです。ご心配頂いた皆さん、ありがとうございました。お陰様で当方は無事です。昨夜、山北の知人に電話したら避難所とのことでした。区長をしていてさぞ大変だったことでしょう。地域には被害も出ているとのこと。どうか気を付けてお過ごしください。
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6月16日 トコトコと しのつく雨のMyWay ⇒只管走記へ 
前日の大風が嘘のように消えて、ただ雨だけの関川マラソン。走り出して汗をかいてしまえば、濡れるのはどうせ一緒で雨は気にならない。日照りの暑さよりむしろ心地よいくらい。ここは7㎞で折返した直後の、まだ前半部。マイペースでトコトコと走る姿を監察のUnqさんが撮ってくれた。この後、12㎞からの長坂魔坂を登り切った丸山大橋で左ハムが攣り出しペースを落とし、結果は、6位入賞の一昨年より1分遅く2時間15分でゴール。去年は15㎞で棄権だったし、今年の目標は歩かずに完全完走なのだから、ま、良しとするべし・・・つづきは「只管走紀」で。 
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6月10日 お岩木に小桜咲けり 陸奥の ⇒山歩紀行へ
お目当ての岩木山は、今、ミチノクコザクラが真っ盛り。湿地や草地で見ることの多いハクサンコザクラと比べ、岩地の斜面に咲くミチノクコザクラは見ごたえがあった。どこがどう違うのかはよく分からないが、色といい姿といい、可憐というか清楚というか、ミチノクという名がついただけで随分違うような気がしたから、不思議なものだ・・・つづきは、「山歩紀行」でどうぞ。 YouTubeは⇒こちら
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6月9日 黄金崎不老不死の湯 日が沈む⇒風物記へ
遠征の山旅は途中の名所旧跡を訪ねるのも楽しみ。とりわけ滅多に山には登らないMissyさんやOkkaaにとっては花より団子の感。岩木山までの長い道中、八郎潟の寒風山、十二湖の青池、千畳敷海岸と見聞を広め、中でも泊まりのここ不老不死温泉は海端の露天風呂が絶品。その上、超格安の豪華食事ときて、日頃粗食節食に努める身を忘れ、関川マラソンの大会前だと言うのに胃袋仰天するほどに朝晩暴食。やっぱり花より団子だ・・・つづきは、「風物記」
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6月6日 ブナ林を抜けて小百合に逢いに行く  ⇒山歩紀行へ
 
Unqさんが登山本の分担執筆するとかで、光兎山のヒメサユリを撮影するのだとカメラを3台も担いできた。我ら二人に、花の引き立て役になれと言う。ギャラはノンアル1缶だと。この次の日が梅雨入りで、この日も朝は雨模様。だから、光兎山のブナ林は霧に煙る幻想の森、幽玄の雰囲気。滴るばかりの緑にたっぷりと染まった後で、お目当ての姫小百合とのご対面。Unqさん、たった数枚の掲載写真のために何百回シャッターを切ったことやら。さて、Youmyさんの方が主役を食ってしまっていなければよいのだが・・・つづきは「山歩紀行」で。
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6月3日 二ッ森 あの頂を頂いた ⇒山歩紀行へ
マラソン大会の翌日は、これまた恒例のクールダウン登山。今年は、同行のUnqさんとYoumyさんは別用があって朝早く帰途につき、Okkaaと二人で尾花沢の二ッ森へやって来た。700m程の低山なのだが、麓から見上げたOkkaaはあの坂を登るのは無理とはなからやる気なし。で、やむなく単独行。左は男山で若干標高が高いが登山道はなし。真ん中の鞍部に登りそこから右の女山へ。標高差300m1時間で山頂、いい汗かいて誰もいない頂をひとり占め・・・つづきは「山歩紀行」で 
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6月2日 ご褒美は佐藤錦とこの景色 ⇒只管走記へ 
一万数千人が走る東根さくらんぼマラソン。神町駐屯地の開放、沿道の応援・歓待、人気の理由は数々ある。なかでも、道脇の農家の方が差し出してくれる、両手いっぱいにこぼれるほどのサクランボ。走りながら口に入れる、その美味しいこと。それと、中間点辺りからの緩い下り坂で見るこの光景。周りはサクランボの樹々、遠くに朝日連峰から月山まで続く白い峰々。 この景色の中を走る自分に酔っている。あ、もう一つ、70歳ランナーになった一昨年から特別賞を頂いていて、今年も真っ赤な佐藤錦をGet・・・つづきは「只管走記」
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6月1日 贅沢に花に囲まれキャンプ二泊⇒風物記へ 
今や年中行事となった東根さくらんぼマラソンキャンプツアー。今年は大江町の大山自然公園がキャンプ地、そこはヒメサユリ咲き乱れる花の園。花の香をかき乱す芋煮鍋にバーベキュー、得も言われぬ香がたちこめて。それにもめげず、群落のヒメサユリの素晴らしいこと。とりわけ、朝夕、陽が低く林間に射し込む頃、ヒメサユリは七変化・・・つづきは「風物記」で 
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5月26日 藪漕いで嗚呼山頂に辿り着く ⇒山歩紀行へ 
古道を歩く会。標高差500mの山中を這いずり回ること10㎞、そのうち前半5㎞は完全藪漕ぎ。午後2時、ようやく藪道を脱して三角点山の山頂に辿り着き、一同ぐったり。しかし、ブナの林間を吹き抜ける風は涼やかに清しく、滴る緑は疲れ切った身体に心地よく優しいのでした・・・続きを「山歩紀行」でどうぞ。
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5月19日 今日はまた飯綱山で大展望 ⇒山歩紀行へ 
またまた山頂からの大展望。この日は北信濃の飯綱山1917.3m。高妻山を中心に、左に鋭い岩峰の戸隠山と西岳。右に雪を被った焼山、火打山、妙高山の秀麗な連山。妙高山の手前には黒姫山。高妻山の右奥に雨飾山の一部も見える。焼山と西岳以外は全て登った山々。それらをこちらから眺め渡す爽快さ、感慨一入・・・続きは「山歩紀行」で。   YouTubeは⇒こちらから
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5月12日 奥山の巨木の下に憩う人々 ⇒山歩紀行へ 
関川村沼の山奥にケヤキの巨木ありと聞き、20名近くの大人たち、物珍しくも弁当担いで谷越え峰越え。その難儀さとあまりの巨木さに只管驚き入り、やがて根元に車座して大宴会。その様子をドローン撮影。覆い被さる巨木の枝葉でこれ以上は上昇不可能。木の枝に衝突して墜落破損かと、操縦者は冷や冷やドキドキ・・・つづきは「山歩紀行」
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5月4~6日 常念から蝶 残雪の稜線歩く ⇒山歩紀行へ 
昨夏の槍・穂高縦走で、対岸の常念岳に何度癒されたことか。秀麗なあの三角形の頂点に立って、今度はこっちの稜線を眺めてみたいと何度思ったことか。その思いが実現した。しかも、残雪のこの時期に。雪の北アルプス踏破は写真でしか叶わぬ夢だった。3日間雲一つない快晴。2日目の朝、小屋から出れば常念に朝日が当たり赤く輝いていた。常念山頂は眺め放題の大パノラマ。残雪の名だたる山々、遠く奥黒部の山まで。登った山に挨拶を送り、まだ見ぬ山に唾を付ける・・・つづきは「山歩紀行」で。    YouTubeは⇒こちらから
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5月2日 山林の大桜を真上から撮る  ⇒林間記へ 
連休に息子夫婦が帰省して、彼らの大好きな山林で木の芽や山菜を採って天ぷらにした。ついでにと、ドローンの撮影を試みた。都会にはドローンを飛ばす場所はなく専ら室内で操縦練習だったとか。それがここではモーター全開、思い切り飛び回り、ちょうど満開の大桜の上空まで上がった。操縦を代わってみれば、思いのほか容易。山菜木の芽と交換でドローンは置いていってもらうことにした。遊び道具がまた一つ増えた・・・つづきは「林間記」
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4月28日 残雪の今だけの山 日向倉 ⇒山歩紀行へ
残雪期の雪山歩き程気持ちの良いものはない。まして、普段登山道のない山となればなおのこと。気分爽快、気宇壮大。おまけに雪上の焼肉とくれば、もうそこは天国、楽園。奥只見、日向倉山1431mの山頂は360度大パノラマ、眼前に越後駒ケ岳、少し離れて尾瀬の燧ケ岳、遠くに飯豊、弥彦、佐渡の島影までも・・・・・・つづきは「山歩紀行」で。    YouTubeは⇒こちらから
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4月22日 残雪の杁に桜がよく似合う ⇒風物記へ
この季節、桜の土手を走らない手はない。スマホ片手の花見ラン。カメラを向ければ定番中の定番、残雪の山に桜。これが俳句なら凡人中の凡人。さはさりながら、百人が百人、撮らずにはいられないのがこの光景。14キロ走の途中随所に足を止め、パチリパチリの凡人画像数枚・・・「風物記」でどうぞ。 
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4月20日 古の道を辿れば椿藪 ⇒山歩紀行へ 
歴史館主催「古道を歩く会」、先達などという少々こそばゆい名称の肩書をもらって道案内。2日前にUnqさんと下見したルートがGPSの軌跡になってスマホに入っている。だからスマホ片手のながら案内。道なき斜面の藪を漕ぐ、掻き傷擦り傷なんのその、もっともっと藪漕隊・・・つづきは「山歩紀行」
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4月18日 ジャガイモを植えて花見の老夫婦 ⇒畑作記へ 
土手の桜並木は今が見頃。その脇を米坂線の2両編成が颯爽と走っていく。ヤンマーポチ号が軽快にエンジンを唸らせて畝を立てる。Okkaaが伸びてきた草をむしる。毎年変わらぬ春耕の風景。変わらないことに価値がある。こうやってまた一年が始まる・・・つづきは「畑作記」
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4月14日 若い衆と互角で競う桜坂 ⇒只管走記へ
春爛漫の笹川流れマラソン大会。記録はさておき、歩かないこと止まらないこと。まさかの魔の坂桜坂、そこも止まらず完全完走。空は快晴、爽やかな海風、それに沿道からの板垣さんの声援。60代の若い衆と互角の戦い、気持ちよく走れた・・・つづきは「只管走記」
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4月7日 よく来たねまた来いねと山の花  ⇒林間記へ
関東に暮らす息子夫婦が入院中の母つまり彼らの祖母の見舞に来てくれた。お陰で久し振りの里帰り、夕食を共にして翌日は彼らの大好きな山林へ。花を眺めたり、野鳥を探したり。肌寒い曇り日でカタクリは花を閉ざしていたが、コシノコバイモが慎ましやかに咲いていた。嫁さんの一番のお目当ては蕗の薹、どっさりと持って帰って、また連休には来れると言う・・・つづきは「林間記」
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4月2日 時ならぬ雪 主を待つ梅襲う ⇒猫額苑四季へ
庭の梅、妹が来ると母は「あの梅はオレが梅だから、実が生ったらもいで持っていけ」などと、長年手入れをしている私を無視してそう言う。その梅が今年は例年になく見事に花をつけたというのに、主は病に倒れて運ばれまだ帰ってこない。今日、満開のその花に無慈悲にも時ならぬ雪・・・つづきは「猫額苑四季」へ。 
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3月27日 春一番 花は角田の雪割草 ⇒山歩紀行へ 
風のことではない。春一番の山登り。公民館登山の下見なのだが、期せずして去年と一日違いの日の角田山となった。今年は春が早かったから花は終わっているかと思いきや、なんのどうして、雪割草もカタクリも去年と同じ姿で出迎えてくれた・・・つづきは「山歩紀行」で。
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3月17日 ヘボなりに 無心で走る心地よさ  ⇒只管走記へ
山も行かず、特段書くこともなく、すっかり「綿野舞の記」をサボってしまったが、せっせと走り込んでいた。それで、この日は新潟ハーフマラソン大会。 「無理しない、がんばらない、欲張らない」シルバー三ない運動を肝に銘じたお陰で、実に気持ちよく完走できた。やはりマラソンは完走しなければ意味がない・・・続きは「只管走記」で。
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1月6日 雪五頭や テントの中の新年会  ⇒山歩紀行へ 
登り初めは、ここのところほぼ毎年雪の五頭山。去年はカラッと晴れ渡って飯豊連峰に大佐渡山脈、遠くは磐梯山やら鳥海山までも見えたのだが、今年は打って変わって降雪日。眺望はなし。でもそれはそれで、新雪の五頭の魅力は格別。とりわけ標高800mを超えたらそこは別世界。白雪姫でも眠ろうかという幽玄の森。三ノ峰にテントを据えて、小人さんならぬ4人揃って賑やかに、アホーイホイヨドンジャラ・・・つづきは「山歩紀行」で、どうぞ。
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1月1日 初春や 友銀メダル 我シルバー ⇒只管走記へ
明けましておめでとうございます。早々に年賀状をお送りいただいた皆様、ありがとうございました。返信をこれから作製いたします。横着をお許し下さい。
さて、今年の元旦マラソンは、生憎の悪天。みぞれ混じりの降雪、路面は湿雪が数センチ積もりビチョビチョ。足はとられるは、手足は濡れて冷たいはで、5回目にして最悪の状況。そんな過酷な状況下でも、Unqさんは何と堂々の銀メダル。何しろ1着との差はたったの1秒。お見事、天晴れの成績。で、肝心の私はと言えば、シルバーエイジの三ない運動実施中「がんばらない」「むりしない」「よくばらない」。だから当然・・・つづきは「只管走記」で。今年も「綿野舞の記」綴ってまいります。ご愛読の程。
さてさて、2019年が始まりました。歴史に残る御代替わりの年、ネット上では「安久」年号の予想もあるやに。とまれ、皆様にとりましてどうぞ良いお年でありますように。
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