綿野舞(watanobu)2018 日々是帖    ~綿野舞の記TOPへ~ 


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アーカイブ
2018
12月
25 不動堂山
2  ネギ収穫
11月
25 岩櫃山
14 大境山

8  マラソン
10月
28 倉手山
25 倉手山
22 田代高原
8 マラソン
9月
24 西大巓
18 谷川連峰

13 ハチ戦記
11 古道下見

8月
27・28 天狗岳
5~8 黒部源流

7月
26 河内古道
20・21 月山
18 奥穂・前穂
17 大キレット
15・16槍・穂高
9 燕岳
8 燕岳
2 木曽駒ケ岳
1 入笠山
6月
22 お城山
19 畑
17 マラソン
10 長峰山
4  東黒森山
3  マラソン
2  空気神社
5月
27 御神楽岳
23 長峰山下見
20 朴坂古道
11 竹林の記
8  高坪山
6  黒姫山
4  富士川SA
1  瑞牆山
4月
30 荒船山
26 妙義山
22 五頭山
19 古道下見
12 五頭山

8  マラソン
3  畑
3月
28 角田山
21 坂戸山
18 マラソン

11 柿・梅剪定
6  梅とイチゴ
2月
25 飯士山
18 冬籠り
14 スキー

9  雪下し
1月
28 西吾妻山
20 高坪山

13 寺泊
8  五頭山
1  マラソン


年次別
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2011
     
渡辺伸栄watanobu  新潟県関川村在住
12月25日 霜柱 踏み踏み登る 冬越後 ⇒山歩紀行へ
朝起きたらうっすらと雪景色、路面は凍結。予報は午前陽射しあり。もしかしたら新雪の凄い光景に出逢えるかもと、淡い期待で登ってみたものの、五泉の不動堂山は乾いた落ち葉に霜柱。これでは関東の山と変わらない、と思いきや山頂に一陣の吹雪風・・・つづきは「山歩紀行」
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12月2日 長葱を 抜いて畑作 締めくくり   ⇒畑作記へ
山とマラソンばかりでなく、実は畑も結構真面目にやっていたのです。この日、ナガネギを収穫して今年の畑作終了。10月のサツマイモ収穫から始まってこの日まで、暑い夏を乗り切った実りの秋は、畑作の楽しみ・・・つづきは、久しぶりの「畑作記」 
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11月25日 今日もまた キレット組は 岩攀じる ⇒山歩紀行へ
群馬の岩櫃山は、大河ドラマで知られた真田氏の本拠地。城址のある東側から登ればハイキングコースだが、西側から登る密岩通りのルートは超難度の岩稜コース。麓から見上げれば、岩稜にすっかり魅せられた大キレット組も口をあんぐりの、鋭い岩峰が幾つも屹立する岩の殿堂。途中には、天狗の架け橋と称する蟻の戸渡りも。さて、今回の首尾は・・・つづきは「山歩紀行」
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11月14日 天空の桟敷で交わすノンアルビア ⇒山歩紀行へ
晩秋のこの時季にしては珍しく大晴天の日、カサカサと気持ちの良い音を立てて落ち葉を踏み踏み大境山山頂へ。急登の先にあった頂は、360度大展望の絶景。何はともあれとノンアルビアを取り出して、天空の桟敷よろしく大見物。バックはもちろん我らが故郷関川村・・・つづきは「山歩紀行」
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11月4日 あわよくば 2時間切りか 腰砕け ⇒只管走記へ
五泉マラソン、今年はフルがなくハーフ。いつもの如く今回も、事前練習順調、当日体調万全で、2キロからハイペース。この調子だと念願の2時間切りなるかと夢を描いたのも束の間、10キロ過ぎて疲れが出、15キロでペースダウン、17キロの下り坂で足が攣り大失速。ま、それでも立て直して歩かずに完走したのだし、それに何より、一昨年のこの大会ハーフの記録は僅かながら更新したのだから、それで良しとするか・・・つづきは、「只管走記」
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10月28日 秋深く 善男善女 山に入る  ⇒山歩紀行へ
関川村公民館の健康登山は、我らが会の請け負い行事。村内外からの参加者四十数名、倉手山頂は貸し切り桟敷でちょうど満席。秋を彩る木々の色が善男善女の顔を染め、うっすら雪模様の飯豊連峰は、色気喪失を恥じ入るように雲のベール。願いは天に通じ、一行が山中にいる間だけ雨は止まっていてくれた。本年3回目の健康登山最終回も大成功・・・つづきは「山歩紀行」
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10月25日 燃える木々 そぼつ秋雨 倉手山  ⇒山歩紀行へ
3日後に予定している公民館登山の下見で倉手山へ。生憎の雨模様ながら、山形県小国町の玉川流域は、今が紅葉の最盛期。ドラゴンドラの紅葉で腰を抜かした人々がここへ来たら一体どこを抜かすだろうかなどと、思わず冗談を言いたくなるほどの見事な紅葉・・・つづきは「山歩紀行」
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10月22日 苗場山麓 無汗 空中散歩   ⇒山歩紀行へ
銘打って「池田会長と行くドラゴンドラ」。阿賀北山岳会、その仰々しい名に似合わずたまにはこんな山行もあるというのがこの会の魅力。ドラゴンドラとリフトを乗り継いで、一垂れの汗も無いまま標高1400mを越える田代高原に立った。バックには苗場山と神楽ヶ峰・・・つづきは「山歩紀行」
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10月8日 去年よりタイム縮めた 良しとしよ ⇒只管走記へ
不本意ながら6時間を切るのがやっと。原因は暑さということにしておこう。ゴールしたら係のお姉さんが、この枠で記念写真を撮りませんかと言う。笑顔でと言われて笑おうとしたら突然右足が攣って、苦痛と笑顔混合の写真を撮られた。これも記念の一つ。貴乃花は去り、輪島は逝った。果たしてあと何年こんなことをしていられるものか・・・つづきは、「只管走記」
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9月24日 磐梯の 木の葉色づく 西大巓   ⇒山歩紀行へ  
9月はどうにも天候が整わない。この日は一泊で唐松・五龍の予定が、晴日は24日だけで25日は大荒れ予想。止む無く日帰りの西大巓へ、山スキーの候補地でそのための下見を兼ねて。来てみれば、高山は早くも秋の装い、一足早く紅葉を楽しめた。ここはアサギマダラの飛来地か、ゴンドラ山頂駅の付近でマダムバタフライ・・・つづきは「山歩紀行」
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9月18日 雲中の 谷川連峰 プチ縦走   ⇒山歩紀行へ  
炎暑の8月は山には好機だったが、9月は一転長雨続き。この日も秋雨前線活性化、谷川連峰は予報と打って変わって雲の山。それでも、谷川岳から茂倉岳までの稜線歩き、高山に雲もまたよし、雲中人の心意気。紅葉のはしり、初秋の草花、草紅葉・・・つづきは「山歩紀行」で。
今日22日の「古道を歩く④名倉古道」は雨のため中止となりました。折角の歴史街道、いずれまた実施する機会があると思いますので、レポはそのときに。
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9月13日 やられたら やり返すのが 世の決まり ⇒林間記へ
少し涼しくなって林間で焚火?否否、そんなのんきな話ではなくて、オオスズメバチにやられ、10日もかけての復讐戦。やられたらやり返す、倍返しだ-・・・詳しくは、「林間記」
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9月11日 人絶えた 歴史の道に ツリフネソウ
今月22日(土)に関川歴史館主催「古道を歩く④」があって、今日はその下見。今回の探索道は当村安角(あづみ)と沼の集落を繋ぐ「名倉古道」、名付けて「往古の歴史街道」。米沢街道13峠が開削整備される以前の古街道。後醍醐天皇の側近・藤原藤房にまつわる伝説の名倉観音が祀られていた道。安久館長さんと二人、道なき道を弓手(ゆんで)にGPS、馬手(めて)に鉈、迷路の森を徘徊。藪道には山野草・・・ツリフネソウ、モミジガサ、ゴマナ、ヨメナ、タケニグサ、ハンゴンソウ、ヒヨドリバナ、クサギ・・・行き交う人の絶えた道、誰に見られるともなく咲く花は、まさに今日の我ら。藪漕ぎ沢漕ぎして、どうにかルートを見つけ地図を作ることができた。古道の詳細は本番当日の「山歩紀行」にレポします。
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8月27~28日 行く夏も 時の流れの 八ヶ岳   ⇒山歩紀行へ
西天狗岳の頂から南八ヶ岳の展望。右奥から、二つの尖がりは阿弥陀岳と赤岳、その左方に岩峰が少し見える横岳、その手前の爆裂火口が硫黄岳、中央の雲湧く山は根石岳、そこから左へ吊り尾根で繋がる東天狗岳。さらにそこから左方には、蓼科山まで続く北八ヶ岳の山々が並ぶ。壮観だ。これらの山々、130万年前からの噴火火山の連なりで、阿弥陀岳の辺りには富士山より高い山があったのだとか。天狗の頂で悠久の時を思い、4年前の赤岳~硫黄岳山行を懐かしんだ。思えば今夏は、特別に充実の夏山行だった。秋の気配微かな頂で、行く夏を惜しむ。季節の移ろいも、過去の山行も、130万年の時間も、個人の想念の中では全て流れ行く一瞬の泡沫。一瞬一瞬を積み重ねてきた八ヶ岳の山容に刹那の語が浮かぶのは、夏が行くからだろうか・・・つづきは「山歩紀行」で。
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8月5~8日 四日かけ 黒部源流 大周回   ⇒山歩紀行へ
観光客で賑わう黒部ダム、あのダム湖の奥にこんな別天地があろうとは。ここは中部山岳国立公園の中心部。日本のヘソ、最奥地、秘境。畏敬の念を込めてそんな言葉が浮かぶ地。沢々が集水領域を争うかのように複雑に入り組んだ谷。そこを取り巻いて、3000m近くの名だたる高山がずらり。穏やかな稜線歩きと思いきや、400~500mのアップダウンの繰り返し。折立から太郎平に上り、そこから反時計回りに写真のピークを辿って(双六岳はルート外)大周回。4日間で歩いた距離は沿面で54㎞。先月、燕岳から眺めた奥黒部の稜線の裏側、行ってみれば想像をはるかに超えた絶景の地。やはり、山は登ってみなければ分からない・・・つづきは「山歩紀行」で。   YouTubeは→こちらから
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7月26日 廃道に 踏み入れば ヒル踊り出す  ⇒山歩紀行へ
歴史館行事「古道を歩く③」。今回は、かつて関川村蛇喰集落と旧神林村河内集落を結んだ峠越えの道。河内がご実家というUnqさんの母上に因んで、勝手に名付けて「花嫁行列の道」。ところが今は完全な廃道。久しぶりの人肌に喜んだのか、ヤマビルの大歓迎に遭遇して、参加者もまた大歓声。否否、13日前にUnqさんと二人で下見した際のヤツラの喜びようときたら、こんなもんじゃない。何しろ雨上がりの日だったものだから、テキは上から降って来て、背中に首に。長靴の上では、大勢で立ち上がり盆踊り状態。幼少のみぎり、この道を通って母上の実家へ遊びに通ったというUnqさんを大歓迎大歓待だったのです。それから見れば、乾燥の続いたこの日の出場者は少な気味。それでも・・・つづきは「山歩紀行」
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7月20・21日 天空は 天然クーラー 別天地  ⇒山歩紀行へ
21日は、阿賀北山岳会の主管で村公民館主催の健康登山。月山は、前日までの晴天が打って変わって終日ガスの中。それが幸いして、まさに天然クーラー状態。花盛りの登山道で、ここは極楽か天国かと、Okkaaはじめ参加者一同大満足。前日の20日は、この日のための下見登山。途中途中の雪渓にステップを刻んだり、花の状態を確かめたり、入念準備のお陰で本番大成功。花盛りの月山・・・つづきは「山歩紀行」で。   YouTubeは→こちらから
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7月18日 槍・穂高 万尺八峰 岩攀じり③  ⇒山歩紀行へ
最終日の4日目は、穂高連峰の主峰・奥穂高岳に攀じ登り、大展望。そこから吊り尾根を通って前穂高岳へ。遥か眼下には3日前に通った上高地の道。そして、下りは急傾斜の重太郎新道。岳沢経由で上高地へ。いやはや緊張と感動の連続、充実感抜群大満足の4日間でした。・・・つづきは「山歩紀行」で。   YouTubeは→こちらから 
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7月17日 槍・穂高 万尺八峰 岩攀じり②  ⇒山歩紀行へ
 
第3日目は、いよいよ難関・大キレットを通過して北穂高岳へ。垂直下降、ナイフリッジ、垂直登攀、岩稜との格闘。北穂の後は涸沢岳越え。ここがまた大キレットに勝る岩稜地帯。緊張の連続でへとへとになって、穂高岳山荘に到着。そこの夕景がまた抜群。ただ、私のカメラには核心部の撮影はほとんどなくて、Unqさん撮影のハラハラ場面とYoumyさん撮影のほのぼの場面の写真を加えて、(花の写真も借りました…花撮りの余裕もなかったもので)どうにかYouTubeにアップしました。→こちらから
大キレット通過の山行録を、ようやく「山歩紀行」にアップしました。いずれ行きたいと思っている人、必見です。多分行かないだろうと思っている人、絶対行かない人も、こんな山もあるかと一見の価値ありです。あ、すでに行った人、思い出にどうぞ。
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7月15・16日 槍・穂高 万尺八峰 岩攀じり①  ⇒山歩紀行へ
阿賀北山岳会夏の大遠征は、槍・穂高縦走の4日間。難コースで名高い大キレットを越えて槍・穂高連峰の一万尺8峰を踏破する。第1、2日目は、槍沢から槍ヶ岳、大喰(おおばみ)岳、中岳、南岳の4峰踏破・・・つづきは「山歩紀行」で。YouTubeは→こちらから 
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7月9日 朝日射し 目覚める峰に ご挨拶  ⇒山歩紀行へ  
燕岳の2日目。絶好天の朝、早起きして日の出を待つ。雲海の彼方から射し込む朝日に照らされる峰々。常念、大天井、槍。槍に続く奥黒部の山々、双六、鷲羽、水晶、野口五郎、針ノ木等々のまだ見ぬ名高き山たち。燕岳の山頂を越えて北燕岳まで足を延ばせば、懐かしい立山三峰、別山、剱が目の前に。そして、鹿島槍、さらには高妻、妙高連山と既に顔見知りの山たち。雲海の果て遠くに、四阿山、富士山、八ヶ岳、南アルプスのシルエット。その上、足下の稜線にはコマクサの大群落、シナノキンバイとオオサクラソウの花畑。なんとも贅沢な天上界を満喫したのでした・・・つづきは、「山歩紀行」で。   YouTubeは→こちらから 
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7月8日 霧晴れて 夕日の峰は 奥黒部 ⇒山歩紀行へ 
燕岳一泊山行の1日目。霧雨の中、三大急登といわれる登山道を登り燕山荘から山頂ピストン。が、稜線は雲かかり、時々槍が顔を覗かせるものの眺望は皆無。それが夕刻になって、日没直前、一気に雲が晴れ槍に連なる奥黒部の山々が全貌を顕わにしてくれたものだから、山荘前に集まった登山人は茫然自失の態。まだ見ぬ名高き山々に只管敬意を表す。そして、すでに旧知の槍、立山、鹿島槍を見て懐かしさ一入。只々うっとりと見入るのでありました。燕名物コマクサはじめ高嶺の花々と共に夕焼けの絶景を・・・つづきは、「山歩紀行」で。  YouTubeは→こちらから
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7月2日 今日もまた 高根の花と 大展望 ⇒山歩紀行へ
三度目の木曽駒ケ岳。前回は手も足も出なかった宝剣岳の岩の上にも登れたし、その上、最高の大晴天、大展望。眼前の南アルプスは雲一つなく、これまで登った八ヶ岳から塩見岳まで一望、あそこから何度こちらを見たことやら。さらには、まだ見ぬ悪沢、赤石、聖の峰々が続き、そして中央に富士。雪解け直後の千畳敷には、名だたる高山の花々が咲き始め、ここはやっぱり別天地・・・つづきは、「山歩紀行」で。  YouTubeは→こちらから 
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7月1日 湿原に 行き交う人を 笑ます花  ⇒山歩紀行へ 
木曽駒登山の前泊日は、入笠山で花めぐり。ソフトアイスを食べてから、ゆったりのんびりハイキング登山。目の前に横たわる八ヶ岳は雲に覆われていたものの、湿原にはヤマオダマキはじめアヤメ、クリンソウ、ヤナギラン、ニッコウキスゲなどなど、今が盛りの花を愛でるハイカーたちでかなりの人出。珍しい釜無ホテイアツモリソウも・・・つづきは、「山歩紀行」で。   YouTubeは→こちらから 
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6月22日 人一人 抜けた地上に 夏陽射す 
40余年もの長い間お世話になった先輩が他界した日、ご遺体にお別れの挨拶をしたその足でお城山に駆け登った。強く意図したわけではないが、足が向いたといえばいいだろうか。眼下に、氏の愛した村上の町があった。釣り好きだった氏が通った三面川と日本海が見えた。人一人失せたというのに、町は何も変わることなく夏の陽を受けてキラキラと光っていた。不条理に思えて長く見ていることはできなかった。駆け下ったらあっという間に麓、物足りなくてもう一往復。忘れていたがそういえば、七曲とはいうけれど実際は九曲の坂道だった。曲がり角が幾つあろうとも、残された者は生きて在る限り前へ進み続けるしかない。それは「生」に付随する「行」。自分にとって走ることは行。行なら、山道を走るのもありかと、そんな気がしてきた。 
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6月19日 炎天下 自作自演の 収穫劇     ⇒畑作記へ 
畑作人の一番の楽しみ、それは言うまでもなく、”収穫”。苦労して・・・というほどには苦労していないのだが・・・自分で育てた作物を食べる行為は嬉しさ一入、味が全く違う。昔から「四里四方の野菜を食べて医者いらず」と言われている。産食直結が最も望ましいということだ。で、今日はタマネギとニンニクの収穫・・・つづきは、久しぶりの「畑作記」 
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6月17日 しょんぼり 悄然 意気消沈    ⇒只管走記へ
UP・DOWN関川マラソン大会。スタート前の微妙な時間、間を持たせようと弁舌をふるうUnqさん。軽妙な話術でランナーの緊張を和らげてくれている。この日に限ってまぶしいばかりに陽射しジリジリ。9時20分スタート。あわよくば今年も入賞などと欲をこいて颯爽と飛び出したものの、結果は惨めにも15㎞で棄権・・・つづきは、「只管走記」で。  
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6月10日 蘭終わり 一薬草咲く 峰の道   ⇒山歩紀行へ
歴史館行事「古道を歩く②」の本番日。総勢26名、長峰山から杉王山の長い尾根道をゆったりと歩いた。先月23日の下見時に見つけたギンランはすでになく、代わって、山道にはツルアリドオシやコナスビの小さな花が今盛り。珍しいことに、まだ蕾だがイチヤクソウの株が見つかった。高山遠征時にはたまに見かける花だが、こんなすぐ近くの山にもあったとは・・・つづきは「山歩紀行」で。 
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6月4日 朴の葉を 回せば戻る 幼き日   ⇒山歩紀行へ
東根マラソンの翌日は、恒例の登山。白鷹山塊にある東黒森山767mへ。登山口の標高が550mくらいだから、往復2時間程度の軽登山。山頂に朴ノ木が生えていて、その木の葉を使ってUnqさんが器用にも風車を作ってみせた。それがまた、よく回るのでOkkaaもびっくり仰天。つづいてYoumyさん、Unqさんから風車を受け取ると山頂の広場をグルグルと駆け回り始めた。回る回る。幼い頃、朴ノ木の風車を作って畦道を駈けたのだと言う。四人の顔は、いつしか童の顔になっていたのでした・・・つづきは「山歩紀行」で(動画あり)。 
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6月3日 5回目で 最長不倒の 記録立て   ⇒只管走記へ
暑かった。朝からカンカン照り。スタート前、ゲストの瀬古さんと千葉さんが、「今日は記録を狙う日ではありません。気温が上がっています。無理をしないで楽しく走ってください」と、何度も何度もがなっていた。さすがはプロたち、その通りだった。8㎞でへばってしまい残りの13㎞は、水を被り被りタラタラと走り、どうにか熱中症は免れたものの2時間28分もかかってゴール。マラソン5年目にして、今日のがハーフの最長不倒記録。それでも、高齢者特別賞はがっちりいただいた。が、あてにしていた高級サクランボではなく、今年は特製バスタオル。それを顔に当てて、サクランボマン気取りで写真を撮ってもらっていたら、Unqさんが突然攣り始めた足を突き出した・・・つづきは、「只管走記」で。 
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6月2日 空気への 感謝の祈り 作法あり   ⇒風物記へ
東根マラソン前日は、朝日山麓家族旅行村に前泊。行ってみれば何やらお祭りの賑わい。「空気神社の空気祭り」とのこと。そりゃなんじゃ、一体?と、首をひねりながら山道を上がっていくと、ここが空気神社。神殿はなく、巨大な鏡が横たわる。祭礼は、この鏡の上で巫女舞が行われたのだという。隣の小屋の中で巫女を勤めた少女たちが寛いでいた。拝礼の作法は、二拍四礼して最後に両手をV字形にして空にかざす。なくてはならない空気への感謝のしるし。なんと、NHKが取材に来ていて、我らの拝礼姿を撮影した。その後に来たのが、若者のこの集団。多分、放映には若者の方を使ったのでは・・・つづきは、「風物記」で。 
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5月27日 大岩盤 遅い雪消に 春の花   ⇒山歩紀行へ
御神楽岳(みかぐらだけ)。大岩盤の威容を誇る山。麓から見上げれば近寄り難い。が、入って見れば、新緑の柔らかいブナの森。雪消の谷には咲き始めたばかりのサンカヨウ、キクザキイチゲ。稜線に出ればタムシバ、コブシが咲き乱れ、シャクナゲ、ムラサキヤシオが競い合い。そして、山頂に立てば360度の大パノラマ。人には添うてみよ、山には登ってみよ。確かに、直に触れてみなければ本質は分からない。御神楽岳、その名の通り優雅で奥ゆかしい、いい山でした。とはいえ、ぬかるみの道に尻餅ついて泥ズボン・・・続きは、「山歩紀行」で。 
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5月23日 ギンランの 一株咲いて 峰の道
 
長峰山でギンランを見た。4年前の鳥坂山で初めて見て以来2度目。来月10日の歴史館行事「古道を歩く」第2回目は、この長峰の道を歩く。かつては山頂に杉王権現奥宮が祀られ、上関集落民参拝の道だった。それが超高齢化の波に抗しきれず神様に麓へ下りていただいて、道が消えつつある。もっと古くは修験道の時代、峰を駈ける山伏の道だった。だから「古道」2回目のテーマは、格好よく「信仰の古道 修験峰駈けの道 長峰を歩く」。今日はUnqさんと二人、そのための下見。長峰の山道に、この花が咲いていた。この一株だけ、ほかにはない。高坪山のシラネアオイといい、西山のヒメサユリといい、ここのところ一株だけの花との出会いが続いている。これまで、花は数だと言ってきたが、人知れず山中に一株、楚々と咲く花も慎ましやかで、いい。 
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5月20日 藪の中 スマホ先導 隊列進む   ⇒山歩紀行へ
関川歴史館主催「古道を歩く①朴坂~松沢」の実施本番。道なき山の藪漕ぎ隊を先導した。頼るは、スマホのGPS。前回の下見で取ったGPSログを25000分の地形図に取込めば、ルートができる。自位置と向きが常に地図上に出るので、それを頼りにルートを辿ればよい。もちろん、予備電池は必携。スマホに頼り切るのは危険だから、前回つけた目印で現在地を確認する。先導はそれで何とかなるとして、大人数の藪漕ぎ、後続が繋がってこれるかどうかが大問題。今回は阿賀北山岳会会員と役場職員の応援があって、小人数の班編成ができた。そのお陰で、ルート確認、人員掌握が的確になされ、安全が確保できた。これだけの大人数が藪に分け入ったら一体どうなることかと、正直、少々の恐怖も覚えたのだが、さすがは山岳会のチームワーク態勢とUnq館長さんの入念な事前配慮、それと参加者の適度の緊張感と行動力の高さ、それらの相乗効果が無事遂行の大要因だったと思う。「おもしろかった」と言ってもらえたのが最大の喜び。もちろん、「次回はもう少し楽なのにして」という要望ももっともなこと・・・つづきは「山歩紀行」で。 
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5月11日 竹林で清談を聴く車葉草    ⇒林間記へ
雪折れの竹をようやく片付け終えたのが16日。その前、11日にNaruさんが蕨採りを兼ねて遊びに来た。コーヒーを沸かして一服。倒竹を切払い片付けたら、竹林はスカスカになった。今年の筍は掘らないで全部立ててやらないとだが、どうにも出が悪い。例年だと、竹林の周囲に出た筍だけで自家用も配布用もほとんど間に合っていたのに、今年はまだ殆どどこにも配っていない。倒竹の始末は終わったが、まだ斜めになったままの竹が数十本残っている。このままでは、次の雪で倒れるから冬までには切ってやらなければならない。その前に、筍が続々と伸びてくれるようでないと、竹林はほんとに疎らになってしまう。大変だ。青シートの前の白い小さな花がクルマバソウ。どんな花か・・・つづきは、久しぶりの「林間記」で。
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5月8日 幻の名花探して大縦走   ⇒山歩紀行へ
高坪山に幻のあの名花が咲くという。13日、その花を探して高坪山の端から端まで大縦走しようという関川村公民館の事業。例によって実施請負は我ら阿賀北山岳会。それで、今日は事前下見。胎内樽ヶ橋袂の登山口から、最近整備された貝附城址に下る平面歩行距離約11㎞、沿面距離はおよそ12㎞、山のベテラン3人でも8時間の長丁場。高坪山は600m足らずの里山低山だが、どうしてどうして、大縦走してみると奥が深い。黒川城や貝附城には堀切、切岸、本丸などの山城跡多数、稜線には鬱蒼とした巨大ブナの林、足下には咲き散らばる山野草、眼下には瑞穂の国の豊かな風景、遠景は日本海に粟島、飯豊連峰。そして、ありましたありました!幻の名花。その高貴な姿は・・・つづきは「山歩紀行」で。
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5月6日 残雪に アイゼンの跡 クマの跡   ⇒山歩紀行へ 
上信越道を通るたびに見上げている黒姫山、なんとなく簡単に登れる山という感じで見ていた。それがどうだ。登ってみれば、残雪の斜面は、あの石転び沢の雪渓を思い出させるほどの急傾斜と高度差。立木がある分、あの雪渓ほどの恐怖感はないのだが、固く締まってピッケルもよく刺さらない雪面の急坂にアイゼンの爪を食い込ませ、一歩一歩踏ん張って登る苦労は並みでない。そんな先行者のアイゼン跡かとみれば、なんと熊の足跡。この急傾斜雪面をアイゼンもつけずによくも歩けたものだと、クマ公に妙に感心したりして。感心したのはもう一つ、麓で見かけた白花のエンレイソウ。こんな珍しい花が登山道に沿って点々と咲いていた。そして、辿り着いた山頂からの絶景・・・つづきは「山歩紀行」で。
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5月4日 来てみれば やっぱりすごい 富士の山 
中学生になったMargoの顔を見に京都へ。連休山行の狭間でトンボ返り。ただ北陸道ピストンではつまらないと、帰路は名神・東名経由。期待通りに富士川SAでこの景色。日本人として生まれたからには、伊勢と出雲と、もう一つ富士山頂の浅間神社に参拝すべし。と、勝手に思いつつ富士だけが果たせていない。計画はすでにできている。もちろん、バスツアーで団体日の出参拝などという世俗まみれの登山をするつもりはない。じっくりと計画実行のチャンスを待っている。富士が片手をあげて小さく手招きしているように見えた。 
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5月1日 今日もまた 断崖の上 風受けて   ⇒山歩紀行へ
瑞牆(みずがき)という厳かな名が、遠いこの山に憧れを抱かせる。近づいて見れば、針の山か岩の塔かと思わせる峻厳さ。登ってみれば、絶景、絶景また絶景。そそり立つ岩の上に辿り着けば、そこは爽やかな陽の光と風を受ける断崖絶壁の上。目の前に八ヶ岳の全貌、少し離れて南アルプス、中央アルプス、そして富士山。すぐ隣には、一昨年登った金峰山。行き交う登山人は若者が多く、しかも皆、爽やかで穏やかでにこやかで。山が人をそうさせるのか、そういう人たちだから山へ来るのか、若者よ山へこそ来たれ・・・つづきは「山歩紀行」で。
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4月30日 断崖でいさる子を 肝潰し見る  ⇒山歩紀行へ 
断崖絶壁で知られる荒船山。家族連れの小っちゃい子がやって来て、駈けてみたり片足で立ってみたり。多分、台地の端っこがどうなっているか理解できないのだろう。そこは300mはゆうに超す垂直の崖の上。空中に浮かんだような気分でつい嬉しくて、吾らの方言で言えば「いさって」いる状態。親も注意はしているが、どうにも深刻度が薄いよう。見ている吾らの方が肝をつぶして、「アブナイ、アブナイ!」 因みに「いさる」は「いい気になって威張りはしゃぐ」の意。そういう私も、写真では年甲斐もなく結構いさってる・・・つづきは「山歩紀行」で。 
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4月26日 岩登り お転婆連の 大冒険  ⇒山歩紀行へ   
 
妙義山麓のさくらの里を訪ねたつもりが、花より団子とばかりに、石門巡りへ。コースは「関東ふれあいの道」とあるからハイキングコースかなと、登山口から入って見れば、なんと鎖場の連続。その名も恐ろしい「カニのよこばい」「たてばり」に「つるべさがり」「片手さがり」ときたもんだ。かつてのおてんば嬢も今は正真正銘お転婆連、鎖を握るや登るわ下るわ。冷や汗流しながら見上げた巨大アーチにびっくり仰天、そして絶壁に立てば世界自然遺産「武陵源」もかくやと思わせる絶景・・・つづきは「山歩紀行」で。 
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4月22日 健康は社会の宝だ 山登ろ   ⇒山歩紀行へ
健康は個人の財産。それは勿論として、今やまさに社会の財産。関川村公民館では「健康登山」と銘打って年3回の登山を計画、吾ら阿賀北山岳会が全面的に事業の実施を請け負っている。今回はその第1回目、残雪と新緑の五頭山へ。老若男女30名、五頭の五峰を全て踏破し歓声を上げるこの健康な姿を見よ。いずれも自他共に許す山好き人、これほどに喜んでもらえれば、スタッフ冥利に尽きるというもの。つづきは・・・「山歩紀行」 
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4月19日 擦り傷は 野性の(しるし) 藪を漕ぐ ⇒山歩紀行へ 
5年ぶりぐらいだろうか、関川歴史館の古道探索会が復活することになった。記念すべき復活初回は来月20日、当村朴坂集落と旧神林村松沢集落を結ぶ山越えの道を歩く。今日はそのための事前下調べ。Unq新館長入魂の事業となれば気合を入れて助っ人せずばと、押っ取り刀で駆け付けた。文字通り、左腰に鉈、右腰には熊スプレーといういでたちで。古道探索といってもレベルは色々あるが、今回のはもう痕跡すらないという幻の古道探しで、ハイレベル。いやはや歩いた歩いた。たかが7㎞程の尾根伝い山越えとたかをくくっていたが、道なき山の藪漕ぎは想像以上、結局なんと6時間も費やしてしまった。本番当日は、参加者の顔ぶれによってはコースを配慮すべきかもと、少々弱気にも。それにしても、地図を頼りの藪漕ぎ登山には、野性の覚醒というか登山道登山とはまた異なった趣があって、サルトリイバラによる脛腕の引っ掻き傷もなんのその、自然回帰本能をたっぷりと満たしてくれるのでした。つづきは・・・「山歩紀行」 
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4月12日 花探し雪消の五頭で歩を止める  ⇒山歩紀行へ
雪消はどこまで進んだろうか、もうイワウチワは咲いただろうか。残雪の山々を見上げながら気持ち膨らむこの季節、関川村公民館では毎年、早春の健康登山を計画している。登山の実施は、我ら阿賀北山岳会の請け負いで、今日はそのための事前下見。麓は桜咲き綻び完全な春、登り初めはシャツ一枚でも暑いくらい。しかし、標高差900mの山の気候は油断できない。その上、融雪直後の登山道や残雪の状況など、40名もの団体登山を引率するとなると気は抜けない。公民館勤務だったUnqさんは今年めでたく定年退職を迎え、引き続いて歴史館館長に就任されたのだが、登山に関しては公民館業務を兼ねる形になったらしい。いわば得意技を見込まれての業務担当、請け負う我らとしてもなんとも心強い。登山道には案の定、期待のイワウチワが咲き始めていた・・・つづきは「山歩紀行」
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4月8日 冬戻り みぞれの中を 走り人  ⇒只管走記へ 
花冷えというには余りの寒さ。早朝家を出るとき地面は真っ白。単独参加だったら多分尻込みして棄権していたかもしれない。氷雨の中、カッパを着てUnqさんとウオーミングアップ。体が温まると徐々に弱気が薄れていく。どうしようか迷ったが、邪魔になるのでカッパは脱いでOkkaaに渡し、スタート。氷雨に白いものが混じり始めた。みぞれが全身を濡らす。Unqさんはじめ快速ランナー連は薄着が多く、低体温症に陥った人も多かったようだ。私は、真冬用の練習着にしたから何とかもったものの、手袋をしていても濡れた指先が冷たく痛い。雪かみぞれか、顔に当たってメガネの視界を奪うので、途中からメガネを外してヤッケのポケットに入れた。結果的にそれがよかったのかもしれない。何も考えず何も見ず、只管前へ前へ。調子がどんどん上がっていく。毎回悩まされる足の痙攣もなく、給水所でも一度も止まらず、最後のあのマサカの魔の坂も停まらず歩かず走り上がった。結果、去年のタイムを4分縮めて2時間6分。難コースのこの大会の自己ベストとなった。やはり、練習は裏切らない・・・つづきは「只管走記」 
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4月3日 早々とジャガイモ植えの新記録  ⇒畑作記へ
久し振りに、畑友のNaruさんが春菜を持って立寄った。昨年の畑作記最終版に、もう畑作は止めようかなどと書いたものだから、いよいよ畑放棄かと心配していたらしい。ところがどっこい。冬の間中ほぼ毎日、自作の大根と葱を食べていたお陰で風邪知らず。これでどうして、畑作を止めることなどできようか。というわけで、去年の苦労も忘れ、今年はまた一段と張り切って早々に春耕開始。4月3日にはすでにジャガイモの植付け終了。過去最速、新記録。その上、ご覧の通り、畑の周囲にぐるりと風車を立てて、モグラ対策も万全。止めるどころか、ますます張り切っているのです・・・つづきは「畑作記」。それにしても、Naruさんの春菜っ葉、太くて柔らかくて、美味かった。さすがの年季入り、お見事‼ 
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3月28日 来てみれば聞きしに勝る角田山   ⇒山歩紀行へ
 
初めて富士山を目の前にして、「来てみれば聞くより低し富士の山」と詠んだのは長州藩村田清風。それと比べれば私の表題はいかにも矮小かつ陳腐なのだが、角田山の雪割草を目の当たりにしては、正直、余りの見事さに驚いたとしか言いようがない。登山口から斜面に登りついたとたん、樹々の間に色とりどり、びっしりの群落。それがどこまでもどこまでも続くのだから、驚くなと言われてもそれは無理というもの。かつて山が荒らされて絶えかけたのをここまで復活させたのだとか、そのご当人らしい方が山道の途中に立っていて通りかかる人たちに、場に不釣り合いなほどの大声で話しかけていた。これだけの尽力なのだから、そりゃあ話したいだろうと思いながら、そおっと脇をすり抜けて通った。ストックのキャップなしや靴のスパイク、道踏み外しなどにはとにかく厳しいらしい。事前に調べて置いたので難なく通行できたが、ここまで復活させるには当然と言えば当然のこと。百聞は一見に如かず・・・見事な花の数々は「山歩紀行」で。
蛇足ながら、村田清風の歌の下句は「釈迦も孔子もかくやあるらん」。清風17歳、初の江戸入りの途中の歌とか。後に長州藩の執政となって、高杉晋作らによる幕末維新の礎を築いた人、さすがの気宇壮大というべきか。あるいはまた、思い上がりは若者の特権というべきか。私などは只、花に驚く感受性がまだ鈍ってないことに安堵するばかり。
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3月21日 登る人 絶えることなく 坂戸山   ⇒山歩紀行へ
上杉景勝と直江兼続主従が幼少期を過ごした地として大河ドラマで一躍有名となった南魚六日町の坂戸城。その山城が標高634mの坂戸山。中世史マニアとしては一度は登ってみたかった山。が、登り2時間のその山の登山口まで、片道2時間半はかかる。高速道で南魚を通過の都度気にはなっていたが、わざわざ登りに来る機会はこれまでなかった。この日の「てんくら」の事前予報は、各地の山とも、午前はA(曇・登山良好)だが午後からはC(雨か雪・登山最悪)となっていて、昼頃までには下山できる山として、ついに坂戸山が選ばれたのだった。現代では、麓六日町住民の憩いの山として、365日登る人の絶える日がないと言われている。それほどの人気の山、どんな山なのか興味があるということで、衆議一決。なに、山であればどこでもいいというのも、山好き人の心根なのだが。さて、来てみれば、噂に違わず魅力的な山だった。山の尊さは高さにあらず。これほどの歴史と風格と眺望のある山に毎日登れる六日町の人々に羨ましささえ覚えるのだった・・・つづきは「山歩紀行」
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3月18日 このレース 相性よくて また更新     ⇒只管走記へ
いよいよマラソンのシーズン来る。新潟ハーフマラソン、昨年初めて目標の2時間6分台を出した大会。今回はさらに2分半縮めて、我ながら驚く2時間4分7秒。元旦マラソンで失敗してから、いろいろ考えて練習を工夫してきた、その効果を出せたことが最高の手応え。これだと2時間切りもまんざらの夢でもないかも、などとニヤリ。ま、極平坦なコース、3度前後の気温、薄い陽射し、そよ風と、条件に恵まれたことも大きいから、そう安直なものではないのだが。それにしても、70歳以上の部参加者が昨年の倍の75人、タイムを縮めても昨年の13位が今回は21位。70歳の部を設けている大会はまだ少ないから、各地の高齢強豪が集まりだしたということか。1位は1時間29分とのこと、いやはや驚き入りました。2時間切りを夢などといっているのはまだまだ初級の類、とても自慢できるレベルではないのだが、まずはこっそりと自分を褒めておきましょうか・・・つづきは「只管走記」
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3月11日 竹林の雪害 今年のやりがい  ⇒林間記へ
柿・梅の剪定に、今季初めて山林に入って見ればこの有様。一年かけてあれほど見事に整理した竹林が元の木阿弥状態。雪消を待って竹林の整理に取り掛かろう、それまでにチェンソーを整備しなくては、竹切り鋸も買い替えよう・・・と、雪上で独り作業の算段。お陰で今年も伊佐夫シンドロームに陥る暇はなくなったというもの。(伊佐夫シンドロームのことは、こちら→) どのみち年寄りの半日仕事、しかも晴耕雨読、やることがあるというのはありがたいこと。まずは、柿と梅の剪定が先、この日から3日かけて作業終了。もちろん半日仕事。3日間の剪定作業は・・・「林間記」に 
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3月14日 「山の写真集」を新設しました
 
山行の都度撮りためた写真、どれもこれも思い出深いものばかりですが、中から選りすぐりをここ何年か文化祭などの展覧会に出展して来ました。今回それらをまとめてWeb上に保存することにしました。「山の写真集」からご覧いただければ幸いです。
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3月6日 雪国を 抜け出て関東 梅・苺  ⇒風物記へ 
偕楽園の梅まつりはさておいて、花より団子、真の狙いはイチゴ狩り。真岡のイチゴ園は時間無制限。その上、甘いイチゴの見分け方まで教えてくれて、ゆっくり品定め。甘いのだけをたっぷり腹に納めてはみたものの、なぜか物足りない。つらつら考えてみるに、「よーい、始め‼」がないと気合が入らない。「あと10分‼」がないと切迫感がない。食べ放題はやはり30分1本勝負に限る。掻き立てられる挑戦心、格闘心、そしてやがて来る充足感、安堵感。あのカニ食い競争にまさるものはないものか。次は、スイカの早食い30分1本勝負というのはどうだろう?
偕楽園の梅など・・・つづきは「風物記」
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2月25日 飯士山 登った山は オレの山  ⇒山歩紀行へ 
越後湯沢を車で走ると、きまって気になる山が目に入る。飯士山(いいじさん)という名のその山、以前は存在さえ知らない山だった。2015年の連休に会の仲間が登ったその時、不都合があって参加できなかった。以来、関東などの山行で湯沢を通るたび、車中指差してその山が話題に上がる。が、登っていない私には所詮他人の山だった。
2月、土日は悪天ばかり、山行計画は流れていた。最後のチャンスのこの日も近辺各山軒並み強風予報。中で、飯士山の予報は数m。岩原スキー場のリフトを使えば登攀距離は少ないし、スキーもできて一石二鳥。と、行って見れば、雪の飯士山に登る人はないらしく、トレースもない。鋭く屹立した雪庇の稜線は人を寄せ付けない威厳を漂わせている。が、人には添うてみよ馬には乗ってみよ、山には登ってみよだ。いざ山懐に入れば、飯士山、優しく心地よく迎えてくれた。無垢の新雪を漕ぐその爽快さ。雪の魚沼を見下ろす山頂の気高いこと。かくて、ついに飯士山もオレの山になった。登った山はオレの山、不遜ではなく親しみの度合いが違うということ。
もちろん無謀は厳禁の我が会、状況を見取り一歩一歩慎重に慎重に。とりわけ危険な下山はロープで結び合って安全確保・・・つづきは「山歩紀行」
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2月18日 冬籠り炬燵でこちょこちょあれやこれ ⇒猫額苑四季へ
昨日から、戻り寒波と言うのか外は凄まじい暴風雪。こんな時は炬燵に限るが、さて、読書も飽きたし・・・壊れたまま放っておいた電気剃刀の修理でもしてみるかと、分解を始めた。1年ほど使って動かなくなったのが昨年末。販売店へ持って行こうかと思ったが保証書が見つからないし、以前使っていた剃刀がまだ動くしで、そのままに放置していた。分解して驚いた。washableなので何度も水洗いしたのだが、なんと、内部が濡れている。水と一緒に剃りカスがびっしり侵入。モーターなど金属部品は錆だらけ。おまけに電池につながるリード線は腐食してハンダが剥がれ断線。名立たる日本のメーカー品だがMADE IN CHINA。風呂場でも使えますなんて宣伝文句に乗ってたら感電していたかもしれない。
この辺りで昼食、転寝して目を覚ましたらフィギュア金銀のTV。感動のままドームRunへ。10k走中5kは快調にインターバル走。気分よく戻って、夜、作業再開。
錆を落とし徹底的に清掃、破断箇所をハンダ付けし直し。車庫を探してハンダごてを持ち出したのは、果たして何年ぶりのことか、以前何に使ったのか記憶すらない。とにかく直った、試してみるとモ-タ-が軽快に回る。どうやらバッテリーもまだ生きている。あとは組立てるだけ。ところが、内歯を横振動させるクランクの仕組みと、際剃り歯を動かす仕組みがどう繋がっていたのか、分解したときの記憶がなく四苦八苦。中国の小娘たちが組立てたものを俺ができないはずがないなどと、ブツブツ言いながら夜中までかかって、ようやく完成。と思ったら、卓上に径5ミリの(オー)リングが1個残っていた。外した覚えもなく、出所不明。
とまれ、今朝の髭剃り、なんとも快適。新品を買うことになるのかと冷や冷や見ていたOkkaa、臨時支出が消えて嬉しそうな顔。外は冷え冷えの真冬日、庭雪の様子や炬燵読感など、
「猫額苑四季」に。
 
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2月14日 おたちして 学校スキー 7回目  ⇒山歩紀行へ
「おたち」は方言、「おかわり」では言い表せないニュアンスがある。例えば、もう満腹状態なのに無理してもう1杯と、おかわりして後悔するような。村内小中学校で6回のスキー授業を手伝い、よせばいいのに、村外のもう1校まで引き受けた。しかも、1時間もかかる葡萄スキー場で。こりゃ「おたち」してしまったなーと半後悔状態。しかし、子どもたちの笑顔を見ればそれも吹っ飛ぶ。この日は全くの初心者たち。午前は緩斜面で初歩練習、スキー場の指導員さん(かな?)が手取り足取り、私らはそのお手伝い。その効あって午後には最大斜度18度もあるグレープコースを2度も滑走、しかも初めてのリフトに乗って。終ったときの子どもたちの大満足の表情ときたら、それはもう宝物としか言いようがない。初心者を担当したのは初めてで、めったにしたことがないボーゲンで先導して脚はパンパンながら、あの宝物を目にすれば疲れも心地よさに代わるというもの。わかぶなスキー場での村内校の様子と合わせて、つづきは「山歩紀行」で。 
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2月9日 是非もなく 六年ぶりに 屋根の上 ⇒猫額苑四季へ
明日は雨だというので堪えていたのだが、明後日以降またまた寒波来襲、大雪の予報。本来、雪は屋根の上で消すに限るのだ。明日の雨が融かしてくれるのを待つか。否々、もうずいぶん溜まっている雪、雨で重くなってその上に降り積もったらどうなる?向かいのお宅も下ろし始めたし、「降ると見ば積もらぬうちに払えかし雪には折れぬ青柳の枝」と言うではないか。先んずれば天をも制すだ。などと自問自答。昨日のドームRun、2ヵ月ぶりにインターバル走が快調にいった。その余勢のまま屋根に梯子をかけて、作業開始。つづきは「猫額苑四季」で。 
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1月28日 西吾妻 山頂眼前 磐梯山    ⇒山歩紀行へ
最強寒波がようやく去ってくれたこの日、西吾妻山は絶好天。無雪期は展望の全く効かない山頂、積雪期に初めて立って見てその豹変ぶりに大仰天。何と、360度の大展望。眼前眼下に会津磐梯山、猪苗代湖に裏磐梯の湖沼、会津盆地。目を転じれば、安達太良山に東吾妻山、一切経山、東大巓の峰々。間近に米沢盆地、飯豊連峰、微かに朝日連峰、白銀の蔵王連峰。凍てつく寒風の中をここまで来たからこそのご褒美か。昨日まで荒ぶり続けたスノモンを宥め宥めての二人行、つづきは「山歩紀行」で。
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1月20日 サクサクと 高坪の雪 ブナの森   ⇒山歩紀行へ
3日前の温かい雨は、スキー場の子どもたちをびしょ濡れにし、屋根の雪下ろしを覚悟した村人を喜ばせたのだが、同時に、山の雪もごっそりと消し去ってくれたよう。例年ならこの時季、高坪山はラッセル登山の練習場のはずだが、予想に反して、ブナ林は春先の残雪期の様相。堅く締まった雪面をスノーシューで歩くと、サクサク、サクサクと小気味良い音が返って来る。小学生2名を含め一行12名、今日は関川村公民館事業の手伝い。下山して、子ら二人「気持ちよかった」と言ってもらえて大成功。もちろん老若男女も満足顔。つづきは「山歩紀行」に。 
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1月13日 何故に かくも夢中に 食べ放題  ⇒風物記へ
カニの早食い30分1本勝負。今回は4人一組の団体戦。立膝してむしゃぶりつく人、カニの爪に口を刺される人、汁を顔に吹きかける人、肉片を方々に撥ね飛ばす人、悪戦苦闘無我夢中。団体戦の所以は、一皿4杯のカニを4人で全て片付けるまで次の皿が出てこないから。だから速い者は遅い者を手伝うチーム戦。戦果は計10杯、当方は日ごろ鍛えし技で3杯片付けた殊勲者。
カニを味わうだけなら膳に上等品一杯で十分、それをゆっくりと賞味すべきだ。カニに限らず、イチゴでもサクランボでもそれは同じ。がしかし、何故か、食べ放題に惹かれる。人を夢中にさせる何かがある。挑戦心、格闘心、そしてやがて来る充足感、安堵感。否、否、単なるいやしさ丸出しの清々しさ・・・。
写真は生きている本ズワイガニ、卓上に供された茹でガニにカメラを向ける余裕などさらさらなかったのだ。それにしても、どこで何をしたというのか、その経緯は「風物記」
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1月8日 雪五頭や 越佐海峡 ひと跨ぎ ⇒山歩紀行へ 
待ちに待っていた新年初登山。恒例の雪の五頭山へ。三連休最終日は予想を覆して晴天日、天空の雪回廊からは360度の大展望。鳥海山、朝日連峰、飯豊連峰、会津磐梯山、御神楽岳から米山まで、ぐるりと居並ぶ白銀の峰々。日本海には粟島、そして、一衣帯水の越佐海峡を挟んで白嶺の大佐渡山脈。誠に登り初めにふさわしい絶景の五頭山、気分爽快、気宇壮大、いい一年の始まりです。
この日の絶景を「山歩紀行」でどうぞ。
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1月1日 元旦に メダリストの友 誇らしげ  ⇒只管走記へ
 
明けましておめでとうございます。皆さま、よいお年をお迎えのことと存じます。
私は、今年も元旦マラソンでスタート、まずはその朗報からです。
阿賀北山岳会只管組々長Unq氏、めでたくも男子60歳以上の部第3位入賞。昨年は50歳代の部で7位入賞の同氏、3位と7位とではかくも差があるものかと、ブロンズメダルの重さに満足げ。大会前の追い込みたるや、10日間ぶっ通しの走り込み、まさに只管組の名の所以。誠に誠に恐れ入りました。
で、私はといえば、なんと去年より1分7秒遅れ。あわよくば55分台突入との目論見も空しく、4度目の参加にして最低記録。とはいえ、記録は別にしてゴール後の安堵感と充足感はまた格別。マラソンのお陰で、今年も爽やかに新年を迎えることができました。詳しくは「只管走記」に。
とまれ、2018年も「綿野舞の記」を綴ってまいります。ご愛読の程。なお、HPでのご挨拶をもって郵送の賀状に代えさせていただいております。どうぞ、近況などはメールでお寄せいただければありがたく存じます。本年もよろしくお願いいたします。
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