綿野舞(watanobu)2020 日々是帖  渡辺伸栄watanobu~新潟県関川村在住~
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12月24日 110日通った畑に 頭下げ       「土の記」は ⇒こちら
今日が畑の最終日。残しておいた一畝のネギを掘って、支柱類を括り、ビニルを剥がして、一年の遊び場に感謝の礼。タマネギとラッキョウだけは、居残り。シーズン常駐の一輪車も軽トラに積んで家に連れ帰り、水で洗浄。ついでに軽トラも洗浄。いきなりの初雪の後、この日だけ午前中晴れ。これも僥倖。すべては僥倖。ただ只管、感謝するほかない。日録を見れば、今日で畑通いちょうど110日・・・続きは、「土の記」
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12月16日(水) 塩引干して きっぱりと冬が来た
高村光太郎の詩の一節、「きっぱりと冬が来た」、よく言ったものだと、毎年この時期になると思い出して詩人の語感に感心している。いきなりドーンと、きっぱりと来た。根雪になるのだろうか、なってもいい、準備はオーケーだ。一昨日までは暖冬で、塩引きの鮭が乾かなくて困っていた。だから寒風よ来いだ。ただし、この神経痛では、もう屋根の雪下ろしは無理かもしれない。だから、ほどほどに来い。いや、このくらいでちょうどいいよ。
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12月9日(水) 800本育てたネギの後始末
11月はRunも快調で、調子に乗って畑に庭木囲いに塩引鮭にと働き過ぎ。てきめん坐骨神経痛再発、朝風呂の400mが歩けない始末。名医の指示で薬を増やし1週間安静にしたら、どうにか鎮静。時雨長雨の途切れた今日、ようやくネギの取り込み。手前の一畝はとりわけ劣等生だった苗たちで、よくぞここまで育ってくれた。逞しき者共に更なる試練を与えることにして、雪が降るまでこれは残すことにした。神経痛が消えればけろりとして、来年の畑作を考えている。折角、砂糖を撒いたかと言われたほどのサツマイモができるようになったのだし、なんのまだまだ。ここ1週間の静養ひきこもりで、久しぶりに古文書読みに没頭できたし、看護学校の講義も終了して、雪が降れば落ち着いて旧約聖書のページめくりも再開できそうだ。明日からRunも少し始めるようか。
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11月22日(日) 落ち葉漕ぎ 5キロの峰の道進む   「山の記」は ⇒こちら
ここは上州三峰(みつみね)山。台形状の形をした長い稜線を持つ山で、南端の登山口から北端の山頂まで片道5㎞の登山道を往復する。周囲はナラが主体で、時々ヤマグリの木が混じる雑木林。今はすっかり落葉して林内は明るく、登山道には厚く落ち葉が積もっている。旧街道の並木道かと見まがうほどの平坦な道を歩いていると、標高1000m前後の山の上だということを忘れてしまう。が、道がカーブして林の端に寄ったときなど、ふと道脇の崖を覗くと、下が見えないほどに切れ落ちた崖の上。ここがテーブルマウンテンの断崖上だと気づく。頭上見上げれば、クリの木の上にクマ棚。どうやらここは、上州クマの餌場でもあるらしい。登り口で会った人が、猟期が始まったと言っていた。歩きながらKeynさんが突然、奇声を張り上げたり歌を歌ったり。あれはクマよけのつもりだったのか、それとも鉄砲撃ちへのアピールだったのか。とにかく5キロの山道、ただ黙々というわけにはいかない。話題をいっぱい持っている人は延々としゃべり続け、それを持たない小生などは、落ち葉を蹴散らしたりこざいたり。落ち葉はカサコソ、空は真っ青、陽射しは明るく、関東の冬はいいなー。続きは「山の記」で ⇒こちら
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11月3日(火)  錦秋の高坪山のブナ美林   「山の記」は ⇒こちら
初心者講習会と銘打って、阿賀北山岳会の社会貢献(かな?)。もう山は諦めていたとおっしゃる大ベテランにも参加していただいて、初心者、小ベテラン、中ベテラン、大ベテラン、皆さん和気あいあいムードでゆっくりゆっくり、通常の倍近く時間をかけて登り下り。高坪山のブナ林は四季それぞれに美しく、特にこの日は、樹間に錦をちりばめて、それがまた、日が照ったり小雨が来たりで七変化。おまけに俗に言う「ブナの滝」(樹幹流)まで見られたりして、晩秋の山の気配をたっぷりと感じ取れた日でした。どんな山もゆっくり登れば登られると言ったのは、今は亡き田部井さん。今日はまさにその実践。幾つになっても、歩ける限り自分のペースで山を楽しみたいものだと、大ベテランの方々の姿から教えられた一日でした。山の尊さは高さにあらず、山を楽しむ人の心にこそあり。心から山を楽しめる人の笑顔、いいな~。そんな笑顔をいっぱい撮らせてもらって、ありがとうございました。続きは「山の記」で。
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11月1日(日)  晩秋の二王子山頂 大展望    「山の記」は ⇒こちら
この日の予報が滅法良くて、急遽二王子岳へ。Ibu少年は9歳ながら立派な阿賀北山岳会隊員。期せずして最年少隊員と最年長隊員が、最強隊員2名と同行することになった。登り始めはまだ緑の混じる樹林、登るにつれて紅葉の色が増し、500mを越えると枯葉色に変わり、1000mではすっかり葉を落として冬枯れの木立。この時期ならではの季節の垂直変化を体感できた。山頂稜線に出れば、快晴というわけでもないのに、360度の大展望。眼前に横たわる飯豊連峰は端から端まで手に取るよう。北遠くに朝日連峰が全貌を晒し、その向こうには月山。そして、下山の頃には鳥海まで姿を露わにしてくれた。南を見れば、遠くに特徴ある双耳峰、あれは尾瀬の燧ケ岳。その右方に越後駒と中ノ岳がくっきり。やや手前に越後白山、粟ヶ岳、守門岳。那須連山も日光の山々も見えているはずだが、際立った特徴なく識別は難しい。日本海には朧ながら佐渡島に粟島。足下には我が関川村の盆地、光兎山、鷲ヶ巣山、その延長線上に鳥海山。ぐるりと360度、何度回っても見飽きない光景。飯豊の稜線上には、杁小屋、頼母木小屋、御西小屋が見えて、手招きしていた。飯豊縦走、来年こそはと思いが募る。
続きは「山の記」でどうぞ。  YouTubeは⇒こちら
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10月18日(日)  神の庭 ()せば諸人善男善女   「山の記」は ⇒こちら
総勢30名、長井葉山の山頂に集うの図。バックの麗峰はその名もゆかしい祝瓶山。ここは葉山神社奥の院、標高1200m。周りは一面紅葉の海。神の遊び場で憩いのひとときを過ごした老若男女に善男善女。今日は関川村公民館主催の健康登山。山に登って健康になるのか、健康だから山に登るのか、どっちがどっちか分からない面々。朝の登山道は、遠く磐梯山が浮かぶ大雲海の上。昼近く、大雲海が晴れれば眼下に最上川と散居集落の田園風景。そして、下山路は歴史に名を遺す直江兼続の朝日軍道。見所満載の登山コース。急坂登りもへの河童。このとおり、笑顔爽やかな皆さんでした。一同に神の祝福を。詳細は「山の記」で。YouTubeの記録は⇒こちら
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10月17日(土)  古城址に祖先偲びつ 祈りびと
米沢在住のK氏は米沢藩士の末裔で、家譜を辿ると五代前のご当主の妻女が、同じ米沢藩士の内須川家の出と分かったという。それで、内須川姓を調べているうちに私のWEBで内須川城址と内須川氏についての記述に出くわしたという。それで、ぜひ内須川城址に登りたいとメールがあったのが7月末のこと。猛暑の頃で、薮の葉が薄くなる10月ごろにしましょうと返信して、その10月になった。好機どころか、クマ出没甚だしい時節になってしまったが、約束は約束。WEBに上げて全世界に公開した以上、乞われれば案内する義務はある。ということで、この日歴史館で待ち合わせ、内須川城址と隣の赤谷城址を案内した。出発時にTamuちゃんからもらったクマ避けの爆竹を、盛大に鳴らしながら。さて、内須川城址の本丸跡に達したK氏、ザックから取り出したのは、三段重ねの白餅とお神酒。やおら祝詞を唱えて祖先へのご挨拶。察するにだが、ご先祖様がいらっしゃって今の我がいる、内須川城主に連なる御縁を次なる子孫にも伝え続けますと、そんな気概が伝わってきた。なかなか過酷な藪漕ぎ登山になったが、ものともせずに二城址の本丸跡を極めた若い衆に拍手。
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10月14日(水)  軍道の長井葉山でトレニング    「山の記」は ⇒こちら
山形県長井市の葉山は、直江兼続が敷いた朝日軍道の起点で、その痕跡が今も残る山として知られている。歴史マニアとしては一見の地。今月18日に村公民館の登山でここに登る。それで、今日は主管する我ら阿賀北山岳会の下見。我が会最強メンバー3人プラス最年長メンバー1名。先頭に立ったIke会長さん、飛ばすこと飛ばすこと。山は、6月6日光兎山の公民館登山以来だという。標準3時間のコースを2時間ちょっとのペース。どうやら久方ぶりの山行に気が勇んだか。それとも、背後のYoumyさんが、あのいたずらっ子の顔で追い立てて、それでムキになったのが真相か。4ヶ月のブランクをものともせず、ここで緩めたら会長の沽券にかかわるとばかり一気呵成に駆け登る。ナンダ?このペースは?と眉間にシワ寄せて追いかけるUnqさんと私。時々見合わせる、その顔に書いてあった。早くそっちが音を上げて!と。この場面で音を上げることのできるのは最年長の自分だけ!それはそうなのだが、歩には歩なりの意地がある。クッソとばかりについていく。顔から汗はボトボト、息は絶え絶え。途中の一服でUnqさんが配った一切れの羊羹に救われた。あれを思えば、意地など張らずに早々音を上げるのがUnqさんへの思いやりだったかな?オット、それを言えば次の山行、Unqさんもムキになる。それは一大事。だから、ナイショナイショ。とまあ、4人の下見はいつもこんなもの。山頂にはにわかに寒気がかかったらしく、寒さに震えながら、Youmyさんが担いできた高級牛の焼肉に舌鼓を打って下見登山無事終了。互いの意地の張り合いは格好のトレーニング。来年の本格登山シーズンがはや待ち遠しい気分。詳細は「山の記」
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10月11日(日)  峠越え クマも羨むこの笑顔   「山の記」は ⇒こちら
十三峠を歩く会。今回は、越後側から4番目、5番目の萱野峠と朴ノ木峠。山形県の玉川から出発してほぼ1時間歩き、今、時刻は10:25、萱野峠標高278mに達したところ。天候が整わず、2回延期してようやく実施の今回。皆さん、待ちに待った山歩き、だから、嬉しくて嬉しくてたまらない、この表情。もっとも、まだ1時間。このあと、歩いた歩いた6時間、ほぼ9㎞。標高398mの朴ノ木峠を越えて、夕方、小国町に着いた頃には、相当の体力消耗。しかしそれも、期待通りのダイエットと、そこまで喜んでもらえれば、案内人の冥利に尽きるというもの。とにかく皆さん、山歩きが大好きなんですね。
さて、今年はこれにて終了。残りの八峠は、また来年。熊スプレーも、蜂スプレーも、救助ロープも使わずに済んで、何よりのことでした。皆さんのご協力に感謝です。来年まで、お達者で。この日の詳細は、「山の記」で。
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10月4日(日)  奥と羽を分けて隔てる 雁戸山    「山の記」は ⇒こちら
 「山の記」を書く前に、とりあえず画像をYouTubeにUPしました ⇒こちら 
ここは奥羽山脈、雁戸山。今立っているのは双耳峰ピークの最高点、南雁戸山1486mの頂。手前側が羽州(出羽)で、後方が奥州(陸奥)。日本の背骨をなす脊梁山脈の真上。日本海と太平洋に雨水を分ける大分水嶺が、画面の右へ左へ、南は栃木那須連山、北は青森陸奥湾へ、延々と連なる。
いくらドローンの高度を上げたところで、500㎞に及ぶこの大山脈の全容をとらえることは不可能だが、せめて、山頂から10m弱の高度を上げてカメラを360度ぐるりと回転させ、見える限りの山々を撮る。
山頂の南方には、蔵王の連山がデンと横たわり、地蔵、熊野、刈田、屏風、不忘と、なじみの山々が並ぶ。北方は、すぐ隣に100mの鞍部を挟んで双耳峰の一方の雁戸山。その先に山形神室と仙台神室、さらにその先に面白山。ここまではなじみのオレの山。特徴ある形の大東岳、ずっと先に霞むのは多分船形山。未踏の山で、まだヒトの山。峰々がまるで襞のようになって幾重にも連なる。見えはしないが、ずっとその先に先月登った栗駒があって、もっと先に焼石、秋田駒、そして八幡平・・・と、奥羽山脈上のなじみの山を想う。
周りは今季一番の紅葉。どこの山でも、この時季、登りの時より下りの時が鮮やかさを一段と増す。陽光の加減か、見る角度の違いか、それとも短時間で紅葉が進むのか、理由はよくわからないが、この方が疲れた体にはありがたい。詳細は、「山の記」で。
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9月22日(火) 栗駒や 友に引かれて頂へ <東北山旅3日目>
 「山の記」は ⇒こちらから
9月21日(月) 八幡平 三度目にしてやっと晴れ <東北山旅2日目>
  「山の記」は ⇒こちらから 
9月20日(日) 30m登っても 山は山 <東北山旅3日間1日目寒風山>
 「山の記」は ⇒こちらから 
9月20日~22日 コロナ避け テント3日の みちのく路
今更ですが、恐ろしいことになったものです。クマもコロナもどこに潜んでいるか分かりません。我が阿賀北山岳会もコロナ対策で泊はとにかくテント、これで不特定多数との三密は完全解消。テントを襲うクマの対策は、食糧は密閉してテントの中央、ゴミは車の中に密閉。途中の食糧買いでマスクを忘れて慌てて車に戻るのは御愛嬌。とにかく念には念を入れての東北山旅3日間でした。「山の記」は後に回して、とりあえずYouTubeにUPしました。   
こちらから、どうぞ⇒ 第1部 寒風山と八幡平   第2部 栗駒山 
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9月2日(水) 十三峠 良寛偲ぶ 出羽の路   ⇒「山の記」へ
関川歴史館主催「越後米沢街道十三峠を歩く会」第3回目が、9月13日(日)に予定されている。萱野峠と朴ノ木峠の道。前回の大里峠で羽越国境を越えて、いよいよ出羽路へ入る。今日はそのための下見。台風9号のフェーン現象か、とにかく暑い日になった。水をどっさり担いでゆっくり峠坂を登る。どのみちこっちはテント泊登山の練習のつもり。頑張ったのは書斎派のTamuちゃん。やぶ蚊に柔肌をボコボコにされながら弱音一つ吐かず、「蚊は洋服の上からも刺すんですねぇ、すごいですねぇ」なんて、いつものニコニコ笑顔を絶やさない。心底山歩きを楽しんでいるふう。
こっちはなにしろクマが怖い。クマよけ鈴は当然として、腰から下げた充電式のスピーカからは大音声のニニロッソに浜省。左手にはクマ撃退スプレーをぶら下げ、いつでも引き金を引けるようにし、右手には棍棒クラスの木の太枝。これでいざとなれば戦う心の準備はできている。立木をときどき棍棒で叩くとカーンといい音がする。この音がクマを寄せ付けない方法なのだと、隣家のWさんから教わって以来、毎回片手素振りで山道を歩いている。お陰で、今のところスプレーの出番も棍棒での格闘もない。
写真は、二つ目の峠、朴ノ木峠に登りついたところ。目の前に飯豊連峰が広がる。中央が先日登った朳差岳で左端が北股岳のようだ。斜面から爽やかな涼風が吹き上がってきて、ようやく人心地。
 峠道の見所などを「山の記」にアップしてあります。→こちら
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8月23日(日)~24日(月) 時駆ける 朳・頼母木の空の道  ⇒「山の記」へ
若者の時間は未来に向かい、老人の時間は過去に向かう。
ここは標高1730m頼母木(たもぎ)山の頂。なだらかな稜線の上の一本の道が、ゆるく右にカーブを描いて飯豊連峰北端の朳差(えぶりさし)岳まで続く。天空の道。
昨日、稜線上にポツンと見える頼母木小屋の広場にテントを張って泊り、同行の二人と今朝早く、この景色を見るためにここまで来た。
天空のこの長い道を見るたびに、初めて歩いた55年前の夏を思い出す。高校を卒業した18歳の夏。当時キスリングと呼んだ重い布地のザックに、白米とインスタントラーメン、ポリタンクの水、3日分くらいの古新聞紙、薄い夏毛布を袋状にした寝袋、それにラジウスという名の湯沸かしストーブと燃料の白灯油、3泊4日だったか4泊5日だったか、とにかく縦走する予定のずっしりと重い荷を背負って朳差岳から歩いた道。同級生3人と道々何かを語らった覚えは全くない。花も景色も覚えがない。多分俯いて只管前へ前への行軍だったはず。空っと晴れた猛烈に暑い道だったことだけはよく覚えている。
近年になって、この道を歩くたびに、55年前のあれはもったいなかったと思う。山はやはり山の良さが分かる歳になってから来るべきだと。物を味わうにはその物の味が分かる年頃というものがある。山は老いてからこそ登るべきである。
薬効あらたか、神経痛の痛みが消え、登山も日常の一つに戻った。1泊2日の真夏のテント泊、荷は重く、55年前と同じかそれ以上の汗水を垂らしたが、心の躍動は回を重ねるごとに大きくなる。
老人の時間は、想念の中では逆進行している。
  2日間の山行の詳細は 「山の記」にあります。 
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8月20日(木) 故障車に油差し差し ボタンヅル
 ボタンヅルの花は見かけ嫋やかでありながら、なかなか隅におけないタフな花です。竹林の枯れ竹を積み上げた薮の山を蔽って一面の花畑に変えてしまいます。一つ一つは儚げな花なのですが。
 脊柱管狭窄症の薬は効果有で、10mも歩けなかったのが、今は、早朝の畑、朝飯後の山林刈払いと、日常生活が戻ってきました。一昨日、ランニングを恐る恐るマシンで試してみたら、スロージョグで6㎞。距離よりも痛みなく1時間走れたことが収穫です。後が怖いので昨日今日と様子を見ていますが、大丈夫の様です。今週末は高山を試してみる予定でいます。が、天気がイマイチ。もう少し様子を見るようにとの天啓かもしれません。
 薬は、故障を治したわけではありません。ただ坐骨神経痛の症状を抑えているだけ。ずっとこのまま抑え込んでくれるのか、それとも段々効かなくなるのか、それとも狭窄の度合いが進むのか、全く分かりません。左脚に少し痺れが残り、時々底痛みが走ります。忘れるな、調子に乗るなと、身体からの合図でしょう。
 これから先も、せっせと化学合成物を投入し続けていくのだから、いずれその影響がどこかに出るかもしれません。ま、せいぜいあと10年はもってくれればと、故障車への儚い望みです。 
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8月11日(火) スイカバー 爺さん喰えば スイカジー
 生まれて初めてMRIなるものに入りました。検査台の上に仰向けに寝せられて、両足は枕より少し大きめの箱状の台に載せます。緩くクランク状になった腰の左脚の付け根が(そこが神経痛の患部なのですが)、ちょっと痛いなと思ったのですが、ま、この程度なら大丈夫かとたかをくくって、検査スタート。トンネルの中に入ります。数分して、左脚の付根の痛みが増してきました。どうにも我慢が出来かねるほどに増していきます。通常ならここでちょっと寝返りを打ってみて痛くない姿勢を探すところです。が、検査技師さんからは絶対に動くなと言われています。身を固くして我慢です。脂汗が出てくる感じで。検査前、看護師さんから30分はかかりますから、用を済ませておいてくださいなんて言われていました。30分といえば5㎞は走る時間。そんな時間、この痛みに耐えられるかと不安が増してきます。つい、大声をあげてストップをかけようかと思ってしまいす。でも、トンネルの中はヘッドホンの音楽が聞こえないくらいの轟音です。それに、今ストップしたらこれまでの照射は無駄になるでしょう。
 思わずつぶやきます。「神は選ばれし民に苦難を与えたもうた」。ついさっきまでの長い待合時間に読んでいた旧約聖書申命記の内容です。今読んでいるjw.orgの聖書は平明な現代口語約でこんな文語調では書かれてないのですが、唱える時は自然と格調高く文語調になりますね。次に唱えたのは「おお神よ我に七難八苦を与えたまえ」。山中鹿之助の主家尼子家の再興を祈る名場面の名セリフ。この二つを念仏のように唱え続けましたね。脂汗を流す思いで。どのくらい時間が経ったか、スーッと苦痛が弱くなりました。それで結局我慢しとおすことができたのです。
 マラソンの雑誌に書かれていました。人間の身体は少し大げさに苦痛を訴えるようにできているのだと。回復不能になる前に早めに対処を求めるためとか。だから、本当の限界は、もうだめだと思う状態のもう少しずっと先にあるのだと。メンタルの弱いうちは、ずっと手前の身体の叫びで音を上げるけど、訓練を積めば限界までの幅を縮めることができるのだと。まさにこれなのかもしれないな、などと思っているうちに検査終了。終わって訊ねたら20分くらいだったそうです。ここは素直に単純に、「神に祈りが通じた!」と喜ぶべきところだったのかもしれません。
 で、結果は、腰部脊柱管狭窄症。担当の先生は手術の名医だそうで、すわ手術かといっとき覚悟を決めたのですが、親切丁寧な先生で詳しく説明をして下さいます。10年前なら手術しかなかったが今はいい薬が開発されているので、それで様子を見た方がよいと処方箋を頂いて、紹介して下さった診療所の先生宛の返信を書いてくださいました。実は、手術になるのが怖くて、先月末に紹介状を頂いてから今日までずっと延ばし延ばしにしてきて、先週末どうにも痛くて痛くて堪えきれず今日、連休の空けるのを待って、のこのことやってきたのでした。朝いちばん7時に入場して1番札をとって、それでも診察は11時半。その長い時間にゆっくり聖書読みができたという訳です。もっと早く来るべきだったなーというのは、これまで何度も繰り返してきた後悔。
 帰宅して、昼食後のデザートは、何はともあれのスイカバー。諸々のことに感謝です。午後、早速、紹介状を書いてくださった診療所の先生にお礼と報告に行ってきました。神様どうか、新薬が効きますように。~続きはまた次回。~
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7月22日(水) 血圧は? 待った待ったの素人碁
 ついに毎朝晩の血圧測定をする羽目になった。神経痛が堪らず、名医にもとへ駆けつけたら、いつもは待合室で看護師さんから測ってもらう血圧が、朝一に順番をとったお陰ですぐに診察室に呼び込まれ、名医が直接測定して下さって、数値が高く出てしまい、いつもはそんな数字ではないのだがと言うと、さすがは名医、私が緊張させてしまったかなとおっしゃって、再度計測。それで事なきを得たかと思いきや、診察が終わって会計を待っていたら看護婦さんが来て、今日から毎朝晩これをつけてくださいと、小型のノートを差出され、見れば「血圧手帳」。
 第1日目就寝前の測定。Okkaaが目の前で嬉しそうな顔をして見ている。ずっと昔から県立病院にかかっていて朝晩血圧測定をしていたのを、傍で冷たい目で見てきた私を、ついにあなたもかと、それがどうにも嬉しいらしい顔。ああだこうだと、測定器の使い方に口を出す。何しろ長年の熟練者、こっちは今日が初日の新参者。
 言われるままに操作して測ったら、う、高い!今のは試し、腕バンドの位置が悪かったか、締め付けが強かったか、整えなおしてもう一度、ん、まだ高い。待った、今のは練習!と、まるで碁か将棋。低くなるまでやる気なの?と、隣であきれ顔。仰向けに大の字になって深呼吸数回、どうやらまともな数字が出てくれた。これを明日から朝晩、まいったな~。
 肝心の神経痛の方は、薬を処方してもらって、1週間様子を見ることに。それで効果が出なかったら次の手を打ってくれると。有難くて、針灸は?なんて、とても言い出せなかった。注射が効いたのか、今日は昨日よりいい。が、大事をとって、Run(というより今はほとんどJogなのだが)は休み。
 写真は、庭の苺、ランナーが次々伸びてくるから、そこから来年用の苗をとる。いくらでも増えてくる様子、さて、来年はどこで苺を育てるか、それが大問題。もう、畑も庭も目一杯。
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7月21日(火) 期せずして体調符合三重唱
 長ネギの苗を植え付けて1ヶ月、追肥と土寄せの時期。今日はまず優等生3畝の作業、残りは明日以降徐々に。去年の今頃はオヒシバの生い茂る叢の中から頭だけ出していたのだから、状況は雲泥の差。畑はとにかく手を抜けない。
 村上で久しぶりに会ったKさんと話しているうちに、ふと話題が脚の調子の悪さになって、何のことはない彼も大腿部の片足付根部が痛くて寝返りが打てないほどで、その上、痛みが脚の下方へ移動しているのだと、まるで私と同じことを言う。それで、医師の診断は坐骨神経痛だと。ああ、それだと、思わず膝ならぬ脚を打った。病名を知ればなんとなく気が楽になるから不思議なものだ。
 午後、Sさん夫妻が来訪した。実は午前中、Kさんを含む数人の会合で、様々な話題の中にSさんの近況を気遣う話も出たもので、期せずしての符合というか、驚きと嬉しさの混在といったところ。ところが、二人との懇談中話題は体調のことになって、午前中のKさんとの話で私のもどうやら坐骨神経痛らしいとその症状を話したら、今度は奥さんがまるで膝を打つようにして、それですそれです、私も全くそうなんですと。ここでまたまた期せずしての符合。
 同病相哀れむとはよく言ったもので、自分だけでないと知ればなんとなく気が楽になるから不思議なものだ。
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7月20日(月) 朝露に ジャガイモ掘れば 日が昇る
 早朝の畑通い
こちらは定刻出勤なのに、日の出の時刻と位置は先月と随分違ってきた
黎明の中でジャガイモを掘る
長靴は朝露に濡れるが、昨日一日の陽射しで土は乾いた
サラサラとした畑土に鍬を入れる
次々とジャガイモが出てくる
キタアカリ
丸くコロリとした芋
冷気に身体がなじんだ頃
朝の陽が斜めに射し込んできて、にわかに気温が上がる
ひと畝だけ掘って、コンテナいっぱいの収穫
軽トラの窓ガラスを全開にして、口笛拭いて家路を急ぐ
朝餉の食卓は、キタアカリの茹でたて
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7月19日(日) 木漏れ日に ひねもすのたり 苔の庭
 2週間ぶりに2日連続で走ったらさすが足が痛い。神経痛ではなく正常な筋肉痛。それで今日は完全休息日。久しぶりに苔庭に陽が射して、のったりと庭眺め。こんな日は一日中、古文書と付き合うに限る。
 Tamuちゃんからの古文書を解いたらこうなった。「来ル廿一日 年賀之式 相整候条 五ツ半時罷出様 下関村渡辺三左衛門江 其方ゟ可申伝候事 福岡御代官所 上関村庄屋伝蔵へ」 意味は「来る21日に年賀の式を行うので、午前9時に罷り出るよう下関村の渡辺三左衛門へ、その方より申し伝えるように」。ここまで読めると、歴史マニアの楽しみは、一段と飛躍する。
 ①これはいつの文書か ②福岡代官所とはどこか ③なぜ、三左衛門に直接言わないで伝蔵に伝えさせるのか
 まず②から調べると、福岡代官所は1862文久2年から1867慶応3年まで現阿賀野市に置かれた会津藩の代官所。幕末動乱の京都守護職を勤める会津藩の財政を支えるため、越後国内の多くの村が会津藩領とされた。関川村内の約半数の村も会津藩領となり、上関村もその一つだった。①だから、この文書は、福岡に代官所の施設が出来た1864元治元年ではないかと推測される。
 ③下関村は会津藩領とならず、それ以前の幕府領のままで水原代官所の管下だった。だから、福岡の代官は水原代官に遠慮して幕領下関村の庄屋三左衛門に直接指示は出せず、その代わりに、管下上関村の庄屋に伝言を指示した。ということになる。会津藩としては出費多端の折、渡辺三左衛門家に財政協力を要請したかったのだ。
 とまあ、ここまで分かれば、後は歴史ドラマの世界。幕末の京都といえば新選組、その親分が会津藩。ということは、あの新選組の活動費は、我らが郷土の村人から集めた米がその基になっていた。歴史は身近なところに繋がっている。母の先祖の伝蔵が、この文書を持って大急ぎで下関村の渡辺邸へ駆け込む姿も想像される。この文書、母にも見せたかったな。
 あ、そういえば、クリスチャンのH君は会津出身、確か藩校日新館の会津高校出。わが郷土と会津と、無関係ではなかった。
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7月19日(土) 耳澄まし小さきものの声を聴け
 育苗トレイに蒔いたキャベツのタネが芽を出した。1週間かからなかった。これがやがてあのキャベツになる。どこにそんな力が秘められているのかと不思議な気分になる。すべては遺伝子レベルに書き込まれたプログラムに従って自動的に成長していくという説もある。が、それは信じられない。この小さい芽を構成する細胞一個一個の生きようとする意志が、プログラムを動かしコントロールしているとしか思えない。意志を持った細胞がどんどん増えて、それらの総体として個体の意志が表出されている。だから、根本には細胞ひとつひとつの生きようとする意志があって、一つ一つの細胞が総体として生きていくための手段が個体、つまり1個のキャベツなのだ。
 それは人間の体も変わらない。脚の細胞が悲鳴を上げた。だから、ほかの細胞が動きたくても総体としての意志は、しばらく休め。傷んだ細胞たちが徐々に回復して、ほかの細胞たちがもういいかと問い、うん少しぐらいならと回答が届くようになって、総体として走ってみようかということになった。私という存在は、40兆とも60兆ともいわれる細胞諸君の総体として存在している。
 小さきものたちが何を意志しているのか、それらの者たちの声を聴こうと耳を澄ます。自分は自分であって自分でない、40兆の総体としての自分。
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7月17日(金) 復活の 兆しとぼとぼ 一里半
 朝畑の後は朝風呂。今日こそは車で行くのはよそうと脚の痛みを堪えて歩き、湯に浸かって温まったら、さすがは温泉、帰りはずっと楽になった。日中、陽射しも出始め、湿気が消えるとともに脚の痛みも消えていく。どうやら神経痛だったのか。ラジオ体操も筋トレも、これまでろくに伸ばせなかった手足がよく伸びる。家の中を走り回っても大丈夫。
 よし、らなばと、午後から、思い切って走ってみることにした。先々週の土曜に4人Runしたのが最後だから、ほぼ2週間ぶり。脚はまだ完全ではなく、1㎞弱で左脛の外側がやめてくる。その都度止まって屈伸などすると痛みが引いて又走る。その繰り返しで6㎞。キロ8分半くらいのスロージョグとぼとぼ走、それでも最後はダシ風に向かってキロ7分半くらいまでは上げられた。
 土手にはアカツメクサが咲き揃っていて、変哲もない草花なのに妙に新鮮に見えたのは2週間ぶりだったことと、曲がりなりにも走れていることの安堵感から。久しぶりにいい汗かいた。終わって、ドームに寄ってソニックのマッサージ機に乗った。コロナ騒ぎ以来だから4,5ヵ月ぶり。それまでは毎回乗っていた機械、これを使わなくなったのも脚の故障の原因かもしれないな。
 時間が前後するが、土手へ行く前に、心配をかけたUnqさんとTamuちゃんに走る気になったことを伝えに、歴史館に寄った。景勝書簡の解読は終了して昨日メールで送っておいたのだが、続いてまたまた課題を出された。中に、代官所から上関村庄屋伝蔵宛の文書。伝蔵家は2月に亡くなった母の実家。活字化された史料で庄屋伝蔵が出てくる文書はこれまでに見ているが、生の文書は初見。これも何かの御縁か、はたまた神のお導きか。アカツメクサの土手が新鮮だったのは、そんなことがあった後だったこともあるかもしれない。とにもかくにも走れてよかった~。
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7月16日(木) 懐かしく思い出すこと四重唱
 中条自動車学校で運転免許の高齢者講習を受けた。教習コースで、隣に指導員、後ろに受講者。ん、これは⁉ まさに50年前の再現だ‼ S字クランク、車庫入れ、T字路進入・・・通ったのは黒崎の自動車学校。あれからちょうど半世紀。ふっと、あの頃に戻った感じ。それにしては、後部座席の同乗者、もっともっと若かったぞ。
 自動車学校の目の前に鳥坂山と白鳥山。後部座席に回った後は、所在なくその山並みをずっと眺めていた。あれはいつの山行だったか。あの山頂で、アリが麺の欠片を運ぶ様子を眺めてみんなで笑いあったこと。ギンランを初めて見たから春だった。真冬の鳥坂山の凍結の急斜面、新雪の尾根のプチ縦走。下山して、長い田んぼ道を延々歩いて駐車場へ戻った山の裾。
 朝はナビに従って最短道で中条へ来たが、終わって帰りはゆっくり旧道を通った。乙から長政の道。高速の取付道ができて以来、ここは全く通らなくなったが、それ以前は新潟への海岸道路に出るのに専らこの道を使った。使わなくなってからもう何年になるのだろう。
 すべてが遠い昔だったような、つい昨日だったような、時間感覚が曖昧模糊としている。
 Unqさんが過去の山行録を次々にブログに載せ始めた。2013年の平標山、阿賀北山岳会入会試験に見事合格した記念すべき登山。ここから、私の本格登山が始まった。あれからまだ7年か。感謝を対価に無断で1枚拝借。それにしても、当時は腹が出ていたな~。
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7月15日(水) 雨の中 トマト一個を採りにゆく
 本間会長さんから添削していただいた「明治元年触書書留帳」を全面点検仕直して、WEB分館に上げ直し。その作業をしながら、畑のトマトが気になって仕方ない。
 昨日の朝畑でトマトが1個色づいていて、これが大玉トマトの初作品。収穫しようかどうか迷ったが、もう1日熟させた方が完璧になりそうで、収穫は明日に延ばして帰った。その明日の今日、朝からずっと篠つく雨で、畑どころかどこにも出る気にならず、じっと家籠り。畑に置きざりの初生りトマトはどうなった? 昼過ぎ、いっとき雨脚が弱った。今だとばかり、畑へ。傘をさして畑を歩く。ついでにミニやらピーマンやらも収穫。苗は大玉トマトの触れ込みだったのに、こうやって籠の中で並べてみれば、せいぜいミニトマトの兄貴分。それでも初物は初物、半分に切って、二人で味わった。うん、さすが兄貴分、味はミニより上。
 上杉景勝の書簡を預かってから、ちょうど1週間。そろそろ片付けなくちゃと、一字一字辞書と首っ引き。曲がり、はね、止め、細部を見逃さない本間会長さんに倣って。
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7月14日(火) 井の蛙 頭ゴツンと 大刺激
 前々から、村上史楽会の本間会長さんに、WEB分館に載せた古文書解読の添削をお願いしていた。昨日、「明治元年触書書留帳」の掲載分を全部読んでくださったと電話があった。それで、正誤訂正は電話では無理なので都合の良い時に来られたしとのこと。え、そんなに間違いが多いですか?と驚いて聞き返すと、うん、そうだと含み笑い。こりゃあ大変だと、早速今日午後伺った。
 崩し字を印刷漢字に直すのを翻刻とか釈文とかいうのだが、それはまあ、間違いがあるだろうとは思っていた。現に今読んでいる景勝書簡にしても、七月と読んだ七の字の縦棒が少し曲がっていて、Tamuちゃんからこれは「去」だと指摘があった。で、辞典をよくよく調べてみれば、「去」よりも「玄」に近い。それで今、二人の解釈は対立中。と、まあ、こんなことはよくある。
 問題は、それでなくて、読み下し文。古文の文法を踏まえてないからめちゃくちゃだと。例えば助動詞の活用、例えば「為」の使われ方、例えば「出」の読み方、そして当時の言い回し慣用句等々。百戦錬磨のつわものと初心者との対戦3時間、休みなく打込まれ続け、脇の下から冷汗脂汗。防戦も何も、こちらはノートに必死のメモ、覚えるのに精一杯。明日から、全面修正だ。無知は罪。頂いてきた「助動詞活用表」は、お子さんの高校教科書からのコピーだとおっしゃる。すべては基礎から。いや~勉強になった!
 上の写真は、古文とは全く関係なく、3日前のもので、畑で初収穫のラッキョウの甘酢浸け。うまくできたら、今年の作付を増やそうと思っている。植付は9月。
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7月13日(月) 遅れたかい? いいよいいんだ ゆっくりで
 「それ、晴れた!畑だキャベツだ ナス、トマト」 今日の表題はこうなるはずだった。久しぶりに降らない予報。昼上りを挟んで午前も午後も、畑。収穫人を待つ作物たちに挨拶。カボチャも1個初生り、メイクイーンも2株初掘り。
 収穫しつくした作物の畑は、暫し長休憩。苦土石灰と完熟牛糞と菜種油粕を撒いて、鍬で打返し。2週間休ませて土と肥料をなじませる。タマネギ、ニンニク、ラッキョウ、カブ、アスパラナ、キャベツの畑が、こうして空地になった。
 ところが、キャベツ畑に1個だけ未収穫の株が残ってしまった。結球がまだ軟らかく成熟に至らないのだ。仕方なく、残した。だから、ここの所だけ打返せない。ま、こういうのはどこの世界にもいる。
 20世紀は、これをなんとか皆と同じに揃えたいと、学校も社会もみんなで頑張ってきた。本気で頑張ってきた。がしかし、その本気の頑張りが、この1個のキャベツにとってどれだけ迷惑なことだったか、21世紀に入って、そのことに皆が気付き始めた。このキャベツだって、何かの都合で生育が他のより遅くなってしまっただけ。だから、待てばよいだけ。21世紀の人も社会も学校も、それだけの余裕が持てるようになった。まだまだ十分ではないが。社会が、心が、豊かになるというのは実はそういうことなのだ。と、まあ、畑で一人鍬をふるいながら思ったりして。
 で、こんなに身体を駆使して痛む脚に大丈夫かと、作業を終えて畦道を歩いてみた。ら、なんと、それまでのが類人猿なら、猿人類ぐらいまでには腰が伸びた。ホモサピエンスの直立歩行まで、あと少しの感じ。
 椅子に座って長時間PCに向かっている今の姿勢が、最も悪原因のような気がしてきた。
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7月12日(日) とりとめもなくあれこれと 雨の日々
 降り続く雨。仕方なく車庫の中でキャベツのタネを蒔いた。もちろん育苗ポットに。昨日、専用土を入れて水をたっぷりしみ込ませておいた。不織布をかけて、まずは一仕事。
 Okkaaが階段に物を置くようになったので、Amazonに衣装棚を注文したら、届いた荷にはパネルが何十枚も入っていて、他には接続用のプラ部品だけ。つまりは子どもの玩具レゴのように、パネルを一枚ずつ、四隅をプラ部品に差し込んで組み立てる仕掛け。レゴと違うのは差し込みの隙間が狭く固くて、かなりの力がいること。付属の木づちでたたきながら締める。結局、完成するのに午後半日かけてしまった。
 Okkaaは衣類を全て二階の部屋に置いておく。だから一日何回も階段を昇降する。その階段が結構な傾斜で、だから山歩きの格好のトレーニングの場になってきた。が、寄る年波というやつで、昇降がおっくうになってきたのだろう、洗濯を終えた衣類などを階段にしかも何段分も積み始めた。危なくて見ていられない。積んだ衣類の脇を昇降するのだから、いつか必ずスリップダウン必須の状況。これで何とか解消になった。因みに、この階段を使うのは年に数回しかない我が身の安全の為では、ない。
 もちろん、組み立てた衣装棚は一階に置く。だからこれで、二階にはますます人は行かなくなる。年末に久しぶりに二階に上がったら、障子のしょうが抜けてよれよれぼろぼろ。外から見たら空き家に見えるのではと、驚いて全部張替えた。そのとき、網戸も千切れたりよたったり、かなり傷んでいるのに気付いたのだが、張替えよう張替えようと思いながら延引してきた。梅雨が終わったら、今度こそやらねばならない。年寄二人に今はほとんど不要の二階、と思うと気合が入らない。
 景勝書簡は、再び師範の力を借りて、どうにか一通り文字の解読は終了した。が、前後の文脈が通らないところがあって、要検討、しばし保留。脚を痛めて1週間、あと1週間で治まってくれるかどうか。山行に後れをとらないようスクワット100回を課した。
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7月11日(土) Runできず 脳トレ一途 文字読解
 A  B
 
 上杉景勝の書簡。Aの文字(本文最後から2行目下から2文字目)がどうにも分からない。いくら辞書をくくってもない。手へんに扁か偏、そんな文字はない。揚なら形が近い。これなら、この行は「いき物揚げ申すべく候」と、読めなくはない。実際、景勝が勧修寺に鯉を50匹も贈ったというエピソードがWEBに載っていた。しかし、貴族に対して(宛名の勧修寺殿は高級貴族)、こんな言い方するかな。揚には高く上げるの意味がある。なら、この言い方もありか。いやいや、揚なら、Aの字の最終角の横一はないはずだ。
 ほとほと行き詰って、ついに師範に助けを求めた。ほどなく返信がきた。「攄」(手へんに慮)だと。こんな文字、余の辞書にはない!さすがというべきか、師範の辞書は相当格が違う。こっちの辞書は、15000円(もっとも購入は中古で半額以下だが)。師範は一体いくらの辞書を使ってる?ともあれ、これでこの行の後段は分かった。「申し攄(述べる)べく候」。じゃあ、前段はなんだ?生き物ではないことは確か。ますます??
 そもそも、その1行前に、申述べるのは其の節とあって、其の節とはいつかというと、それが上のBの文字。本文の8行目にも同じ文字。文脈からすれば、上洛。しかし、洛の崩し字では絶対にない。寝る前、ちょっと思いついて、洛の異体字を引いたらドンピシャリ、「雒」(各にふるとり)が出た。これで、「上洛の節に申し述べます」と読めた。では、何を述べるのか?「いき物」では絶対にない。これ、何と読む?
 てな具合で、古文書はまるでパズル。だからついついはまってしまった。雨の日には最適。

 今(12日)、朝風呂に浸かってて閃いた。2文字目3文字目は、「貴伺」だ。1文字目は「以」か。嬉しくなって汗拭きもそこそこに慌てて車に乗込んだら、風呂場に傘を忘れてきた。3文字を繋げてどう読むかは、あとでまたゆっくり。
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7月10日(金) 難語句を解けば梅雨空抜けたよう
 昨日今日と二日続けて朝キャベツの収穫。初めての作品にしては我ながらよくできた。が、味はイマイチ。生で試食すると、微かな辛みがあって、買ったキャベツと比べて甘みが足りない。少し寝かせておけばいいのではと言う人、雨が多く日照がないからではと言う人、様々。
 コメリの苗から育てたから、今度はタネから育てようと、昨日、丸重商店からタネを買った。合わせて、ニンジンとホウレンソウのタネも。Noriちゃんに、アブラナ科ばかりで連作できず作る場所がないと言うと、「これ、いいよ」とツルナシインゲンを勧められた。
 それで今朝は、雨の来ぬ間にと、とりあえずニンジンのタネを蒔いた。この後も大雨予想があって流されなければよいのだがと、案じながら。とにかく、タネからの育苗は面白い。あの極小の芽が成長していく様子を見たら、ついついはまってしまった。さてさて、こうやってはまってしまって夢中で動いていると、不思議と脚の痛みが薄れて、ゴリラスタイルで小走りができるほどになる。が、直立歩行の姿勢になると、激痛が来るのは変わらない。朝風呂は、仕方なく車で通っている。
 朝畑以外は終日古文書。景勝書簡が徐々に読み解けてきた。中世文書は独特の用語があったりしてやはり難しい。が、書簡の内容に付随して、歴史的背景やら当時の常套句の独特の書き方やら言い回しやら、江戸時代の農村文書とはまた違った面白さがあって、これまたついついはまり込んでしまった。
 文書を画像にしてモニタに拡大し、ネットで様々なことを調べ、ワープロソフトで書込み、複数の作業をPCで同時に行う。これまで使っていた22インチのモニタでは画面が狭すぎるようになったので、27インチの大画面に買換えた。それで、ずいぶん作業がしやすくなった。景勝解読まであと一息。それにしても、雨が長過ぎる。
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7月9日(木) 脚痛に梅に西瓜に診療所
 梅雨の晴れ間あり、4日ぶりに朝畑。キャベツの初収穫、ピーマンとラッキョウも初。ほかにミニトマト、ナスも収穫人を待っていた。朝食後、兄夫婦を誘って山林の梅もぎ。聞きつけて妹も来た。今年はどこも梅の不作だと聞くが、我家の梅林は大豊作。去年、剪定をサボったから伸び放題の枝にびっしり実がついて、もぎ放題。終わって、妹持参のスイカを立ち食い。梅林のアジサイがちょうど見頃で、思わぬ花見西瓜。
 夕方に診療所。名医が昨日曰く、「すみませんが、明日もう一度診せてもらえませんか」。そして、今日曰く「わざわざ来ていただいて、ありがとうございます」。どんなときもいつも笑顔。待合室の椅子で待つ間、看護師さんが隣にしゃがんで痛み具合を尋ねる。昨日よりは少し減ったと答えると「どのくらい?半分くらい?」「いや、そこまではまだ」というと、「3分の1くらい? 4分の1くらい?」と、それはそれは丁寧。事務のスタッフさんも気遣ってくれて、会計に呼ばれて立ちあがりざま、ピリッと痛みが来た時など、思わず事務室から手を出して支えようとするしぐさ。H君たちが目指す神の国って、こういう人たちばかりの国なのかな~などと、夜ふと思った。そういえば、小野不由美の「屍鬼」に出てくる、山村の小さな診療所もこんな感じで書かれていたな~などと、とりとめもなく思い出す。若い看護婦さんがついに屍鬼になってしまって、それでも「私は絶対に人の血は吸わない」と屍鬼になった自分に必死に抵抗を続ける姿が好ましかったな~などと。
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7月8日(水) 脚痛にブドウに雨に古文書に
 庭のブドウが鈴生りで、ここを縄張りにしているヒヨドリがパトロールにきた。しめしめ、この豊作ぶりなら今年は多めに卵を産んでも大丈夫だとOkkaaに報告しようなんて顔をして。秋になると巣立ったヒナ鳥を連れてきて、口移しで一粒ずつ食わせる姿なんどは、何ともほほえましく、我が庭の秋の風物詩。
 左脚の痛みが消えないどころか、増している。朝風呂はついに車で往復した。我慢の限界、やっぱり診療所の名医に頼るしかない。名医の人気は高くいつも混んでいるから、電話予約できるのだったかなと、問合せの電話を入れた。9時に診察時間が始まる15分くらい前。「予約は受け付けてないけど、今ならすいてますよ」と受付のお姉さん。「え、もう診てくれるんですか」。「はい、もうやってますから」。まだ少し早いかなと思っていたから、こっちの準備が整わない。淹れたばかりのコーヒーを飲んで、それから歯を磨いて顔を剃って、到着したら9時半少し前。「うあ、もう混んでますね」と電話のお姉さんに言ったら、「あの時はすいてたんですけどね、すみません」と、いかにも申し訳なさそうな口調。つられてこっちも「すぐ来ればよかったのに、すみません」。
 人気の秘密は、どうやら名医だけではないようだ。スタッフの皆さん、親切で、優しくて、丁寧で、それでいて実にテキパキと動いていて。名医といい、スタッフといい、こんな気持ちのいい病院、そんじょそこいらの公立病院では絶対にお目にかかれない。
 レントゲンで関節に異常なし。よかった。それが一番怖かった。筋肉か腱か、注射を数か所打ってもらって、薬を処方してもらって、あとは、どちらにしろ神経の興奮が収まるのを待つしかない。それまで、じっくり待つことにしよう。今日も一日雨だし。
 帰路、歴史館に寄ったら、Tamuちゃんが待ち構えていて古文書の課題が出た。上杉景勝の書簡。今度のは中世文書。江戸時代の農村文書よりは少々、いやだいぶ難度が高い。師範代としてもう少しレベルを上げてほしいとの師範からの要請とあれば、発奮せざるをえない。
 脚痛が消えるまでしばらくRunは休み   ページのTOPへ
7月7日(火) 雨の日は雨の日でまた楽しんで

終日 家籠り
只管 古文書を読む
「泥て」 これ何と読む 拘泥だから「こだわりて」かな~
翌日
別の字を辞書で探していて ふと「泥」に目が行く
わっ「なずむ」と読むのか
「泥て」に見えたのは「泥ミ」  じゃあ「なずみ」
「旧弊になじみ」 お、意味が通った
脚は椅子に座った形に固まって
家の中はゴリラ歩き
明治元年触書書留帳の解読・読み下し進行中
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7月6日(月) なんだこれ?どこからだ?この激痛は
ネジバナ  モジズリとも呼ばれる
道路のアスファルトと側溝のコンクリの 僅かの隙間に生えた
砂地荒地芝生 どこにでも生きられる
千メートル超の高地でも見た 繊細そうに見えてタフな花
雨が続いて
九州が大変なことになっている
悲惨な画像が 薄氷の上に暮らす吾身を思い知らせる
どこにも出られず 終日机に向かって古文書読み
脚が 椅子に座った形のままクランク状に固まってしまった
直立歩行で激痛が走る 左脚付け根の横臀部から
ゴリラ歩行なら 痛みは来ないが
この格好で朝風呂まで歩くのは どうにもみっともない
だれも見ていないとは思うけど
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7月5日(日) 今日はまた梅雨の晴れ間に畑を剃る
草退治、山林が一段落して次は畑
8日前にチップソーの刃で、なでたばかりの
五分刈り頭の畦道は
梅雨の雨を吸って、もう伸び放題
だから今度は
刈るのではなく、剃る
ナイロンコードの刃で、地面ごと剃り上げる
畦道はたちまちツルツルの丸坊主
これでしばらくはもつだろう

畑からのお礼は、ナスとミニトマト
二人で食べるだけの、ささやかなお礼
ささやかな幸せ
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7月4日(土) 夏ワラビ 嫁に食わせず 誰が食う
 夏のワラビは嫁に食わすなと言う なぜ?
それほど美味いから? 嫁いびり?
身体に悪いから? 嫁大事?

ワラビ園を全面刈り払った
邪魔な草木の成敗
イバラ、ヨモギ、クズ、イタドリ・・・
せっかく繁茂した春からのワラビにとっては
一緒に刈り払われて、迷惑な話
それでもめげずに、刈跡から芽を伸ばし
再び繁茂して、秋には胞子を飛ばし
勢力を拡大する

夏のワラビは不撓不屈、勢いの根源
だから・・・・かな?
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7月3日(金) 山歩きゴールインして笑顔の輪
 今日もまた山歩きをしたわけではない。5日前に撮られたこの写真が、今日手元に届いた。歴史館が大里峠の参加者に送った礼状と写真の封筒に入っていた。プリントアウトした写真はPCやスマホの画像と違って、不思議なもので手に取ってしげしげと眺める。L判でそう大きくないのだが、よくよく見たら周りの参加者の表情がみな笑顔。
 あれ?オレ、ここでそんな面白い話をしたっけ?
 玉川に到着、お疲れ様でした。ここが玉泉寺で、良寛の旅の宿。ここで読んだ漢詩が今日の要項に載っている。そのことについてこれから田村さんから本日最後の小講義があります。言ったのはそれぐらいで、すぐTamuちゃんにマイクを渡したはず。
 エ~、まだ話があんの? という表情をされても仕方のない場面で、この嬉しそうな顔。到着の安堵の顔とは、どうも違う。
 なんだろう? 笑顔の写真を見ながらつらつら考えて、思い当たったことがある。そういえば、あの時・・・この後のTamuちゃんの小講義が終わったとき、期せずして拍手が沸いていた。それまで、そんなこと一度もなかったぞ。あ~そうか、皆さん、Tamuちゃんの話を待っていたのだ。それで、嬉しかったのだ。
 そういえばと、もう一つ思い出した。冬の古文書「道中記」解読会最終回で、次からは、各自読み取ったことや読み取れなかったことを出し合いながら進めてはどうかと提案したら、いや、今のまま田村さんの講義を聞く方がいいと多数意見。
 あれだ!技巧を凝らすわけではないが、まっすぐな彼女の話は、スーッと聞く人の耳に入るようだ。
 と、ここまで考えて、書いてきて、ふとまた思いついた。
 もしかして、この写真、Tamuちゃんの講義が終わって、マイクを引き取って、さあバスへ移動しましょうと言ってるときの写真? あのとき確か、途中にアイス屋さんもありますし、と言った覚えがある。もしかして、それを聞いた時の表情か? さあ、どっちだ? 知っているのは、この写真を撮ったTamuちゃんだけ。
 ま、どっちにしても、「山歩きゴールインして笑顔の輪」。
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7月2日(木) 年甲斐もなく壁板を攀じ登り
 「いい年こいて」と笑われるのがオチ。登山もマラソンもそうだが、クライミングとなればなおのこと。年甲斐、つまりは年齢相応の思慮分別をわきまえて年寄りは年寄りらしくと、これが世間の相場感。
 なーに、我々世代、ずっと幼いころから世間の相場感を覆してきた。漫画しかり、ジーパンしかり、長髪しかり、あとなんだ?世間の冷たい目に逆らって、ものともせずに。今じゃ漫画は世界の最先端だし、ジーンズはスーツにまでなったし、長髪は束ねられるまでなっている。あとなんだ?まだまだあるぞ。
 敬老会の年齢になったと、入会の記念品が届いた。地域の役員の皆さんには感謝するし、その慣習を否定する気はさらさらない。が、ついひねくれてみたくなる。成人式は、成人になったことを祝うだけでなく成人としての自覚や気構えを持たせるためにある。敬老会が同様に老人になった自覚や気構えを持たせるためだとしたら、御免こうむりたい。
 そんなにひねくれなくても、という声。いやいや、ひねくれものの我らが今の時代を作ってきたのだ。ひねくれなければ世間の相場などひっくり返されるものか。え、そのことを敬いたいのだと。あ、それなら敬老も悪くはないか。でも、老の字、なんとかしてくれないかな~。
 厳寒期は休止で、その後コロナで開けなかったクライミングが再開した。半年ぶりぐらいだろうか、久しぶりに10mの壁を攀じ登ったらスカッとした。いつもの北岳走4人組に初心者の母子3人。毎週木曜7時~8時まで。挑戦者大歓迎。
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7月1日(水) 雨の日はニンニク喰って引き籠り
 雨の日はインドア、早朝からPCに向かう。朝食の焼肉に合わせて、先日収穫したニンニクを試食。例年になく出来が良くなく小粒だが味は良好。ところが無臭のつもりだったのに強烈な香り。これでもう今日はどこにも行かれない。朝食後は、デレーっと庭眺め。雨の苔庭は特にいい、などとひとりごちて。
 昨日Unqさんに、大里峠の動画にTamuちゃんが時々着替えて登場すると言ったことが、本人に伝わったらしく、あれは雨ガッパを着たせいで汗ばんでしまい、上着を脱いだり着たりしたせいだと返答がきて、そんなつもりではなかったので少々慌てた。実は、動画には下見と本番の画像を混ぜ込んで編集してあって、そのため時々服装が変わるのに気付いたかな?という程度のことだったのだが、それをTamuちゃんらしく生真面目に言い訳がましいことを言わせることになってしまって、こっちとしては、なんかからかったように受け止められたのではないかと、どうにも後味が悪い。
 おまけにもう一つ。昨日の日々是帖に草刈りをモーセに譬えてしまったこと。生真面目に聖書に正対しているH君をからかったように受け止められたのではないかと、これまた後味が悪い。
 ニンニクと合わせて、後味の三重苦。
 竹デッキに干した登山用具は逆に湿気がしみ込んで取り込めず、内側の泥を洗った畑用長靴とゴム手はいつまでも乾かず、畳はジメジメ、廊下はベタベタ。雨の日は、身体は休めても心はかえって疲れるようだ。
 月山のタネから発芽したトウゲブキの花が今年も咲いた。秋の月山行、2009年のタネだったか、2011年のタネだったか、山歩一覧で見ても記憶がはっきりしない。頭の中もカビが生えだしたよう。
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6月30日(火) 梅雨空の 草の海割り 我はゆく
 畑の草立ちがすごい。オヒシバ、メヒシバ、スベリヒユ、畝間のこいつ等を鍬で削ぎ取ってホークでかき集めたら一輪車3台分。すべて草堆肥にして来年土に返す。去年まではこいつ等を放置していたから伸び放題。夏を終えて、草の海からネギやサトイモを救出するのに草刈り機で畝間を刈り払ったほど。が、今年はそうはいかない。跋扈する前に掃討。何しろ去年の6月の畑日数は6日、今年は24日。意気込みがまったく違う。
 山林の刈り払い中、キリンソウを見つけた。草薮の中に一株だけ咲いていた。高山でよく見るイワベンケイの低山型だから、ベンケイソウという名だとばかり思いこんでいて、Tamuちゃんに図鑑を突き付けられ万事休した花。「過ちは改むるに憚ることなかれ」だ。
 これはと思う花は刈らずに残すと、オカトラノオなど喜んで群生しだす。ヤマユリもずっとそうやって大事にしてきたが、近年はサルが蕾を食べるようになって花を見ることがない。8個も蕾をつけたこの株も花を咲かせることはないだろう。生い茂ったワラビ薮の葉の陰でこっそり咲くつもりだったのを露出させられたのだから、ヤマユリの花にとって刈り払いは、「小さな親切大きなお世話」なのかもしれないな。
 山林の草も梅雨の時期は大繁茂。草刈り機を左右に振りながら草の海を進む。と、海が割れて通路ができる。あれ?これってモーセじゃないの?Hagaちゃん?もっとも後ろに付き従う民はいないけど。
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6月29日(月) 食卓は自作自給の展示会
 朝は雨。結構な降りよう。この雨で、昨日の参加者は我が身の幸運をかみしめてるだろうな、などと思いながら庭でコーヒーを啜り「出エジプト記」を読み雨音を聴く。
 雨上がりを待って、午後の畑へ。何はともあれ、ミニトマトの初収穫。本日の主作業は、キャベツの追肥と土寄せ。テキストには「丸くなり出したら」とあるが、中心部のことなのか周辺部のことなのか、よくわからないまま、とりあえずもう時期だろうと、マルチを剥いで、テキスト通りに畝の肩に施肥して土を寄せる。と、一番大きな葉がパキンパキンとセンベイでも割れれたかという音を出して折れる。もったいなくて、その葉を持って帰ることにした。
 畑のついでにRunのつもりで、水やタオルや着替えを小ザックに詰めて持って行ったのに、いざ走ろうとしたらシューズがない。これもよくあること、こんなときは「ああ、休めということか」と神のご宣託にして、いつもきっぱりとあきらめることにしている。
 で、夕餉の食卓は、畑の収穫物。ミニトマト、カブ、ナス、シュンギク、炒めた玉ネギ。そして、茹でたキャベツの葉。思ったほどには固くないが、少々苦い。Okkaaは、捨てるには忍びないと思ったか、みそ汁の具にしたら結構食べれた。ナスは、収穫できるのがまだ1個か2個、だから料理の対象にはならず、塩でもんで生で食べる。カブは、もともとサラダカブなので生食。ほとんどそんな具合の健康食品。
 いつの間にか夏至が過ぎ、明日で6月が終わる。
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6月28日(日) 神も微笑む善男善女 パチリ  ⇒「山の記」へ
 歴史館行事「良寛の歩いた峠を越えて」の第2弾、大蛇伝説で名高い大里峠を越えて関川村から山形県の小国町玉川まで歩く、その本番日。
 前日の天気予報ときたら、予報会社4社、全部別々。最良は降らない、最悪は小雨がずっと降る。他は、小雨の度合いと雨上がりの時刻の違い。関東地方にかかる梅雨前線のぶ厚い雨雲の北の端ッぽの薄い雲が、関川村や隣の小国町をかすめていく。その薄雲の密度を各社測りかねている様子。いずれにしろ、中止するほどの雨ではない。が、降ったらどうするか。危機管理の要諦は、最悪の事態を想定して備えること。もし万一、沢々が出水して徒渉が危なければそこで引き返す想定。送迎の村バス2台の運転手さんが、万に一つの事態になったとしても急遽の迎え時刻変更が可能と、快諾してくださった。日曜日で、朝夕の送迎以外は本来フリーの日なのにもかかわらずだ。まったく、ありがたい対応に頭が下がる。
 結果、天気の神様も大里大明神様も、総勢31名の参加者へ微笑みを投げかけて下さった。8時半の集合時こそ小雨模様だったものの、9時からの林内歩きに雨はなく、12時到着の峠では陽射しを避けて木陰の昼食。13時ごろサアーッと薄い雨雲通過。これも1社の予報通り。その後は曇り時々陽射し。さすがは善男善女、日頃の行いを神様はチャンと見ていてくださった。トシカオモエナイ。
 いやいやそれだけではない。峠までの新潟県側の山道がきれいに刈り払われてあったこと。今日のこの行事に合わせてくれたとしか思えない。今時点では、どなたの行為かは分からないが、とにかく、これもありがたかった。それと、差入を届けてくださった方、ラインでエールを送ってくれた方、見送りの方、さらには今日は留守番本部長の歴史館館長さんの普段からの人々への心遣い。諸々の人々の行いに神様方がほほ笑みを投げかけてくれた、としか思えない一日でした。
 峠の記念写真の面々の表情を見てください。善男善女を絵にかいたような姿ではありませんか。皆さん、お疲れさまでした。そして、ご協力ありがとうございました。
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6月27日(土) あだなすものは 山にクマ 畑にクズ
 畑の東側は鉄道敷、荒地のそこには葛の蔓葉が大繁茂。この連中、地味豊かな我が領土へ侵入しようと、あっという間に蔓を伸ばして踏み込んでくる。その都度、蔓を引っ張っては追い返していたが、今朝、もうたまらず刈り払い。境界線まで刈り払うだけでは何の効果もない。そこで、敵国領土深く攻め込み2~3mほど越境して刈り払い。これで当分は持つだろうか。専守防衛は、敵地攻撃能力を持たないと現実なかなか難しい。
 西側は土改の用水敷、そこも荒地で同様に、葛が豊かな隣国へ侵入を図る。だからここでも専守防衛の敵地攻撃。とにかくクズは手に負えない。豊かな国土を維持管理する領主の身としては気を抜けない防衛戦の日々。戦力は我一人。
 ふと気づけば、カボチャが勢いを増し、四方八方、鉄道敷にも蔓を伸ばして、このまま放置すると線路上まで進出の勢い。こりゃあマズイ。列車事故にでもなったらただでは済まない。蔓の先を我が領土内に収めるよう、もったいないがそこも刈り取った。ピンポン玉大の実がついていたのに。先走る軍部を抑えるのも領主の役目。
 ミニトマトが色づいてきた。初物収穫目前。チビ苗どもも徐々に立ちあがって一丁前の様相を見せ始めた。豊かな地力のたまもの。その地力を頼りに領国内部で雑草が繁茂しだした。オヒシバ、メヒシバ、初めはしとやかに見せているこいつら、放置するととんでもない形相に変貌して、領国内部から大反乱を起こす。領主としては、領国の外も内も、気を抜くことはできない。せっせと朝の畑へ通い、朝飯の後、山林へ通う。クマに領土を譲らない意思表示に。
 土曜の夕Runは、例の北岳走。お父さんの初七日が終わったばかりのYoumyさんが来ていた。いろいろ大変だったと思う。肉親との不条理な別れ、理不尽さ、葬儀を執り行わなけらばならない気苦労・・・せめて走ることでいっとき気を晴らしてもらえれば、とにかく走る気が起きたということで、よかったな~。
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6月26日(金) 雨降れば脚は休めて眼は酷使
 雨の日はありがたい。一日中インドア。書斎派に変身して終日机に向かう。
 まずは、日曜日の大里峠の準備。Tamuちゃんからの様々な文献資料、なかなか目を通す時間がなかったが、今日は雨を幸いにじっくり下調べ。次々と新しいことが分かって、下見のHP「山の記」の書き加え度々。参加者の身になれば、それは当日の説明でいいですよというくらいのもの。ま、自分用のメモ。
 次は、ずっと手をつけずに来た鳥海湖山行の写真の整理。カメラ術の手引書に必ず書いてあること「シャッターを押して撮ったままの写真は写真ではない、それはただ目の前に見たことを切り取ってきただけで、写真にするには、そこに作者の思いや主張を込めなければならない、それが現像」と。昔であれば、暗室にこもって一晩も二晩もかけた作業をPCで専用のソフトを使って処理する。それでも撮ってくる写真の数が多いから、そこから選ぶのに時間はかかる。プロは千枚から1枚選んでどうにか使えるものができるとか。とてもそこまでではないが、明暗、色調、トリミング等々、結構手間暇かけて仕上げる。
 そして、動画。余分な部分が多いからカット、カットとつなぎ合わせ。とりわけ、ドローンは撮影モードにしたまま飛ばすから、その中から必要部分だけを取り出すのに、何回も見直したりで結構時間がかかる。
 それから、現像した写真と動画を組み合わせて、一本の動画にし、音楽を入れ、タイトルなどの文字を入れて出来上がり。YouTubeにUPして完了。
 最後は、HP「山の記」の作成。動画にした画像の中からさらに選りすぐって掲載して、キャプションをつける作業。
 ほぼ一日がかり。大変な作業のように聞こえるかもしれないが、これがまったく面白いのだから、やめられない。終日PCとにらめっこ、眼は相当に酷使した。ま、畑にしろ草刈りにしろ、山登りにしろ、写真動画編集にしろ、HPにしろ、要するに面白いのである。違いは、身体を酷使するか、眼を酷使するかだけ。だから、交代交代が望ましいのだが、なかなかそうはいかないから、雨の日はありがたい。
 上の写真は、庭のグーズベリー(和名・スグリ)。熟し始めたけど、どういうわけか毎年あまりおいしくない。上高地の薮中に野生のスグリがたくさんあった。
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6月25日(木) 良寛もバードも越えた大里峠
 朝畑へ行くと、植え付けた日には畝を枕に討ち死に状態だったネギ苗たちが、あれから2日たって、思い思いに立ちあがり始めていた。あのチビ苗たちの中にも、すくっと立ちあがったヤツ。これらの成長を見るのが楽しみになってきた。畑には強いダシ風が吹いていて、バタバタと鳴るトマト畑の雨避けの修復補強に一仕事。
 天気が変わるときは決まってダシ風が吹く。日本海の気圧が下がり、荒川に沿って小国盆地から空気の塊が吹き降りてくる。昔、子供向けの気象図鑑で、この荒川ダシが日本三大ダシの一つと書かれていたのを見たことがある。こんな日に下流に向かって走ると、行きはよいよい帰りは辛いで、えらい目にあう。だから、今日の夕Runは逆の上流に向かって走った。
 温泉橋の向こうに大里峠が見えた。山の名でさえ無頓着な人が多い。まして今は無用の峠など、気にも留めてない人がほとんど。大蛇の話は大したもんじゃ祭りのお陰で、村民はもちろん多くの人に知られているが、その舞台となった大里峠がどこにあるか、毎日見ていても「あそこ」と指させる人がどのくらいいるだろうか。
 今度の日曜日28日は、歴史館の古道探索会で、その大里峠の道を歩く。人気の企画で総勢30名超の参加者になるらしい。「大里峠はあそこだ」と知ってもらいたくて、Runの途中で写真を撮った。この写真ではよくわからないが、目のいい人なら送電線の鉄塔が見えるはず。一番奥の鉄塔が峠のあるところ、それが目印。
 それもあって、ようやく先週土曜日20日の下見の様子を「山の記」にUPした。あと2日ほどあるので、事前紹介のつもり。⇒ここをクリックしてください。
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6月24日(水) ヒトの世もクマの世も みな修行だぜ
 朝畑の後、朝食を済ませて6日ぶりに山林へ行ってみて、びっくり仰天。大杉の皮が剥かれて丸裸。白肌の幹が乾いているから昨晩や今朝ではなくもう一日二日前くらいか。山歩きではよく見かける光景だが、我家の山林では初見。クマ公の仕業「クマハギ」。秋にクリの木に櫓を組んだり柿の木に爪を立てたりした跡をよく見かける年があって、ここまで熊が来ていても驚くほどのことはないのだが、ついに杉の木まで狙われたかと思うと、やはり驚く。もう一段山の上に上がれば杉林はいくらでもあるのに、わざわざここまで下りてくるとは。
 山歩き中よく見かけはするが、林内、軒並み皮を剥がれているのを見たことはない。大概、1本か2本、しかも離れて。クマにしてみれば、「こんなに何本もあるのだし、使い道もない木なのだから、一本くらいいいでしょ」ということか。
 近寄ってよくよく見てみれば、2本の前歯を立てて甘皮(形成層)の部分を丁寧に丁寧に削ぎ取っている。ここに栄養分があるのだろう。それにしても、これだけ丁寧に削ぎ取るには一晩中の作業だったに違いない。そうとうの根気ものだ。春に、東京に住む姪のMaiちゃんに山菜を送ったら、「一晩かかって蕗の皮を剥いた、一枚一枚、無心で、まるで修行僧の気分」とメールが来たことがあった。このクマ公も同様に、修行僧の気分だったに違いない。
 ここは人間様の領域だぞと示すつもりで、辺りの草を丁寧に刈り払った。「もう諦めて出ていけば」というのがクマ公の言い分、「まだまだ、そうはいくものか」と、こちらの言い分。
 熊の姿を見かけたら通報義務が村民にはあるのだが、痕跡の場合はどうなのか?帰りに歴史館にちょっと立ち寄って話したら、早速役場に情報を入れてくれたそうで、ありがたかった。何しろ、すぐ目の前が中学校のグラウンド。日中は出ないと思うが、用心に越したことはない。とりあえず明日以降もせっせと草を刈って、見通しを良くしておこう。そういえば、昨日のネギ植えも毎年の草刈りも、只管無心で、みな修行みたいなもんだ。
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6月23日(火) チビ苗を見捨てられずに 800本
 種を蒔いたのが3月25日。庭の育苗トレイ5箱、余った種は畑へ。初めての育苗、不安もあって2袋、多すぎるかとも思ったが、生育の良いのを選んで300本も植付られれば上等のつもりでいた。以来3ヶ月、水やり、月1の追肥と成長を見守ってきた。畑の方が生育が良好で、そのまま食卓へ上げてもよいようなヤツもある。トレイの方は大小色々。300本に不足はない。
 さて、今日いよいよ植付日。早朝、まずは畑育ちの大物君から、抜いて本畑に植え付けていく。わずかばかりの小物君は後回し。次にトレイ育ちの大物君。たくさんの中物、小物が残った。ここまでで、本数はもう十分。でも・・・どの苗も愛おしく、いと惜しく、選別外にして捨てる気には、とてもなれない。名監督は補欠選手の進路先まで気を配るというではないか。
 一旦朝飯に戻って、出直し。残りの中物君から植付再開。畑の空き分を見ると、間隔を詰めれば小物君も全部植えられそう。また一旦昼飯に戻って、出直し。結局、春のアサヅキ級のチビ苗まで、ぜ~んぶ残さず植付けた。ざっと数えて800本、よく数えればもしかすると900本は超えてるかもしれない。
 優等生の席は最前列、劣等生は最後列ながらトマト畑前の特等席。ビー玉ネギの例もある、彼らも今では立派に食卓に上がっている。その味ときたら堂々たるものだ。最後列のチビ苗たちも、いずれ堂々と食卓に上がってくれるに違いない。
 植付間隔は狭すぎたようだし、そもそも本畑作りの施肥で失敗しているから、この後の生育は果たしてどうなるものやら。いずれにしろ、ボクはキミたちを見捨てなかった。
 三度通勤して一日がかりのネギ植え、とにかく疲れた~。とても走るどころではない。
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6月22日(月) 水出たよ!魔法使いか 職人さん
 庭の白花ホタルブクロが消えたと思ったら、こんなところに一株。今はもういない畏友Tomoさんがずっと以前持ってきてくれた花。ずいぶん増えたと思っていたのに、今年は紫花ばかりで白はちっとも見えない。探したら庭の片隅、シモツケとオカトラの陰でひっそりと咲いていた。去る人日々に遠い。
 突然水道の水が出なくなった。自家用井戸のポンプがウンともスンとも。慌ててかかりつけの業者さんへ電話。どうしたことか、いつになくそっけない対応。「住所は?」「え、上関のと名乗ったがなー?」「番地を」・・・いつものお姉さんと全然違う。
 電話の後、改めてポンプに触ったら、とんでもなく熱い。こりゃまずい、発火でもしたら大変だ!と、再度電話しようと、さっき使った業者さんの封筒の電話番号を見て、しまった!電話したのは村上の本社だったかも。慌てていたからな。今度は間違いなく下関の営業所の番号へ。出たのはいつもの明るくてハキハキ声のお姉さん。「本社から連絡回っています。なるべく早く伺うように連絡しておきました。念のため、電源を抜いておいてください」。やっぱり地元はいいなあ。
 しばらくして所長さんが来てくれた。Okkaaと何やら話してちょこちょこ何かをしているなと思ったら「水、出たよ」。「えっ、もう?まるで魔法使いだなあ」。水車がすり減っているから交換すると言う。部品が届くまで、もしまた水が止まったら、ああしてこうしてと、魔法の手技を教えてくれた。これでオイラも魔法使いの弟子。
 またしばらくして、所長さんから電話。もう20年以上も前のポンプで部品は無いそうで、もし今度壊れたらポンプ交換だと。それでもダメなら井戸の掘り直し30万と恐ろしいことをおっしゃる。幸いなことに、その後弟子の手技を使う場面はなく、ポンプは順調に動いている。職人さんの魔法、いつまでも解けませんように。
 今日はさすがに脚休め、完全休養日。長ネギの苗が伸び切って気はせくが、畑は、明日。
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6月21日(日) 鳥海湖 ハクサンイチゲ 今盛り  ⇒「山の記」へ
 ノボラーズ企画第2弾は、鳥海湖。山頂へは行かないとしても、鳥海湖を見下ろす御浜小屋の標高が1700mで登山口の鉾立が1150mだから標高差550mの立派な登山。その上、途中は長ーい雪渓。どうしてどうして、もはやノボラーズのグループ名は返上して、これからはマタノボローズに改称してはどうだろう。
 それはともかく、最高の登山日和。暑からず寒からず、空は快晴、鳥海名物の雲もなし。おまけに今が盛りのハクサンイチゲときたら、それはもう一面のお花畑。緑のじゅうたんを埋め尽くす真っ白な花模様、緩斜面いっぱいに広がるその光景ときたら、それはもう得も言われない、絵にも描けない、どうにもならない美しさ。
 さらにおまけに、ハクサンイチゲの間には、これまた一面ニッコウキスゲの株、葉を広げていて、ところどころに蕾。7年前にニッコウキスゲの花の盛りにここへ来た話をすると、方々、「その時期に、もう一度来たい! いやぜひ来よう!」と衆議一決。かくて、ノボラーズはマタイコーゼズに再改称。
 下山して道の駅ねむの丘で食べた地魚丼とアラ汁の美味かったこと、それに、海に没する夕日、水平線ぎりぎりまで燃え沈む夕日は滅多に見れない。感極まれりの5人行でした。
 今回不都合で来れなかった、Ike会長さん、Youmyさん、そのほかの会員さん方、来月ニッコウキスゲの時期に来れますように。
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6月20日(土) 大蛇の気持ち 峠に立ちて量る   ⇒「山の記」へ
 ここは羽越国境の、大蛇伝説で名高き大里峠(おりとうげ)。いまTamuちゃんが跨ぐのは国境線、左・羽前国、右・越後国。1週間後の古道探索会の下見。
 下山した後、Tamuちゃん、上司の館長へ復命して曰く「峠から見て、大蛇の気持ちが分かりました」。と、館長、復命受領して応答「貝附の狭戸を眺めれば、大蛇ならずともあそこを塞き止めて湖にしたいと思うよね」。
 ソンナモンジャナイソンナモンジャナイ、峠でのTamuちゃんの表情を思えば、とてもソンナモンジャナイのです、館長さん。蛇に変じた我が身を愛おしき夫や子に晒したくない一心で湖底に身を隠そうと思ったおりのへの同情心、憐憫心。いやいや。蛇喰に建つおりのの碑文を知れば、もっと奥は深い。夫、子、家を救うため苦界に身を沈め、蛇になって川へ消えたことにせざるをえなかった悲劇の歴史の不条理、怨念・・・。
 で、私はと言えば、峠の大里大明神の祠前に座してつらつら思うのです。この峠を真夜中に越えようとする旅人がいたとは、到底信じがたいと。仮にそんな人がいたとして、麓の茶屋で「明日の早立ちにしろ」と止められるに決まってる。そこで、あっと閃いた。「それで、この話の主人公は目の見えない旅人なのだ」と。江戸時代のシナリオライターもなかなかやる。話に真実味を持たせるために考えるものだ。そういえば、各種ある話の中には、主人公は身内の臨終間近のためにどうしてもこの夜に峠を越えたかったとか、へ理屈まで付け加えていたのがあったような気がしたな。
 本来は、良寛様が越えた峠道を辿る企画なのであって、峠を越えた麓・玉川集落には良寛宿泊の古寺も残っているのだけれど、ここ大里峠だけはどうしても大蛇伝説からは抜けられない。他に鉱山跡の廃墟などもあって見所満載。28日の本番、参加申し込み多数、どうか晴れますように。
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6月19日(金) 君の名は何?山に問い花に問う
 谷川岳の稜線で、真逆の関東方向を眺望して「苗場山がよくみえてる~」と感動の声を上げていた女性。周りの山人は「素人さんだな」とほほえましく眺めて何も言わない。私もよく山頂観望で勘違いを起こす。多くの場合隣にUnqさんがいて「ちがう、ちがう、その山は反対側だ」と即訂正が入る。
 千畳敷カールで、女性数人に花の名を教えていた小父さん、近寄って聞いていると「おいおい、その花その名じゃないだろう」と言いたくなる説明。私もよくそれをやる。平標山で、「シモツケが咲いてますねー」と言ったとたん、「シモツケは木、これは草だからシ・モ・ツ・ケ・ソ・ウ」と、後方から即訂正が入った。これはUnqさんではない。
 先日の4人Run、鷹ノ巣からの帰り下川口の鉄橋の石垣に黄色い花がびっしり。「何て花?」と問われたから「ああ、それはベンケイソウ」と答えたら皆感心してうなずいていた。その数日後、歴史館に寄ったら間の悪いことにその花があった。摘んで持ってきてくれた人がいたらしい。で、さっそくUnqさん、「あの時の花がこの花で、ベンケイソウと言ったが違ってて、この花の名はキリンソウ」。ダメ押しに、Tamuちゃんが図鑑を突き付けた。キリンソウはベンケイソウ科だそうだから、あのとき「ベンケイソウの仲間だ」と言っておけばよかったと思ったが後の祭り。
 今日の土手Runで撮ったこの写真の草。土手には時期になると黄色いブタナの花がびっしり咲いて、その後にこの穂のようなのが出てくるから、てっきりブタナの穂だとばかり思っていて、UnqさんにもYoumyさんにも、そう言ってきた。で、キリンソウのことがあって、またまたTamuちゃんに図鑑を突き付けられてはたまらない、その前にと、今図鑑を調べたら、なんとこれはヘラオオバコ、しかもこれがこの草の花らしい。この草がびっしり立っていて、その間にたまに見かけた白い綿毛のタンポポの穂みたいのがブタナの穂だった。
 公民館登山の光兎山、山頂で山座同定講座を開いた講師氏、周囲の山を棒で指しながらやおら遠望の山の名を上げ始めたが、どうも方向が90度違っている。あら~どうしようと思っていたら、すかさずUnqさん、「その山は、そっちでなくてこっちです」。
 と、講師氏「お、そうだった、勘違いしてた、そっちだった」。何事もなかったようにすっと90度向きを変えて平然とスラスラと説明を続けた。玄人だなー、こうでなくっちゃ。
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6月18日(木) 「今に見ていろ」 言ったチビ苗みごと!
 ♬こ~んなチビ苗何になる♬ ♬な~んの負けるか今に見ろ♬ こう歌ったのが昨年の11月3日⇒こちら 初めて挑戦したタマネギの育苗に失敗して、どうしようもないほど小さい苗を植え付けた。そのチビ苗たち、よくぞここまで育ってくれた。ビー玉ネギ、ピンポン玉ネギがほとんどだが、一丁前のタマネギには足りないものの7分8分の育ちのものもあるにはある。隣畑の親切なお婆さんから頂いて補植した苗も含まれてはいるが、大部分は種から育てた苗。がんばった、チビ苗‼
 これまで長年タマネギを栽培し自信があったのだが、それは専門の八百屋さんから購入した立派な苗だったからこそのこと。すべては苗。それが分かったことが今回の大収穫。同じ轍は踏まず。今、長ネギの苗は種からすくすくと育っていて、もうじき植付の時期。2回目のタマネギの種蒔は秋、今度こそ。
 この日はほかに、カブ、シュンギク、アスパラナの収穫。みな種を蒔いて育てた。畑作の喜びはこの時にありと、誇らしげな顔をしていそいそと帰宅する早朝の軽トラの運転席なのでした。「また明日のこころだ~」と叫びたい気分で。
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6月17日(水) イタドリやスイバ・ギシギシ 嫌われて
 ギシギシにスイバ、畑の嫌われ者。わきまえているのか畑の中には生えず、畦道で、ギシギシは大株になるしスイバは背高のっぽになって邪魔をする。山林では、イタドリが我が物顔。とりわけオオイタドリときたら、2m超の密林となって山林を蔽いつくす。我家のもう一つの年中行事は、6月から始まる山林の夏草刈り。今日から開始。まずはオオイタドリのジャングル退治から。
 去年、半端で草刈りを止めたら、そのあとの山林の荒れようはすさまじかった。春のカタクリ園も藪の中。ワラビ園も茨薮の中。その春に去年の分の藪を刈り払っておいたから、今年の6月刈払いは、草が軟らかくやり易い。今刈った所はもう一度草が立ってくる、だから盆過ぎにもう一度刈り払うことになる。1町歩の山林の管理、神が人間に与えた仕事と思えば何の苦ではない。

 Youmyさんのお父さんが亡くなられたという。いつも一緒の家族が一人、ある日を境に突然別世界の人となる。その理不尽さに打ちひしがれているに違いないし、残された者としてしっかりと送らなければと責任感に身を固くしているに違いない。そう思いながら、ありきたりの悔やみの言葉しか言えないのが切ない。出来るだけ早く身を軽くされて、また山行に戻ってきてほしいと願うばかり。お父様のご冥福をお祈りいたしつつ。
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6月16日(火) くたびれ損の骨折り儲け カ~ツ‼ 
6月5日の庭のスイカズラ(昨日の話の花、いい香りです。)
 とんでもない間違いをしたものだ。今朝、畑から帰るといつもの八百屋さんが来ていて、「長ネギには石灰窒素だよ」と言う。「高いから硫安にした」と言うと、怪訝そうな顔で「硫安ねえ、昔はよく使ったものだけど今は聞かなくなったな~」と小声で呟いた。
 で、急に6月9日の欄に書いた石灰窒素と硫安のことが不安になって、朝食後WEBで調べた。結果、リン酸だなんてとんでもない。石灰窒素というくらいだから窒素に決まってる。考えてみれば当然のことをなぜリン酸などと?それに、リン酸単剤だと思った硫安も窒素単剤。さては、コメリの表示間違いか。午後になってコメリへ行って、肥料売り場の表示を見たらどちらもしっかりと「窒素」と書いてあった。苦土石灰には「リン酸の吸収を助ける」と書いてあったから、それを見て、窒素をリン酸と早とちりして思い込んだに違いない。よくやる間違いを、またやってしまった。ま、これはその程度の話。
 大間違いは、それではない。午前のWEB調べの続き。石灰窒素はアルカリ剤で硫安は酸性剤、だからニ剤同時使用はあり得ないとあった。やるとどうなるか、アンモニアガスが発生して有毒、さらに相殺しあって肥料効果はゼロになる、とあった。
 長ネギ用畑に苦土石灰を鋤き込んだのが9日。その表面に硫安を撒いたのが11日。そして昨日夕、その畑を鍬一丁でご丁寧に耕して硫安を鋤き込んだものだ。終わって土手を走ったらどうも調子が悪い。どうにか5キロまで行ったものの戻りは休み休みでやっと。3日目の疲れかと思ったが、あれは有毒アンモニアガスを吸ったせいかも。すぐ傍にトマト畑、過保護どころではない、逆の、いじめになってしまったか。
 今早朝の作業で、堆肥と化成肥料を撒いてこれまた鍬一丁で鋤き込んできた。二日続きの鍬一丁作業で腰が痛い。が、それは置くとして、大事な石灰効果が打ち消されてしまったとしたら、さあ、この始末どうつける?午後のコメリで、肥料売り場の表示を確認した後、そこでしばらく考えた。長ネギの苗はとっくに育っていて、来週の植付を待っている。ここで石灰窒素を撒き直したら2週間は待たなければならず、植付はあと1週間延びて7月に入ってしまう。さあ、どうする? と、目の前に有機石灰の袋。「これだ!」これなら、撒いてすぐにでも植付できる。
 さて、話はこれで終わらない。
 コメリから、コイン精米へ回った。玄米を精米機に入れて、さあ百円玉を財布から出そうとすると、ない!家を出る時、百円玉が三個あるのを確認していた。あっ、コメリの前に郵便局に寄って切手を買って、その三百円を使ってしまった。何も考えずのうっかりミス。五百円玉は二個もある。郵便局でそれを使えばよかったのに、さあ、どうする? 米は戻せないし、以前あった自販機ももう撤去されてないし。
 オロオロして道路に出ると、遠くに自販機らしいものが見えた。走っていくと埃まみれのドリンクが入っていて、どう見てもおつりが出るとは思えない。隣の商店はシャッターが下りている。グルーっと回って覗き込むと一ヶ所空いていて中に人の気配。恐る恐る入っていって、老ご夫婦らしいお二人に事情を話して両替を頼み込んだら、ご親切に快諾。助かった。
 深謝して走って精米所に戻り、早速コインを入れて、精米終了。家に戻って、その米を炊いたOkkaa曰く。「なんか、米の色が変?」よく見たら七分づき。前に使った人がダイヤルを七分にセットしたままだったのを、よくも確認せずに使ったのが間違いのもと。前回の15㎏精米で200円かかったのに、今回は100円で済んだのは、さてはそのせいだったか?
 いやはや、幾つになっても早とちり早合点そさくさ者の質は治らない。運転だけはとにかく気をつけよう。
 あ、失敗は失敗として、結果オーライ。七分づき米も悪くはない。腰が痛くてくたびれはしても、骨折り分は次回への勉強賃。だから、「骨折り損のくたびれ儲け」ではなく「くたびれ損の骨折り儲け」
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6月15日(月) 刈り込んで刈り込んで 陽の射す庭に
 毎年の我家の年中大行事、庭木の新梢刈込、今日で終了。6月3日から開始して、みっちりではないけれど7日がかり。刈った枝や葉の掃除はOkkaaの役目、二人がかりでもう何年続けてきたやら。狭い庭のキャパを越えて植えているから、日照の平等性のため、大きな木は可哀そうなことにバッサバッサと刈り込まれる。小さい木もより小さくなるようにバッサバッサとやられる。長髪にしたくても許されない短髪カット。松の木などついに2本とも太幹をちょん切られて、樹液を切断面からダラダラと流している。まるで悔し涙に見えなくもないが、これで傷口の消毒と保護をしているというのだから、たいしたものだ。陽が射し込むようになって喜んでいるのは苔。それと、瀬戸物のカッパ。
 まだ、桃梨リンゴ梅ジシャガラの整枝剪定が残っているし、花が咲いているツツジも花後剪定する。それらは、ちょっとずつおいおいやることにして、とりあえず、庭はスカッとして明るくなった。
 山林へ竹を採りに行ったら、木々が伸び伸びと伸び放題に伸びていた。庭で芽を出して山林へ移植したジシャガラやヤマボウシ、実生の幼木から育てた山桜など、思い切り枝を伸ばしていた。それらから見れば、庭の木々は、酷い扱いを受けているように見えるだろう。山林から掘り採られて庭に移植されたスイカズラなど最たるもので、いい香りのする花が終わったとたん、丸坊主にされた。
 どこだったか、土手Runの途中、無人になった家だろうか屋根瓦の上までスイカズラが這い上がっているのを見た。あれはもしかすると我家の将来図。スイカズラどころか、フジにアケビにブドウにブラックベリーにと、蔓物だらけ。想像するだにあな恐ろしや。
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6月14日(日) 超過保護 6本トマト実生らせよ 
 午後から雨予報、しかも大雨。トマトの雨避けをそれまでに間に合わせようと、起き抜けの竹割。朝まだき、ガツンガツンと竹にナタを打ち込む音。隣近所の迷惑にならないようにと、車庫の裏口の一番奥まった陰地に引っ込んで作業。それでも、竹は固く、ナタの頭を丸太ん棒で叩き打つ音が結構響く。気持ちは遠慮しているのに、音は遠慮してくれない。
 朝食後、畑へ。初めマルチの透明シートを使うつもりでいたが、薄すぎて、代わりにOkkaaの漬物袋を無断で失敬して持ってきた。その袋を現場で切り開いて、ガムテープの透明判でベタベタと張り付けた。
 このテープが曲者。丈夫で手では切れないのでハサミで切る。と、残った方の切り目が元の巻テープにピタリとくっつく。次に使おうとすると、切り目が透明で見えず探すのに一苦労。やっと見つけた薄い切り目、それを爪で剥すのに一苦労。手では横に切れないほど丈夫なくせして、爪で剥すと簡単に縦に斜めに裂ける、そうならないように、そーっと上手に剥がすのに一苦労。ひと貼りごとに、その苦労の繰り返し。これには参った。
 それに、現場には以前から鳥除けのテグスを張り巡らせてあって、そこを潜ったり跨いだり、頭を引っかけたり。これにも参った。段取りが悪いのは自分のせいで、これはテグスのせいではない。
 やたら蒸してきて汗がダラダラ。これにも参った。が、無風で助かった。風があったら、ビニル袋が煽られてとてもできる作業ではなかったから、これは僥倖。
 で、どうにか予定通り、構想通りに作業完了。これだけ手をかけたトマト。ミニにはすでに青い実がびっしりぶら下がっているし、大玉にも一つだけアオダンブツ。実を生らせろよ。
 作業を終えて、気が付いた。これでは、トマトの木の上部に手が届かない。雨避けのシートを持ち上げられるようにしなくっちゃ。ま、今日はこれでよしとして、改造は、今日明日の大雨のあとだ。
 午後、予想通りの強雨。庭の雨を見ながら、竹デッキでたっぷり昼寝。創世記も読み終えた。
 夕、ドームへ行ったら、日曜休日は5時半で閉館することになったと、管理人さん。4時半を過ぎていた。それで、急ぎの5キロ走。キロ6分半から始めて、1キロに15秒ずつ上げていくビルドアップ走。久しぶりにまじめに練習した気分、大汗かいてスカッとした。
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6月13日(土) 長坂を駆け上がるのも山の為 
 1週間前の光兎山公民館登山の動画を、一日かけてでかし上げYouTubeにUPした。静止画だけだと簡単なのだが、カメラで撮ったビデオにドローンで撮ったビデオがあって、それらの要所だけを取り出してつなげるのに時間がかかった。その分、静止画だけにはない面白さがあって、LINEに送ったので、行った人にも行けなかった人にも喜んでもらえるだろう。YouTubeは ⇒こちら からどうぞ。
 夕方、2週間ぶりの4人チームRun。夏にKeynさんの希望で北岳へ行く。あの日本第2位の高峰・北岳。そのために今からこうやって足を鍛える。Unqさん名付けて「北岳走」。北岳草に逢うための北岳走・・・ウマイ! 「鍛錬なしに山へ登るのは山への冒涜だ」と言ったのは、確か岩崎元郎・・・これも名言。
 鷹ノ巣を目指して、R113の1キロ坂を上る。足の鍛錬にはもってこいの場所。ゆっくりゆっくり。一流選手でもジョグ&ウォで調整するという。まして我々高齢者、3回に1回はJ&Wがいいと書いてある本もあった。確かに、翌日はRunの後とは違って足が軽快になっている。
 鷹ノ巣温泉の駐車場に、思いのほかの車、しかも全国各地から。世の中が回転しだした。よかったなーと、温泉地の賑わいが我がことのよう。いやいや、これで我々も遠征登山に晴れ晴れ行けるようになるのだから、「よう」ではなく、まさに我がことでもあるのだ。
 鷹ノ巣の吊り橋はランニング禁止。なのに、このポーズ。「写真を撮るよー」と言うと、パッと腰に手が行く、条件反射ができているのです、みなさん。あれ?あの坂道はどうだったかなー?
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6月12日(金) 梅雨に入り 草も心もしっとりと
 朝畑へ出ようとしたら雨、H君へメール入れて今日は在宅だと伝えた。長話は雨の日にしようと約束をしていたので。
 午前、Tさん来宅、古絵図の解読結果を渡して暫し古文書談義。江戸時代から現代まで、家も人も暮らしも繋がっている。それを知る手がかりを得たいという思い。同感だ。昨日歴史館でTamuちゃんが喜んでいた。何かと思えば、平成の初め頃の村内の電話帳を見つけたら屋号が載っていて、大石に、古絵図に載っていた人名と同じ屋号があったと。天保の江戸時代から平成の現代へ確実に繋がっている証。同感の同志だ。それにしても、電話帳に屋号・・・平成も遠くなったなぁ。
 約束通りH君から電話。終わってから通話記録を見たら1時間21分17秒。それだけ楽しい会話が続いたということ。聖書の話、自然界の話、生き方の話。20代、血反吐を吐くほどの部活を共にした彼。30代、企業戦士の第一線に立っていた彼。まじかに見てきた。それが今、70代。人の世の事、神の世の事、穏やかに楽しそうに語りつづける。いい友が帰ってきてくれたと心底思う。
 毎朝、神棚に手を打ち、仏壇に手を合わせている身、神の存在に違和感はない。それが違うんだ、神は唯一の存在なのだと彼は言う。ま、そこは目をつぶって、彼の言う世界に好奇心は湧く。何がそこまであの彼を惹き付けたのか、覗き見してみたいという思いで聖書の創世記を少しずつ読み進めている。仏典も、こんなふうに読みやすく万人向けに書けばいいのにと思うのだが、どこかにあるのだろうか。
 4月21日に種を蒔いたアサガオの苗を今日鉢に移植した。半分芽を出さなかった。同じ日にポット植えしたサトイモからは結局芽が出ず、苗を買いなおした。同時に購入したショウガイモを植えた畑からはまだ芽が出ない。庭の桃が、ふくらんできた。
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6月11日(木) 木の成長止めて 人の成長褒む
 庭の主役は松と石、なんて言っている時代ではない。もっと自由自在の時代。他人に見せるための庭でもない。自分で気に入ったように造るマイガーデン。2本の松には重要な役割を与えてある。1本は、竹垣の塀を支える役目。もう1本は、枝を長く伸ばして門かぶりの松風だが実は、2本足の門を上から押さえて支える役目。毎年伸び放題に伸びてくる新芽を刈るのが大仕事。
 以前は今よりずっと背が高く、伸縮梯子を最大に伸ばして刈っていた。が、数年前それも怖くなって一段幹を詰め、2間の脚立梯子でどうにか手が届く高さにした。今年昇ってみたら、2間脚立の3段目でも怖い。それで、思い切って2本とも、もう一段幹を詰めることにした。天地人だの枝ぶりだのと言っている場合ではない。とにかく役割を全うしてもらうことだ。
 1本目、塀支えの松の幹をノコギリで切断した。これでどうにか楽に剪定ができるようになった。2本目を切ろうとしたら小雨が降ってきた。やめてくれーということか。滑って梯子から落ちては元も子もない。作業は中断。
 夕Runへ行く途中、歴史館を表敬訪問。そこで、久しぶりに議員のOさんに会った。益々のエネルギッシュ、盛りの人はいいなぁ。ドームで中学生になったHaru君にあった。ずいぶん大きくなっていてびっくり仰天。成長期はすごいなぁ。
 土手Runは、ミスト状の雨の中。強烈な陽射しよりは気持ちよい。この雨で梅雨に入ったと夜のニュース。
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6月10日(水) 土手の上 チガヤ手招くあの頃へ
 目が覚めたら5時15分、アラームも鳴らなかった。昨日のことがよほど疲れていたらしい、9時間ぐっすりと寝た。朝畑なし。朝食後の陽射しは厳しさを増し、そのまま終日インドア。コロナ体制が緩まったというのに今になってのStayHome。
 夕5時になってRunに出たが、陽射しはまだきつい。とても夕日に向かう気にならず、東へ走る。背と肩が熱い。
 土手に銀狐の尾のような穂がびっしりと生えていて、日に当たって揺れる風情が何ともいい。しばらく前から気になっていて、その時は図鑑で調べようと思いながら、終われば忘れていた。国上山のオドリコソウのことを思い出して写メをLineに入れてUnqさんに問い合わせたら、すぐに返事が来た。「チガヤでは?子供の頃噛んでいた」と。便利になったものだ。が、温泉橋を渡りながら、考えた。これはもしかしたら禁じ手では?自分で調べなくなったら、堕落の坂の転落だ!
 丸山大橋まで上がって、そこから先はこの時刻熊の領域のような気がして折り返した。土手に戻ってふと思った。「噛んでた?」そういえばと、子供の頃の懐かしい風景が浮かんできた。この草に似た穂を口にくわえたまま片手でスウーッと横へ滑らせて口から抜くと、唇の両端に墨で引いたような線の模様ができて、それを友達みんなでやって、インデアンだなどとキャッキャキャッキャと笑い転げたものだった。あれがこれだったのかな?たしか、ウマノシベとか、言わなかったかな?
 ドーム近くまで戻ると、チガヤの向こうに朳差岳。次の日・月はあの山へ行く予定だったが、予報は最悪。無理かもな~。
 家の「新潟県野草図鑑Ⅱ」にチガヤが載っていた。「若い穂をツバナといい、あま味があるので昔はぬいてかんだものだ」とあった。ウマノシベではないようだ。そんな名は図鑑にのってない。ウシノシッペイはあったが、墨のことも子供が遊んだことも書いてない。遠い遠い昔のことだ。
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6月9日(火) 二度昇る山の端の日に 二度低頭 

 大島まで行くと光兎山から日の出、4時44分。貝附の狭戸を越えると太陽は一旦、市村境の山に隠れ、山陰の畑はまだ日の出前。ヤンマーポチ号のエンジンをかけ耕起を始めた頃、5時13分、薬師山から荒川へ落ちる尾根筋の一角から、二度目の朝日が現れる。今日は長ネギの畑づくり。苦土石灰を撒いて鋤き込む。久しぶりの出動にポチ号勇む。
 午前は読み書きの時間にあて、午後、珍しくOkkaaと買い物に、中条へ。
 まずは靴屋。私の足なら靴を履けばすぐ「これがいい!」と言うのだが、Okkaaの足はそうではないらしい。店員さんを呼んで「ああでもないこうでもない」、あっちの靴こっちの靴、持ってきてもらっては「ああでもないこうでもない」。「その色なら取り寄せで3日後になります」と、所在なく眺める陳列棚の向こうで店員さん。「帰ってアマゾンに頼めば明日届くぞ」と思ったが口には出さない。ようやく決まって、1万5千円なり。「え、オレなんて1万円以上の靴を履いたことないぞ」と思ったが、あ、登山靴・・・と気づいて口には出さない。
 次は、笹団子。「金澤屋は線路を越えて駅の向こうだ」。近頃やたら物忘れの激しいOkkaaが、なぜか確信的に指示する。ナビに尋ねればその通り。この店、カードは利かないという。送料を含めると持合せの現金では予定数買えない。最近はカード払いで現金は持ち歩かない。仕方ない、持金に合うだけの数を注文して送状を書こうとしたら、スマホに住所が入ってない。そんなバカなと思うがないものはない。出がけに念を押すOkkaaに「現代は、スマホなの!」なんて威張ったのに。仕方ない、持って帰って家から送ることにしたら、送料がない分予定した数が買えて、さらに自家食分10個も買えた。箱に「なまもの」と大書あり、「家まで30分、車の中において大丈夫ですかね?」と尋ねると、「大丈夫、でも日には当てないでください。送るときは冷?便でお願いします」と言う。ああクール便のことだなと思ったから、聞き返さずに店を出た。車のエアコンの利きが悪くて車中暑いんだけどなーと、それは言っても仕方がないので口には出さない。
 帰宅が急がれるのだが、もう一軒どうしても寄らなければならない店がある。
 毎週火曜はCOOPの配達日で、一週間分の食材が届く。注文締め切りが前週木曜の午前2時。それをすっかり忘れたので、今日は牛乳と納豆と豆腐とキャベツの固定注文品しか届かなかった。今晩からの食材がないというので、イオンへ。
 駐車場の日陰を探して1周。1ヶ所だけ建物の日陰になる場所を見つけたが、空いてなくてもう1周。戻るとうまい具合に小母さんが一人、車に入った。その車の左斜め前に停めて、出たらすぐバックで入れる体制をとり、バックミラーで注視。なにの運転席の小母さん、ちっとも出る気配を見せない。じっと待つ。どうやら向こうもじっと待っている気配。あっ、と気づいて、車を後退させると、小母さんスーと左にハンドル切って出て行った。右から出てくれれば何のこともないのになどとぼやきながら、すぐに車を前に出す。ここからが腕の見せ所。
 以前、スーパーの同じ状況で、車を前に出しバックで駐車スペースに入れるつもりでいたら、後ろから来た車にすっと頭から入れられて横取りされた苦い経験がある。日陰のスペースはここしかない。横取りされて、なるものか。
 車を完全には前進させず、狙いのスペースを少し塞ぐ加減で止め、切り返し切り返しでバック駐車。これが腕の見せ所。なんともせこいが、背に腹は代えられない。
 イオンの店内を走り走りで回って、肉魚果物総菜、良くも見ないでカゴに入れレジへ。3人目に並んでまだかまだか、やっと順番が来て、「袋はお持ちですか?」「いや、ない」「有料ですが、どうします?」と悠長にきた。何でもいいから早くしてくれーと、口には出さない。
 胎内観音の先のY字分岐を、のんきな前の車について行ってつい見過ごしそうになり急ブレーキ、急ハンドル。丸重商店に飛び込んで、送状用紙もらって「家で書いてくるから」と言うと、「集荷は3時で終わりました」と言う。「うわ、どうしよう?」「坂町のヤマトは、持ち込み5時まで大丈夫ですよ」。
 玄関前に車のエンジンかけたまま、家に飛び込んで住所を書いて、坂町へ。大島の辺りの国道で何台もの車列、先頭に大型タンクローリー2台。どうにもならず。4時50分、荷を車中に置いたままヤマトに飛び込んで「まだ間に合いますか?」笑顔のお姉さん「6時半までですから、十分大丈夫ですよ」。品物を渡したら「冷凍にしますか、冷蔵にしますか?」「え、クールで・・・」「クールに冷凍と冷蔵があるんです」。金澤屋さん、どっちを言った?電話をかけるが留守電、大忙しだったもんな。えーい、ここは2択。「冷蔵にしましょう」。
 ヤマトのすぐ近くに伊藤自動車がある。思いついて寄ってみたら、20分でエアコンを直してくれた。寒いくらい。早く見てもらえばよかったなーと、これまた全くいつもの後悔。
 家に向かうと、コメリの看板。あ、そうだ、隣の親切なお婆さんも、Naruさんもネギ畑には石灰窒素を撒くと言っていた。今朝撒いたのは苦土石灰。まずかったかなと、急ハンドルでコメリへ。あった、石灰窒素、二千九百何十円、高い。こんなの使ったら元が取れない。苦土石灰は三百円台。どこがちがう?説明書きを見ると、石灰窒素は酸性土中和のアルカリ剤+リン酸21%、苦土石灰は、同じくアルカリ剤+苦土(リン酸の吸収を助ける)とある。ということは、リン酸さえあれば同じこと。ふと、隣を見たら「リン酸単剤」の張り紙、下に硫安の袋、これだ!リン酸は同じ21%。値段は七百数十円、苦土石灰と合わせても石灰窒素の三分の一。これを明日長ネギ畑に撒くことにする。
 行き合ったりばったりで、歯車がうまい具合にかみ合って回ってくれたような午後。それにしても疲れた。もう、走る気力は微塵も残っていなかった。山に登るより、何倍も疲れた気分。食卓のダンゴ1個、笹を剥いて口へ入れた。うまい!笹団子は、金澤屋に限る。 
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6月8日(月) 難問の宿題解けた 苺月 
 朝畑2日目、快調。摘み取った菜花は姉宅へ。これも畑作の大きな楽しみ。
 午前は久しぶりに古文書読み。大石村古絵図の宿題をTamuちゃんから出されたのが先月22日。ABCの三文字が難解という。師範が読めない字を師範代が読めるはずもなく、持ち主のTさんから原本を借りてカラーコピー仕直しても、四苦八苦。アウトドアの合間にちょっと眺めたり辞書をめくったりして、まずはAの字に挑んだ。つくりの「若」に似た字を拡大して指でなぞると「各」になるのが分かってきた。こざとへんに各は、日本語にはない。足へんに似てるが少し違う。こざとへんに見えたのは金へんだ、と分かったのが今月4日の朝。だから、Aは「銘々」。メールを入れたら、師範も了解。
 さて、BCが難しい。ざっと見ればBは「趣」、Cは「返」。だが、意味が通じない。「意趣返しの場所」では、仇討の話になる。
 まずCから、「返」は二画目の縦棒がまっすぐ下がるが、拡大してよくよく見れば、この字は途中で筆を止めてちょっと折り返すようにしてから下げている。辞書で調べれば、そんなふうに書く字は、「退」か「迠(迄の異体字)」。そのどちらかは、Bで決まる。
 そのBが超難解。「趣」なら「走」から書くが、この字はつくりから書いている。「逃」に似ている。「逃退」、これだと「銘々にげのきの場所」、大石村の十数人がいなくなってしまう。これはいくらなんでも違う!
 しんにょうは、普通タテに棒一本で済ますが、糸の上の部分だけのように書く場合が稀にあることが、辞書で分かった。だから、しんにょうの文字に違いない。辞書を一字一字たどる。つくりは、点の次にタテ棒、右にはね上げてくるりと回して左へ下げて右に折り返して跳ね上げる。見つけた!この書き方で書くのは「進」。
 「進退」か。「銘々進退の場所」、なんだこりゃ?開田の絵図だから、耕作を続けようか止めようか迷っている所?それでわざわざ絵図面を作って役所へ提出するか?
 ふと、思いついた。現代と同じ用語でも、古語では違った意味で使われていたことがたまにある。もしかしたら「進退」もそれでは?と、古語辞典を引くと、やはり。「しんだい」と発音して、「身代」と同じとあった。これだ! 身代は財産、田は財産だから、これで決まり!
 「銘々の進退=身代(財産、持ち物)の場所相改め」。読めた! 古文書読みの醍醐味はこの瞬間にある。早速、師範にメールを入れた。難解の宿題を説いた学生の気分。昨日、苺月を見たお陰だな、ウン。
 午後は、庭木の刈り込みをして、登山靴を4足(Okkaaの靴2足)洗い、陽が傾ぐ5時を待って久しぶりのRun。夕日に向かって土手を走る。竹刀こそ持ってないが、気分は若き日の森田健作。そういえば最近TVでちょくちょく見かける彼、随分フケたな~。(自分のことはタナに上げて)
 ※ 大石村古絵図は、師範の点検が済み次第、「古文書分館」に掲載します。
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6月7日(日) 早起きは三文の徳 朝畑 

 今日からいよいよ朝畑開始。登山の日に午前3時4時の起床は常だから、早起きには慣れている。早く寝ればいいだけのこと。ひと月前から8時就寝4時起床の新生活態勢で来た。これまでは朝飯前のデスクワーク、朝飯後の畑だったのを今日から真逆にする。
 コメリの前まで来たら高坪山の上に朝の満月。6月の満月をストロベリー・ムーンというのだそうで、それでなくても大好物の苺、これはもういいことがあるに決まってる。草取りを開始したら、ようやく貝附の対岸の山から日の出。冷気が一気に温まっていく。これだけでいいこと十分。朝仕事の畑など73年の人生にして初めてのこと。初々しく朝畑デビュー。
 帰宅して、上関の湯へ直行。あとは終日デスクワークで、今日は完全に脚休めの一日。溜まった山行写真の3分の1が片付いた。まだ、3分の2つまり光兎山2回分の山行録が残っている。それと、古文書も。
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6月6日(土) 天空に憩う男女に ヒメサユリ   ⇒「山の記」へ

 「光兎山にヒメサユリを見に行く」公民館登山。一行の日ごろの行い正しく、この日、花も天候も絶好日。
 2日前の蕾がほとんど咲き揃い、それはもう得も言われないフラワーロード。濃いピンク薄いピンク、グラデーションの透ける花びら、黄色の雄しべ。なんという色艶形かと、登山びとたちは、ため息をつきながら小百合の花を撫でまわす。
 ヒメサユリだけでない。真っ赤に燃えるヤマツツジ、ピンクの釣り鐘ウラジロヨウラク、ツクバネウツギの柔らかな黄みがかった白、地には鮮明な白のハナニガナ、白や薄桃のイワカガミ、頭上には白くモワッと咲いたウラジロナナカマドの花。
 一年で一番賑やかに客を迎えるこの日の光兎山、2日前の厳しい陽射しもなく山頂の風爽やか。小学5年の少女から87歳の長老までスタッフ含めて総勢19名、累積標高1500mの難山を歩き切り登り切って山頂到達、顔には思い思いの満足感。標高970m独立峰の頂きからは360度大展望。遠くは飯豊、朝日の高山連峰、眼下に鷲ヶ巣山、新保岳、三面川の流れ、日本海に粟島。足下を見れば、女川、荒川、日ごろ盆地の底から見上げている故郷の山々を見下ろしていい気分。
 引率サポートに当たった阿賀北山岳会5人、山に浸る人々の顔を見れば案内冥利に尽きるというもの。自他共栄ならぬ自他共楽。これぞ登山びとの極意。
 詳細は追って「山の記」に。(登山季節到来、立て込んで整理作業が間に合わないのです) 
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6月5日(金) 老い知らす 垣根の花に虫ついて
 午前いっぱい畑の草取り。去年までの根菜畑であれば草ぼうぼうに放置しても何とかなったが、今年からは葉菜畑。去年までとはわけが違う。せっせと草取り。曇り日の予報が外れて陽射しジリジリ。いよいよ早朝の畑作に切り替えるべき時か。その時のために準備周到、5月に入ってからは8時就寝4時起床に切り替えて新生活態勢を整えてきた。
 午後は庭の垣根の刈り込み。Okkaaが助手。この垣根、去年は樹勢が弱ってウドンコ病にかかり何度か消毒した。秋に根元へ油粕と鶏糞を埋め込んだら、それが効いたのか今年の葉の色つや良く、新梢にも勢いがある。勢いが出てくれば今度は刈り込みを強くしてバッサバッサと詰めていく。樹木の管理は我が意のまま。
 塀に這わせてあるブラックベリーの花が咲いた。株を購入してから15年にはなる。若い頃は地中から毎年太い新芽を3本出して蔓を伸ばしていたが、今は2本がせいぜいでしかも1本はずっと細い。この木の株には寿命があるのだそうで、もうそれを越えているらしい。去年あたりから蕾の付いた新梢に吸い付く害虫が現れた。この虫に樹液を吸われるとそこから先の蕾が枯れてしまう。実生で生えた新株の蔓には害がないから、老いて弱った株の蔓を狙って来るようだ。今のところスミチオンの散布で何とか防虫しているが、いつまでもつか。それに、古株に着いた実は昔の若かった頃より酸っぱみが随分増した。実生の若い株から出た蔓が、塀のあちこちで伸びている。まだ細い蔓だが、そこに着いた実は甘い。新旧交代の時期がじわじわと寄って来ている。いつまでもつか。
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6月4日(木) あらたふと青葉若葉の日の光 (芭蕉) ⇒「山の記」へ

 ここは関川村の霊山・光兎山。標高は1000mに30mほど足りない低山。とは言え山頂に達するまでピークを4つ越え、5つ目でようやく山頂というアップダウンの激しい山。だから累積標高は1500mを超え、高山並みの登山となるハードな山。
 山中に入るとスラリと伸びたブナの木々が生えそろったなんとも気持ちの良い林の斜面を登る。季節はもう夏、朝の陽がブナの青葉から射し込んでくる。自然と芭蕉の句が浮かぶ。
 実は、数多い芭蕉の句に感銘を受けたことはほとんどない。どの人の解説を見ても17文字以外の出典(例えば旅日記など)から情報を得て解釈し感動している。それが気に食わない。俳句は純粋17文字だけで勝負すべきだと思い込んでいるから。そんな中で、表題に借りたこの句は気に入っている一つだ。
 山に入ってこの光景に出逢えば、だれにしろ神を感じるに違いない。神々しいとはまさにその感覚を言い表した日本語だ。これまで山中、山上で心底これは神の所為だとしか思えない光景に度々出逢ってきた。そしてそのことを時々「山の記(山歩紀行)」にも書いてきた。
 滴る緑と日の光に感じ入りながらブナ林を抜け、目に沁みる汗を拭いながらピークを3つ越えると、この日のお目当てヒメサユリの群生地がある。見事に咲いていた。明後日、村の公民館の行事でこの花を見るための登山がある。今日はそのための下見。主管する阿賀北山岳会の最強メンバー3名と最年長メンバー1名の4人。花の時期にドンピシャリと当たって、まずは一安心。その上、今日よりは少し気温も下がって晴天日予想。過去には、まったく蕾だけ、しかも雨、なんて年もあった。これとて神のなせる業、我らにはいかんともしがたくただ祈るしかない。今回は、僥倖に恵まれたようだ。
 みごとなヒメサユリを前にして、Unqさんが言う「なんという色だろう」。そのあと「人には出せない色だ」と言ったのか「自然に出るとは思えない」と言ったのか、どっちだったのかは判然としないが、感極まった声だった。その声に応えて「なぜこんなに不思議な色を出せるのか、それは神が造ったからだとH君は言う」と私。つい昨日H君からのメールで、自然界の色の素晴らしさと神の創造についてのwebのビデオを見るよう勧められたのだ。それを聞いてUnqさん曰く「納得するしかないな」。いつも鋭く突っ込んでくる彼にしては珍しい反応。山に入れば、だれにしろ神を感じるに違いないのだ。
 その神が中近東の神か、インドの神か、日本の神か、あるいはそれらは同一の別側面なのか。そして、我ら衆生を超越して存在するのか、それとも人間一人一人にまで余すところなく目をかけている存在なのか。いやもしかして大宇宙は偶然の連続に貫かれているだけで、我らが勝手にそれを神と感じているだけなのか。とりあえずはH君の勧めに従って創世記を読み進めることにしている。昼寝前のほんのひとときをその時間にあてて。
 下山したら下界はまだ猛暑。Unqさんの自宅にTamuちゃんからの差入が置いてあって、その冷たく冷やされたチーズケーキをこれまた冷たく冷やされた缶ビール(もちろんノンアルの)で喉に流しいれた。その美味いこと、疲れがすっかり吹き飛んで、そのまま畑の水やりに直行。
 驚いたのは、一昨日には咲いてなかったアスパラ菜に黄色い花がびっしりついていたこと。さっそく初収穫。隣の畝のシュンギクも大きくなった葉を初収穫。Okkaaが茹でて即夕餉の食卓へ。その味の濃いこと美味いこと。これまでNaruさんから時々いただく菜っ葉ほど美味いものはないと思ってきたが、失礼ながらソンナモンジャナイ。野菜は自作に限る。
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6月3日(水) 庭主は強きをくじく幡随院
 午前は、久しぶりに村上で会議やら打合せ、お祝いを届けたり。緊急事態が解除されて少しずつ以前の社会が戻りつつある。人と人が顔を合わせてしゃべりあうことの楽しさや大事さ、当たり前のように行われていたことが長期間の停止状態を経てみると、改めて考えさせられる。
 正中の陽射しは夏模様。今日は休養日にしようと決めて、昼食後は竹デッキで昼寝も入れて長休憩。デレーと庭眺め。ジシャガラの木が花盛り。本名はエゴノキ。野山の自生種でない栽培種らしく花が色づいている。今は、クマンバチが来てセッセと受粉作業中。花房がボタボタと落ちて落花狼藉の風情。これの実をヤマガラが好んで食べに来る。
 竹デッキの上のブドウ、受粉を終えた花から、雄しべの残骸だろうか小さな粒粒が雨のように降ってくる。花があっという間に実になりだす。ジシャガラもブドウも、今まさに書き入れ時、静かに静かに刻々と毎年の大仕事実行中。
 鉢植えの、母が育てていたイチゴ。1鉢では寂しいので春に2鉢追加して3鉢吊るしてある。アオダンブツの実が1個だけ色づいて早速初収穫。初物はもちろん仏壇へ。
 さてこの庭も、そろそろ毎年恒例の大仕事。猫の額の我が庭に植え過ぎの態の庭木ども、一強は許されない共存共栄の庭。強者優勢を企む庭木の前に立ちはだかるは幡随院長兵衛。押っ取り刀ならぬ刈り込み大バサミでバッサバッサと強きをくじく。
 夕Run前の1時間ほど、まずは伸びあがるフジ蔓の退治。次は大ツツジ、花の終わった枝を刈り込めばまるで床屋帰りのいい若衆姿。今日はこのくらいにと夕Runへ。午後5時過ぎても陽射しは強い。もう完全な夏。 
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6月2日(火) 刈り取るも刈り取らざるも我が勝手
 久しぶりに山林の草刈りへ。あっという間に夏草が立っていて、まずは山道の刈払い。足下を見ると、赤いつぶつぶ。なんだと思えば、ヘビイチゴ。いつの間に咲いていつの間に実になったのやら。名の由来を以前図鑑で調べたことがある。別に毒があるからついた名ではなく、単に食して不味いからついた名だとあった。植物学者にはどうも心無い人がいるようで、時々、なにもこんなひどい名をつけなくてもよいのにと思う草花がある。
 ヘビは大の苦手。虫唾が走るとはこのことを言うのだろう。エデンの園での神の定めとあれば納得できなくもない。が、我家のOkkaaはヘビは可愛いという。あの目が特に良いらしい。エデンの園の事件を知らないのかもしれない。
 ヘビイチゴは刈らずに残した。ダイコンソウ、クルマバナも刈らずに残した。これらの花名にミヤマがつけば、それはもう立派な高山植物で人々から愛でられ撫でられる花。ヘビイチゴだって、高山にあれば姿形ほとんど違わないのにノウゴウイチゴと名がついてそりゃあもう別格扱い。ノアザミも刈らずに残す。喜ぶのは蝶。アザミの花から花へヒラヒラ、ヒラヒラ。やがてこの花が種をつければ、カワラヒワが飛んできて実をついばむ。
 草を刈りながら、ひとり我家の自然遺産を楽しんで、草刈り機のタンクを2回空にしたらグリーンハイウェイが完成した。
 午後はまた畑。サトイモとピーマンの苗をコメリから買っていって植え付けた。これには少々ならぬいきさつがあるのだけれど、長くなるのでそれはまた次の機会に。畑地の境界外の草を刈って、ジャガイモの追肥土寄せ。なぜ境界外の草を刈るのかも長くなるのでいつかの機会にして、今日は働きすぎ、たっぷり疲れて、ランニングは中止。
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6月1日(月) 水無月も 耕し走る変わらぬ日
 草刈り機にナイロン紐の刃をつけて、今日まで日延べにしてきた畑の草刈り。畔の草をナイロン刃で叩き撫で斬る。若い草はそれで簡単になくなるのだが、スイバなど大きくなって茎が固くなってしまった草はナイロン紐刃では簡単に切れない。日延べして草を伸ばしてしまった分、作業に思いのほか時間がかかった。ジャガイモの花が咲きそろったので3回目の追肥と土寄せのつもりだったのだが、正午のチャイムが鳴ったので、それは明日の作業にまわして午前の部終了。
 作物の花は、収穫に到達するまでの重要な一過程。単に花を愛でる野の花とはまた違った思い入れがある。ジャガイモの花は、地下で順調にイモが育っている知らせ。ナス・トマトは、いうまでもなく花がつかなければ始まらない。お、咲いてくれた、しめしめと言うぐらいのものだ。
 午後は、畑に追加する風車を作ってから、早めの夕Run。半月ぶりに鷹ノ巣コース。このコースには熊の出没地帯があるのでなるべく日の高いうちにそこを通りたい。トンボ池の桜土手を往復して2キロ弱距離を稼いでから、R113の長い坂道を登る。標高差40m距離1㎞、ここが心肺機能の鍛錬場。毎回、登り上がった猫ちぐら公園で一息入れて呼吸を整えなおすのだが、今日は調子よく休まず鷹巣駒落橋で折り返し、丸山大橋へ。
 マラソンを始めた頃、ラン友のManaさんが言っていた苦しくなっても走りながら息を整える方法、なんとなくわかってきたような気がする。苦しさの先に苦しさがあるとは限らない。坂の頂点が苦しさの頂点。そこを越えれば楽になる。登り坂には必ず下り坂がある。
 丸山大橋の真ん中で休憩。苦しいからではない、ここからの景色を見ない手はないから。荒川下流から眺めた広大な風景と180度違う、せせこましい盆地。お盆に盛られた人里の風景、盆景。この景色、悪くはないし、もちろん嫌いではない。だから、いつもここの橋の上で深呼吸してから、下る。
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5月31日(日)  良寛の国上の風の爽やかさ  ⇒「山の記」へ
 阿賀北山岳会、久々の山行日。今月はノボラーズ組向けの企画で、良寛の五合庵見学と国上寺参詣、寺泊でカニ食べ放題、新潟で登山用品ショッピング・・・がメーン日程。ただし山岳会ともなれば山に全く登らないというわけにはいかず、国上山へ。低山ながらブナ林が県指定天然記念物になっている程、木立の爽やかなハイキングコース。
 山の定義は、土地が盛り上がって周りより高くなった地形をいう。低山、高山、有名、無名、全ての山の地形を愛する我ら。たとえ山頂の草木生い茂り眺望が全く利かなかったとしても、山道の草木に目を楽しませ、鳥の声に耳を澄まし、山気にたっぷりと浸る。これぞ山登りの醍醐味。 山の尊さは高さにあらず、なべての頂きに憩いあり、が我らのポリシー。
 続々と行き来する登山びとたち。家族あり友人あり団体あり、生まれたばかりの赤子あり、よんがらもっこりの老人あり、みな嬉々として山道を登り下る。早朝ガラガラだった国上寺参詣者用駐車場も下ってみれば満車状態。緊急事態が解除されて、この日をムズムズとして待っていた人々。生気あふれ解放感に満ちた表情。
 寺泊の魚市場もカニ宿も大盛況。店員さんの溌溂とした動き。新潟の登山用品の売り子さんの嬉しそうな顔。皆この日を待っていた。明日から6月、我らにもいよいよ夏山本格登山の季節。Okkaaにはズボンにパーカーに帽子にと登山服を新調し、ノボラーズ企画第2弾はいざあの聖地上高地か。どうか、第2波、第3波、起こりませんように。詳細は「山の記」に。
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5月30日(土) たかが6本 過保護のトマト 育て! 
 午前中でトマトの風除け完成。30本切り出した竹丸太材、あれから何日かけたか、とにかく全部使い切った。これで実をつけてくれなかったら勘弁しないぞ、というくらいのものだ。むきになって作ってはみたものの、たかが6本のトマト苗、出来てしまえば大げさすぎた気もして、ひとり恥ずかしいような気分で眺める。幸いここは誰も通らないしどこからも見えない。見えるのは唯一米坂線の車窓から。あれはなんだ?とわざわざ途中下車して見に来られる心配もまずない。
 午後は家の周りを片付けて、夕Run。土曜は今や恒例となった4人チームの練習日。河川敷の周回をドローンで空撮。着陸させて、どれどれ映り具合は如何?と録画再生にしたら、「画像映像がありません」と表示。え?なんだ?よくよく考えてみたら、初めての、走る人を空から追いかける撮影に精一杯で、録画のボタンを押すのを忘れてた‼ いやはや、来週もう一回やり直し。今日は走るつもりのなかったKyeenさんを無理に周回走させてしまって、ゴメンナサイ。 
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5月29日(金) 昨日今日明日へ続く同じ日々 
 Tさんの来宅を除けば、昨日と全く同じ日。午前いっぱい竹を割り、ちょっと昼寝して畑の風除柵作り。「昨日が今日で今日が明日で明日が昨日でも、何も変わらない日々」昔の大河ドラマで蛭ヶ小島に流された頼朝の鬱々とした日々を描写したナレーション。言い得て妙。リタイア後の自分と全く同じ。ただ違うのは若き頼朝の焦燥感と老いた自分の満足感、180度の違い。
 昨日の柵は全部取り外して最初から作り直した。頑丈に作ったから昨日のところまで進まずに終わった。リハーサルと思えば昨日の作業も無駄ではない。続きは明日。時間はたっぷりとある。
 昨日は持ち忘れたスマホ、今日は忘れず5キロの折り返し点で写真を撮った(90度ずつのパノラマ撮影、右回りで4枚、360度)。マラソンの為には休み癖はつけない方がいいのだが、ここまで来て景色を見ない手はない。いつも走る関川村の盆地とはまるで違う広大な風景。見慣れた山々もここから見れば違って見える。水の張られた田んぼも、春には一面のチューリップ畑だった。あと数キロ下れば荒川の河口、いつかゆっくりと海岸線まで走ってみたい。
 昨日今日明日と同じ日々でもちょっとずつ違う日々。僅かの差異に楽しみがある。
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5月28日(木) 出作地の土手を走れば人笑顔 
 竹割作業中、Tさんが立ち寄った。例の古絵図の持ち主、暫し古文書談義。旧家のT家にはまだほかに古文書があるらしい、出てきたら見せてもらえることに。それに、古絵図の解読ができたら古文書分館に掲載の了解も得た。今日もいい日だ。ちょっと昼寝して畑へ。割竹を運んで早速トマトの風除け作り。
 畑には常に川風が吹いている。日本海の高気圧から内陸へ向けて吹く海風。川下へ走る土手のランナーには向かい風だが汗を飛ばす爽やかな風。畑では風車をカラカラと軽快に回し、時に急回転させてモグラを脅し、病虫害を適度に吹き飛ばしてくれる良風。
 それが一旦、日本海に発達低気圧が入り、前線を伴って列島を横断しようものなら、先日のあの暴風になる。川上の盆地から猛烈な勢いで吹き出すダシの風。我が畑は関川盆地の出口・貝附の狭戸にある。だから、風神の袋の口。
 前回の暴風時は苗を覆った風除袋で助かったが、そろそろこの袋も外す時。低気圧はいつ来るか分からない。風除柵を急がなければ。
 午前中、ずいぶん竹を割った気でいたが、作ってみれば柵半分でオワリ。明日はまた今日の作業の繰り返し。ナ~ニ、時間はタップリあるし、低気圧もすぐには来ない。草刈は明日に延ばして、畑から土手へランニング。荒川のゴルフ場沿いに下って桜の公園で折り返し。出会う市民の人々皆挨拶が良くて、気持ちの良いランニングコース。 
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5月27日(水) 人申亥 竹から見れば みな同じ 
 母は庭に黒竹が生えるのを嫌って出るとは切っていた。元は自分で植えたもののようなのだが、縁起が悪いのなんのと誰かから言われたらしい。切られても切られても毎年1,2本芽を出すから、相当の生命力だ。母が老いて庭の見回りが十分でなくなった頃から、折角出たのだからと30㎝くらいの高さに切って庭の片隅に4,5本、目立たぬように生やしておいた。
 テラスの屋根板修繕作業中のことだ。ふと見ると、いつの間に伸びたのやら2mもの長さのタケノコが5本、這い出た範囲も広く、しかもこれまでになく太い。これじゃ猫の額の果樹園も台無しだと、2本だけ30㎝に詰めて残し、他は根元から切り取った。
 山林の竹も、竹林の外側の草地へ次々と範囲を広げようとタケノコを出してくる。山中竹林にしようという勢いだ。そうはさせじと、翁・媼は見つけ次第タケノコを掘る。竹林の中のタケノコは育てたいのだが、これまたサル軍団が来て頭をかじりまくり、イノシシが来て根元から押し倒していく。翁・媼はその惨状をみて嘆くのだが、ナニ、竹から見ればみな同じことをしているだけ。
 それにしても恐るべきは庭の黒竹だ。去年まで細々と芽を伸ばしていた慎ましやかなタケノコでは、まるでない。母がいなくなったのを承知しているかのような威勢のよさ。ニャロー、ナメルンジャネーゾ。オレだって強いんだからナ。
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5月26日(火) コーヒーとKitKatで 15キロ 
 朝一の作業は庭木の全面消毒、スミチオン500倍液を4ℓの噴霧器で3回隈なく。終わって竹林へ、An old bamboo cutter竹取の翁、1.5mの竹丸太30本の切り出し。明日これを縦に切り割って畑用竹材にする。平均4分割として120本になる計算。風除けや支柱用。
 昼食後、風車作り。畑に侵入するモグラへの嫌がらせ用。風吹きすさぶ畑で風車は超高速回転、ボロボロになったヤツを補修して補充する。ミミズを食べに来るモグラに実は罪はなくて、そのトンネルを使って侵入しイモ類を狙うネズミが大敵。モグラは可哀そうにとんだとばっちりを受けることになる。
 夕Run。ドーム閉鎖以来、好天日は家からスタートする習慣になった。土手に上がって1,2キロ。今日はなんだか調子いい。大島のいつもの5キロ折り返し点を今日は通過。R113 との出合いが6.5キロ。どうしようか迷ったが、脚は調子よく国道を横断して歩道をそのまま7.5キロまで。10キロの梨の木まで行こうかと思ったが帰りが心配になってそこで折り返し。いつもなら給水で止まって一息入れたりするのだが、今日は走りながらの給水。結局一度も止まらず15㎞完走。
 何でこんなに調子がいいのだろう、今日は昼寝もしていないというのに。走りながらつらつら考えた。そうか、あれだ‼とハタと気づいたのは、午後歴史館に寄ってコーヒーとキットカットを4枚もご馳走になったこと。あれだ‼ 峠の前のダンゴ。そうか、これからはキットカットだ。いや待てよ、ブルボンルマンドなら20㎞かもしれないぞ。 
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5月25日(月) 早く早くと急き立てる ナス・トマト
 4日ぶりの畑。テキストに、花がつき始めたらトマトは脇芽を摘む、ナスは3本仕立てにする、とある。そのページをスマホで撮って、畑でテキストの図と実物をあちらからこちらから、これかあれかと見比べて、ようやく理解。ミニトマトの実はすでにビー玉くらいになっていて、水ナスの実もトゲトゲがついてナスの形になっていた。早い早い。カブ、アスパラ菜、シュンギクの播種は収穫を考えて1週間毎の3回に分けたのだが、早い回の畝は密植状態になっていて、今日遅ればせの間引き。作物はこちらの都合を待ってくれない。畑作は、作物に追い立てられる作業。次は何をしなければならないのだ?と頭の休まるときがない頭脳労働。もちろん足腰駆使の肉体労働でもあって一石二鳥。高齢者はおしなべて畑作に従事すべき。広い河川敷を無駄にしておかないで畑地にして開放したらどうなのだろう、な~んて思ってしまう。どこか遣り遂げ感があって、川風の清々しい畑の午前。
 午後は歯科の定期健診を終えて、夕Run。月間目標150㎞を達成したのは、3ヶ月ぶり。
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5月24日(日) 良寛の道 今 ヒメシャガ盛り  ⇒「山の記」へ
 米沢街道十三峠を歩く会。 一行17名様のご案内役。コロナがやや収束し、ようやく1月遅れの開催となった。それでもまだコロナ警戒は緩まず、村のバス使用は村民限定。村外の歴史館古道愛好者の皆さんには相済まない形になったが、純粋村民だけの山歩き。
 第1回目の今回は、第一峠の鷹ノ巣峠と第二峠の榎峠を越える。米沢と越後を結ぶ重要街道、古今どれほどの人々が歩いたか。中でも文政4(1820)年秋64歳の良寛が一人、遠く米沢を目指して黙々と歩いた姿が偲ばれる。何を思い何を願っての旅だったのか。米沢到着の翌春、鷹山公が没した。単なる漂泊の旅ではなかったという説がある。良寛の人生も胸中も複雑だったらしい。良寛の書が人々を惹き付けるのは、彼の人の奥深い思いが秘められているからとか。
 そんな良寛へ思いを馳せることもなく、人々はコロナから解放されて初夏の山歩きを久々に楽しんだ。道の途中にはヒメシャガの群落が目を楽しませてくれて、4月14日の下見のときに群れ咲いていたルリソウもほとんどが種に変わっていたが、一部咲き残ってかすかな瑠璃色を見せてくれていた。
 集合写真のここは榎峠。戊辰戦争の激戦地。だが、平時であればここに茶屋が立ち団子の一つも食べる場所。その団子も、すでに峠道の入口の休憩で食べつくし、ここまでの登りのエネルギー源にした。ここから先は下り道。2,3日前から熊の出没している領域。ではあるのだが、この面々の華やかさにはさすがの熊も、恥ずかしくて出てこれなかったようだ。詳細は「山の記」でどうぞ。
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5月23日(土)  ゆっくりと ただゆっくりと ときながれ
 聖書の創世記を読み始めたら、7日目に神は休んだとあった。疲れがたまったのでボクも今日は休養日。 朝、コーヒー豆を炒って竹デッキで冷却ゴミ飛ばしして、そのままポケーッと庭眺め。テラスの屋根板1枚は竹デッキの上に横にしたまま、何にもせずに過ごす一日。H君とのTV長電話、山好きびととのメール交換、たまに大石村の絵図面。Tamuちゃんが残した文字の一文字解読できただけ。夕Runは4人チーム、それもキロ8分の超ゆっくり。絵図面の持ち主のTさんと連絡が取れて、後日原本を見せてもらうことになった。
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5月22日(金) 屋根修繕中 召集令状届く 
 懸案だった竹デッキの屋根の修繕。掛けてほぼ10年のポリトタンは固くもならず傷んでいない。劣化したのは留釘の笠の部分で、ほぼ全てなくなっていた。だから、風で揺すられて釘穴が広がりポリ板が吹き飛んだのだ。劣化したのはもう一つ。屋根板の桟を竹デッキのテラスに縛っていたポリ縄。5年ほど前に取り換えたのだが、劣化してボロボロ。風に煽られた振動で既に切れているのもある。
 19日は、強風の中、傷んだ板だけ応急に修繕したが、今日は好天日。じっくりと10枚の屋根板全てを修理する。端の板から2,3枚ずつ順々に外して、まずは裏表水洗い。新品の笠釘を打ち直して、ポリ縄をこれも新品に取り換える。そうして、テラスの棚の上に縛り付けていく。実はこの縛り付け方式が、手間はかかるが案外楽。屋根の上で作業しなくて良い。それに柔構造だから振動にも強い。ま、法隆寺の五重塔みたいなものだ。そもそもこのテラス、造った当時あまりにも柔なのを見て、友人曰く「4,5年もつかな~」。それが何と10数年超えてしっかりと建っているのだから、日本建築の柔構造を再認識すべしだ。
 昨日だったか、Tamuちゃんから「読み切れない文字があるから見てほしい」と連絡があり、昼食後ちょっと歴史館へ。古文書を預かった。天保八年の大石村の開田届の絵地図。ついでにこの間のルマンド新製品のお礼にアイスを届けた。毎週配達のコープのアイスは、どういうわけか随分小型に出来ていて、普通のアイスは大きすぎて一度には食べきれないというTamuちゃん向き。
 午後も屋根板の修繕、付け替え。クタクタになって、最後の一枚は残した。最も風を受ける端っこの一枚が最も重要で、慎重にしっかりと取り付けなければならない。だから、体調を整えて明日の作業にして、本日は終了。
 屋根の修繕中に郵便が配達されて、何かと見れば運転免許更新の高齢者講習通知状。ついに来た召集令状。紙は赤くないが真っ赤な太字で書いてある、まさに赤紙。指定された日は都合が悪いので変更依頼の電話を入れて、希望の日を1月間に渡って伝えたのに、混んでいるからどこに入れるか分からないと言う。決定連絡は後日と。びっしり立て込んでいるということか。1人5100円。すごいな~。ひどいな~。
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5月21日(木)  サル笑いワラビ喜ぶ刈り払い
 さて今日はサツマイモの植付日だがと、朝テキストを開いたら苗は一晩水に浸けておくのだとある。しまった、昨日から新聞紙に包んだままだ。見ればぐったりとしおれた風。一晩も半日も同じことだろうと、すぐにバケツの水に浸け、植付は午後にすることにした。
 それで午前は山林へ。16日以来見ていないタケノコが気になっていた。
 行ってみてびっくり仰天。なんとしたことだ、山林の入口の山道が倒木で塞がっている(写真左)。昨日の強風の仕業だ。山林の必携品ナタとノコギリを出して、開通作業30分。こんな時に限って、乗ってきたのはアクア。軽トラの荷台には屋根修繕の材料を載せてあって、おろす手間が面倒なのでアクアで来た。 軽トラなら多少車体が擦ってもいい加減に開通するのだが、アクアならそうもゆかず丁寧に切り払って、早々にいい汗かいた。倒れたのは根元の腐った大木(写真右上)。今日はこれで開通したが、今後、特に雪の後など次々と枝が道へ押し潰れてくるに違いない。いやはや仕事は次々と増えるものだ。チェンソーは壊れて使い物にならないというのに。
 何とか無事通過して、まずは恒例の藪刈払い。草刈り機の油1タンクでほぼ60分の作業なのだが、道開通の余計仕事の分、刈払い作業はタンク半分で止め、タケノコ掘り。15日にサルの軍団に全滅にされて以来襲来を受けなかったらしく、その後に出たタケノコは無事の態。
 持って帰ったら、Okkaaは早速お昼に食べると言って刻み始めた。「オイオイあく抜きしなけりゃ食えないだろう」と言うと、「うちのタケノコは水で湯がくだけで大丈夫」と言う。実はそれで今年のタケノコ料理は何度も何度もイガラッポイのを出されて閉口。説得を重ね、最近ようやく米糠であく抜きするようになって落ち着いていたのだが、また最初の回に戻った風。「頼むから、米糠でしっかりとあく抜きしてくれ、オレの喉は繊細なんだ」と懇願説得強要してようやく第2回戦に進めたよう。で、曰く「最近、うちのタケノコも性格が悪くなってアクが強くなったみたい。昔は水で湯がくだけで食べれたのに」だって。
 ま、つらつら考えてみるに、これだけサルに襲われ続けたら、タケノコだって自衛上イガラッポサを増さざるを得ないのかもしれない。植物の真理というものだ。それに近年はイノシシまでタケノコを掘り始めたし。いやはや、次々と難題続出の我家の山林。それでも、時期になればタニウツギの花やヤブデマリの花(右下)が咲き誇り、手入れびとへちゃんとお礼をしてくれる。それに、藪を刈り払ったあとには今もってワラビが続々。Okkaaはすでに1年分のワラビを漬け込んでもう十分だと言うのに。
 春の刈払いは無駄な苦労で、刈った後から次々と草が伸びて、あっという間に一面真っ青になるのは目に見えている。それでも、去年刈らなかったから、藪を放置すれば夏の刈払いはこの程度の労力では及ばないことも目に見えている。だから、藪の若いうちにせっせと刈り払う。その手入れびとの後姿をあざ笑うように草木が続々と伸び始める。ごんべたねまきゃ・・・の態。”与作は藪を刈る、ヘイヘイホーヘイヘイホー”、誰もいない山林でエンジン音にまぎれて大声で歌う。
 午後はサツマイモの苗を植え付け、ジャガイモの追肥土寄せ。予定通りの進行。順調順調。
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5月20日(水)  強寒風 悪天続く 皐月空
 昨日の風でタマネギがみな倒れたと、朝風呂クラブでKさんが言う。にわかに不安になって、朝食後畑へ直行。竹デッキの屋根も心配なのだが今朝の風は弱い。それよりもまずは畑だ。鍬を担いで恐る恐る駆け付けると、なんと御覧の通り見事に無事。
 ここは荒川沿いの風の吹き出し口にあたり、まだ結構な強風が吹いていた。それでも、植えたばかりのナス、トマト、カボチャの風除け袋は一枚も飛んでない。キャベツ、シュンギク、アスパラナにかけた防虫ネットもそのまま。植付を終えたばかりのショウガ畑のビニルマルチは植穴から風が入ってバタバタしているが、無事。土で抑えてバタバタを止めた。
 タマネギはと見れば、風でなびいて45度から30度の傾き。球がむき出し。一昨日の作業で土寄せすべきだったのを忘れていたのだ。遅ればせながら土寄せをし、一株一株手で押さえて立て直した。ゴム手を忘れたので素手は泥だらけ。Naruさんや隣のお婆さんのタマネギから見れば半分の大きさだが、それでもあのチビ苗たちがここまでよく育ってくれたと感無量。先日、草取りついでに混んでいるところを間引きして、持って帰って煮て食った。ピンポン玉ネギならぬビー玉ネギだったが、そりゃあ美味いこと美味いこと。
 かくして強風の中の作業を終えて帰宅したら、農協からサツマイモ苗が届いた。人気の紅はるか50本。こんなに植える場所がないから、NaruさんとKeynさんにも分けることにしている。
 畑で体が冷えたせいだろうか、昼寝の後で喉の奥がちょっと痛い。風はおさまったし屋根修繕作業は中止して午後は休養。夕Runの時刻。どうしょうかと迷ったが、2日休んだので思い切ってドームへ。軽く走り始めると徐々に調子が上がっていく。総監督のFさんが来て、Unqさんも来た。ますます調子が上がって、結局ラスト2㎞はキロ6分を切り、最後は5分半を切っての1㎞。どうしょうかと迷ったらまずは一応やってみることだな。
 明日はサツマイモの植え付け。それに菜っ葉類の間引きに、ジャガイモの土寄せ追肥。やることはまだまだ多い。
 そうそう、留守中に東京のWakaちゃん(Okkaaの妹)から電話があったという。畑があまりにきれいになってびっくりしたらしい。18日のHPの写真を見たのだろう。実はあの写真は18日より数日前のもので、今日の写真が最現況。この畑は元々は彼女たちの母の耕作地。だから、この様子を見れば義母も草葉の陰でびっくり仰天腰を抜かしているかもしれない。
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5月19日(火) 強風日 分館出来て 屋根が飛ぶ 
              
 外は強烈な風。竹デッキのポリトタンの屋根がバタバタと鳴っている。その音をバックグランドにPC作業。どうにかWEB上に「歴史館の古文書分館」が完成した。上のイラストは、古文書分館のスタッフ紹介で使った絵。両側2つは既存のものの横流し。真ん中はこのための新作。Tamuちゃんの雰囲気を出すのに一苦労。問題は平田文書の解読作業の進行度。畑に山林に手いっぱいで、ちっとも進まない。コロナの渦が収まって、古文書講座を開講できるようになれば良いのだが。日本中、いや世界中、収束を願っている。考えてみれば全人類の願いが一致するなど稀有のことかもしれない。
                      <古文書分館は左の目次をクリックしてください。>
 突然、バリバリッと、竹デッキの屋根が一枚吹っ飛んだ。作ってからほぼ10年経過の竹デッキ。飛んだポリトタンをよく見れば経年劣化が著しい。幸い雨は上がった。午後からはずっと屋根の修繕作業。10枚ある屋根板の4枚を打ち直し、止めなおしたら時間切れ。残りは明日の作業。
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5月18日(月) 雨上がり鍬を担いで颯爽と
 
 晴れれば颯爽と畑へ。今年の畑はこれまでとは違う。畑友のNaruさんもびっくり仰天。それもそのはず。去年までは根菜類ばかりで、ジャガイモを植えれば1ヶ月放置、ネギを植えればひと夏放置。その間、草茫々。それが今年は、ナスにトマトにキャベツにシュンギク、アスパラナと種目を増やして、御覧の通りの手のかけよう。畑を目一杯使ったものだから足りなくて、庭にまで出張所。エンドウ豆とシシトウを庭の鉢で育てることにした。トレイで育成中の長ネギの苗も順調に育っている。
 作物の種目構成が複雑になって、次々と作業が発生。新採用作物は植えには植えてもその後の手入れが分からない。前日にテキストで勉強して臨むが、いざ作業にかかろうとすると記憶が錯綜していてどの作物をどうするのだったか・・・???状態。そこで、頼りになる秘密兵器がスマホ。コメリの野菜栽培ページを開き、アイウエオ順に並んだ種目をクリックすればたちどころに栽培方法が出てくる。てなわけで着々と作業進行中。いずれ新装なった畑の全貌は空撮で。 
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5月17日(日) 雨降れば野良は休みで長電話 
 
 朝から終日の雨、野良仕事は全て休み専らのインドア、PCで歴史館の古文書WEB分館の構築開始。
 午後に集落共有林の総会があったのだが、昨日のH君から電話が入り結局1時間15分の長電話。彼、このためにわざわざLINEを入れたということで、ビデオ電話のボタンを押せと言う。生来の電話嫌いで長電話などしたことのない小生がついつい1時間超も。
 元々話し上手のH君ではあるが、どうやらビデオ電話のせいもあるようだ。顔を見ながらの会話は話しやすい。電話嫌いの原因がそれだったのかと、今になって気が付いた。
 いつも使うLINEの無料電話だが「こんなに長いビデオ電話でもホントに無料なのだろうか」と言うと、「心配するな、半分オレがもつから」と言う。「そっちからかかった電話だ、全額そっちへ行くだろう」と言ってみたものの心配になって、夕刻ドームで会ったYoumyさんに聞いてみた。やはり無料らしい。無料のサービスで成り立っている会社の仕組みがさっぱり分からない。タダほど高いものはないと言うのだが・・・。
 彼の家の窓の外の景色まで映してくれて、「ほら、家のすぐ前が馬見ヶ崎の川原だ」「あ~あの芋煮会をした川」「4人で住んだ家はもうないぞ」「何て町だっけ」「小荷駄町」「大学の裏の裸足で走った砂利道も、もうないぞ」「ああ、時々登山の行き来に通るから、あの辺りの変化はよく知ってる」などと、延々と続く。懐かしかった。無料となればビデオ電話も悪くはない。
 夕方はドームへ。今日は阿賀北山岳会只管組のチーム練習日、4人で只管走る。2週間前も土手で3日間ほどチーム練習した。やることはチームでも個人でも変わりはないのだが、たまにチームで走るのもいい。先頭を1㎞交代しながらペースを作って走る。調子がどんどん上がっていって、最後の1㎞は単独走でキロ5分半を切るペース。これまでの経験で調子の上がった時が怖い。好事魔多し、突然予想外の故障が起きて、有頂天から突き落とされる。だから、調子に乗らないよう用心用心。常に最悪の事態を想定して備える。これが危機管理の鉄則。登山びとは常に、マイナス思考。
 そういえば今朝の新潟日報に内田樹の危機管理論が載っていた。日本人が危機管理できないのは言霊の国だからとか。楽観的積極論を述べていればそれが言霊となって実現すると日本人は思っているのだとか。確かに悲観的消極論は他から嫌われる。ある登山家曰く、大学の山岳部でボクは常に嫌われていたと。その原因は自分がマイナス思考だから。で、プラス思考の仲間は多く冒険挑戦の過程で落命し、自分が今こうして生き残ったのはマイナス思考のせいだと。我ら阿賀北山岳会も常にマイナス思考。
 プラス思考を好むのは、言霊信仰の国民性などではない。集団力学でみな景気のいい方になびくから。お調子者の先棒担ぎがいて「それいけわっしょい、そうだそうだ」と時世の流れに乗る人たちが大勢いる。ただそれだけの事。あのホリエモン氏のように「ちょっと待て、よく考えてみろ」と言える自律の人が少ないこと。超長年相互扶助の社会で生きてきてほぼ習慣的に慣らされた思考停止。思想家ならもっと突っ込んだ分析をしてほしい。いや、ホリエモン氏のようにきちっと身を挺した指摘をするべきだろう。もっとも、論だけの実践無しが思想家の思想家たるところか。
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5月16日(土) 嬉しさ続く どうしたということか 
① 朝いきなりの電話、「Hだけど」「ん?」「Hだよ」「え?」「ほら、空手部いっしょの」「あ~」 学生時代、HとTとMと4人で一軒家を借りて合宿生活した仲間。卒業後も結構会っていて、最後に会ったのは新宿高層ビルの彼の本社と夜の居酒屋、あれから40年にもなるだろうか。その後、宗教活動に専念するのだとかで音信を絶ったきり。元気だったのが嬉しくて、懐かしくて。夜床に就いたら電話の声がよみがえり、目に浮かんだのは、なぜかHが実家から持ってきた米から這い出るコクゾウムシ。それと、Tの所かまわぬ放屁、Mの作るトンカツやホットケーキの匂い。とりとめもなく思い出されて、懐かしくてつい涙が出た。このHPのURLを知らせておいたら、早速、「見た」と写真添付のメールが来た。うまい具合に年老いたものだと、自分のことは棚に上げて感心して眺めた。我家の近くのR113をよく通るのだとか。近々多分寄ってくれるだろう。楽しみだ。
② 午前中はいつも山林の藪刈払い。今日はNaruさん夫妻が遊びに来た。ユキザサの花が咲いたからと山野草好きの奥様に電話して無理に誘ったのだ。Okkaaを入れて4人で山林のお茶会。Naruさんの奥様とも何年ぶりか。ドローンで空撮しようと飛ばしたのだが、レンズ防護キャップを外すのを忘れていて、映像はオジャン。コーヒーを点てるのにドリッパーを忘れて2人がかりでフィルターを手で持ってもらって入れたり、この頃物忘れが多い。Okkaaの方はもっと多い。写真は、ユキザサ2枚とフタリシズカとタニウツギ・ヤブデマリ、ほかにホウチャクソウの群落など、今が盛り。
③ コロナ禍が収束し始めて、歴史館が再開した。早速、様子見がてらお祝いに駆け付けた。「久しぶりの再開に大入りで駐車場が満杯かと思ったけど」と言うと、Unq館長さんニヤリともせず「ウン、ついさっきまでそうだったんだ」だって。学芸員のTamuちゃんは相変わらずにこやかで、手ぶらで行ったのにコーヒーを出してくれたり、大好物のブルボンルマンドの新製品までごちそうになったり。今度、綿野舞のHPに歴史館の古文書分館を立ち上げることで話が成った。只今構築中なので、完成をお楽しみに。
④ ドームも再開した。閉鎖中は気候が良いこともあって専ら土手Run。午前山林、午後畑、夕Runの毎日、StayHomeのお陰というと叱られるかもしれないが、今月はすでにトータル100㎞を超えた。今日は幸い?の雨で、早速ドームで10㎞走。この日を待っていたドーム愛好者も集まって嬉しそうな顔。2m離れての雑談に盛り上がること。
 嬉しいことが続いたこの日、どうしたということか。こんな日もあるにはあるさ、ということか。つい気分がよくなって、「綿野舞の記」をなるべくこまめに更新することにした。ついでに、その日のRun距離も書いていく。 
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5月3日 大きな桜の木の下で 
息子がドローンを持ってきたのが昨年5月の連休。一年ぶりに山林の大桜を撮ってみた。コロナの渦で息子夫婦は来たくても来られず山菜を採って送ったのだが、この日の大桜の空撮花吹雪も送ってやろうと思っての撮影。やってみると、ドローン撮影もなかなか面白い。それで、本格的にやってみようと思って、まずは「林の記№1…5月-大きな桜の木の下で」と題してYouTubeにUPした。今後、不定期的にUPしようと№を打った。山林だけでなく畑、庭もやってみようと思っているし、もちろん山の記もドローンを駆使してみたいと思っている。できれば、只管組が走る土手の様子なども空撮してみたい。などと欲が湧き、まずはドローンの予備バッテリーやら運搬バックやらを購入した。「綿野舞の記」も少々マンネリ気味なので、この辺で新味を入れないと。ということで、今後にご期待を。
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4月25日 ひそやかに誰も居ぬ山ひそやかに ⇒「山の記」へ
三密を避けよがいつの間にか外出自粛になって今はStayHome家に居よ出るな‼ ついには、山は我慢しようと言いだす登山家。いかにもお先棒担ぎらしいこの人物にホリエモン氏がかみついたという。「人気の山に行かなきゃいいだけだろう」と。思考停止状態で「そうだそうだ」と大方の流れに阿る今の状況は怖い。世を誤らせたのは多くこういう状況。だから、待て‼ 意味を考えよと愚流に水差す存在は貴重だ。間隔2m以上換気徹底だったはず。それを忘れて十把一絡げ。ひと気のない安全な山はいくらでもある。家弁当を持っていけばコンビニだって寄らずに済む。いや、登山でなくてもコンビニだってスーパーだって必要だ。こんな時こそ、一人一人自律した思考が欲しいと心底思う。
さて、ここは日本平山。川内山塊の一つ、奥山秘境。途中ですれ違ったのは3人。「今からだと山頂は無理でしょう、時計を見て途中で引き返した方がいいですよ」と気遣ってくれた2人組と、かんじきの踏み跡を残してくれた1人。「トレースをありがとうございます」と声をかけたら、「いやー」と頭に手を当てて照れたふう。いずれも爽やかな感じのいい若者たち。独立自尊、自律しているではないか。若者の忠告通り、山頂へ水平距離で600m手前、標高1000m付近で登頂は諦め、引き返した。お陰で、急ぐ必要も焦る必要もなく、飯豊連峰の眺望抜群の雪の稜線歩きをたっぷり楽しんで、日没前に下山できた。「HPに載せたら、”こんな時に山へ登ったらダメだろう”と袋叩きに逢うかな」とUnqさんに言ったら、「それほどの閲覧者はないでしょうに」と、冷たく言い放たれた。さもありなんか。詳細は「山の記」に。
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4月15日 桜土手走る 耳にはNorahJones 
若い頃は盛夏の季節が好きだった。が、いつの頃からか桜の季節が一番好きになった。土手を走るようになってからかもしれない。コロナのせいでマラソン大会は全て中止。モチベーションが下がって苦しい練習はする気にならず、近頃はLSDばかり。LongSlowDistance、10㎞をゆっくりフルマラソンのペースで走る。イヤホンに流すのはノラ・ジョーンズ。ゆっくりのテンポがゆっくりの走りにマッチする。たまにドームでペースを上げるときはベンチャーズでテンションを上げるが、土手を走るときはほとんどノラ。特に今日のように花見Runにノラの曲はぴったり。アマゾンの聞き放題、今月から息子がファミリー設定してくれたので、これまでの月額780円が無料になった。土手には身体を傾けないと前に進みにくい程度の少し強い風が吹いていた。それでも、桜の花びらは散りもせず、どこ吹く風と枝をゆらして凌いでいる。受粉が終わるまでは、絶対に花びらは散らさない。強い意思を感じる。いつかTVで植物学者だという人が、植物はあらかじめ設定されたプログラムに従って自動的に変化しているのだなどと得々と語っていたが、そんなことは絶対にない。植物を育ててみればすぐに分かる。多分、この人にとって植物は単に飯のタネなのだろう。生命体への畏敬の念などみじんもない。fake scholerとはまさにこのこと。などと、結構様々なことを思いながら走る。国道を挟んで土手と反対側の歩道の桜並木の下を駆け抜けていくランナーと交差した。ああ、ここにも優雅なランナーがいると思っていたら、ドームに戻ってきたその人がなんとUnqさん。どうしても今日は桜の下を走りたかったのだと言う。毎日TVは死者の数。世界大戦さながらの態。桜の下を走る身との落差。日常が過ぎていく。
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4月14日 古道ゆく 峠越えれば春の花  ⇒「山の記」へ
歴史館の古道探索、道なき道の藪漕ぎは結局ダニとヒルの猛攻に如何ともし難く、撤退となって今年は旧米沢街道の十三峠を全踏破する企画になった。次の土曜日18日はその一回目で、越後側からの第一峠・鷹巣峠と第二峠・榎峠を越える。今日はそのための下見。当日、館長代理を務める学芸員のTamuちゃん、張り切って新調した登山靴を履いてきた。その日に備えてウォーキングも欠かさなかったとか、見上げた職業魂というもの。その甲斐あってか、下見も峠二つ快調ペースで越えた。この季節、峠の道は明るく、行く先々に春の花が待っていてくれた。カタクリ、ショウジョウバカマをはじめ、ヤマザクラに、モミジバイチゴに、テングスミレに、イカリソウに、ヤマネコノメソウ、まだ蕾ながらオオイワカガミの大群落、予想外だったのはヒトリシズカの群落。まだ咲き始めたばかりで葉の間からちょこんと出した頭が愛らしい。もっと意外だったのは、ルリソウ。村内の山中で一ヶ所だけ見たことがある、滅多に遇えない花。それが道端に群落になって咲き誇っていた。どこにあったかは、ナ・イ・ショ。でも、ルリソウを含めた花の画像などは「山の記」にアップしてあります。とまれ、18日はTamuちゃんのデビュー戦、どうか晴れますように。あ、バスはまだ乗れるかもしれません。歴史館へ℡どうぞ。ただし、村内在住者限定です。村外の古道愛好者の方々には心苦しい限りですが、悔しいことに、こんな楽しい山歩もコロナの渦に巻き込まれているのです。 
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4月12日 山ゆけば ブナの小径にイワウチワ ⇒「山の記」へ
高坪山、標高570m。蔵王ルートと虚空蔵ルートを周回する定番コースを積雪期以外に歩くのは10年ぶり。あまりに見事に整備された登山道に驚いた。まるで公園の遊歩道のよう。まっすぐ天に昇る階段道、スラリと伸びたブナの美林、色柔らかなショウジョウバカマにイワウチワ、日本海、飯豊、朝日の展望。低山とは言え、何とも魅力ある山。とりわけこの時期は、ブナをはじめ木々のミドリ芽が動き始めた時で、林間は明るく、まことに爽やかな山歩を楽しめた。登山口には予想外の車があり、途中すれ違うのは意外にも若い衆。山頂についたら、反対コースから若い家族連れが楽しそうに上がってきた。山にコロナはいない。健康な喜びの顔。こちらまで嬉しくなる。山はやはりいい。今日は、次の日曜に開かれる公民館登山の下見。午前中は江浚い(用水路の清掃共同作業)があって、午後から下見に来た。3時間ほどの急行山歩。当日は登山初心者対象の事業だから、この倍の時間をかけてゆっくりと山を楽しんでいただく。今日のように絶好天だといいのだが、山を楽しめるかどうかは天候次第。下見はいつも絶好天の日、予報を見て、そんな日を選んでいるのだから当然と言えば当然。本番はそうはいかず、運次第。さてどうなるか、コロナの渦に巻き込まれて中止などということには絶対にしたくない。追加の写真を「山の記」に載せました。
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4月8日 作物に使われる身の嬉しけれ 
人類の不幸は農耕文明を手に入れてから始まったと、ホモサピエンスとかいう書物に書いてあるらしい。以来、人間は農作物に使われる身になったのだとTVの解説を聞いた。本格的に畑作をやり始めて10年の経験からすれば、その説に納得できる気もする。草をとっているOkkaaの隣に育っているニンニクだってラッキョウだって、世話してもらって当然という顔をしている。今日、ジャガイモの植付を終えた。先月27日に耕作を開始して、その後寒気が続いたので今日まで待っていた。今年はこれまでで最少の3畝にして、長年必ず作ってきたダンシャクは止め、メイクイーンとキタアカリの2種類だけにした。こっちは、こうやって育てているつもりでも、こいつらにしてみれば人間に世話させているつもりなのだろう。どっちもどっち、見方を変えれば違う世界が見えるということか。隣の親切なお婆さんがやってきて菜っ葉を採って、くれてくれた。いつも何かにと頂いている。とりわけ春の菜は美味しい。今年は少しこまめに畑に通って、葉菜類も育ててみようかと思っている。土手の桜は今が見ごろ。こんな気持ちの良い気分になれるなら、作物に使われる身だとしても、それもまたよし。そもそも、我が身自体、60兆の細胞諸君の総意によって動かされている仕組みなのだから、今更何をかいわんやというものだ。 
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4月4日 戦友にすまぬと捧ぐNiniRosso 
長年愛用のLA SPORTIVA 底が減って軽アイゼンなしでは滑って歩けなくなった。この日スポーツ店で張替えを頼んだら6~8週間かかるという。その間の代替に安靴を探そうと陳列棚を物色したら、目はどうしても高級靴の方へいく。SCARPAを手に取って眺めていたら、店員氏が寄ってきて、その隣のが張替える靴の後継モデルだと言う。試しにどうぞと靴下を差出す。ならばと履いてみたら、これがなんと我が足にピタッと吸い付いて離れない。張替え値段も結構高い。長年激闘を共にした靴で一度張替えているし、水も浸透するようになっているし、各所擦切れているし、う~んこの際買換えるかと、急遽張替え注文をキャンセル。まんまと店員氏の作戦に引っかかった格好になった。帰り際、「この靴どうします?」と彼氏問う。「持って帰って飾っておくさ」と答えると、「そうですね、戦友ですものね」と、泣かせるセリフ。「ああ、各地転戦の戦友、大キレットも渡った靴だからね」小声でつぶやいて店を出た。2011年からの戦友、九州に四国に東北に南北中のアルプス、去年SCARPAの冬靴を使うまでは、厳寒の蔵王もこの黄色い靴で通した。ごめん、もう君を連れて高山へ行くことはないだろう。車庫の靴棚に古い登山靴やランニングシューズと並んで、リタイヤ組だ。時々車からNiniRossoのトランペットを流して君のこれまでの激闘を称えたいと思う。悪いけど、ボクはもうしばらく君の後継を伴って高山へ向かうつもりだ。老兵は死なず消え去りもせず、お互いに。
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3月29日 葡萄鼻 みんなで登ればこわくない  ⇒「山の記」へ
「こわい」とは難儀とか辛いとかの意で、この辺りでは「こーぅえー」というふうに使う。方言だと思っていたら、漢字で「強い」と書いて立派な日本語のようだ。葡萄鼻山は、地図上に登山道はなく、標高こそ800m程度ながら最大斜度30度の斜面を登るかなり険しい「こーぅえー」山だ。「せきかわ冒険王クラブ」を名乗る老若男女のこの一行総勢19名、縦一列になって雪山を歩き、急斜面を這い上がって山頂に達し、今、意気揚々と下山してきた。最若年は小学2年生、最高齢は87歳。ゆっくりとみんなで励ましあえば、どんな山だって登れるよと言ったのは確か故田部井さん。今歩いているここは、「梁山泊」と名付けられた山小屋の近くで窪地状の平坦地、地元では「シカバ平」と呼ぶという。ここだけ周囲と植生が異なって、立派なダケカンバが並ぶ林となっている。標高500m少々のところでダケカンバの林は珍しいらしい。ダケカンバの別名はソウシカンバ。草紙樺と書く。シカバはその後半をとったのだろう。それにしてもだ、冒険王といい梁山泊といい、何とも大仰な名称。気宇だけは壮大といったところだろうか。すべてにおいて慎ましやかを好む小生としては少々辟易の感がしないでもない。ま、春の雪山をたっぷりと楽しんでもらえたのだから、案内人としてはそれで良しとしよう。続きは「山の記」でどうぞ。
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3月27日 春耕のエンジンの音 土の香や  ⇒「畑の記」へ
午後からは雨だというので午前がチャンスと大急ぎで畑へ。長ネギの苗床を作って種を蒔いた。玉ネギの苗つくりで失敗した原因は、離れた畑で保水管理に難があったから。だから長ネギの苗は庭で育てることにして、育苗トレイと専用培土を買ってきて25日に種を蒔いた。それでも、2袋買った種が半分ほど余ったので、この日、畑にも苗床を作った。ついでに、ジャガイモ用の畑に石灰を撒いて耕起。これまでで最も早い春耕となった。隣の親切なお婆さんも長ネギの種は蒔いた様子だが、まだ春耕には至っていないふう。この辺りでは一番乗りになったようだ。毎年の事ながら、このときのヤンマーポチ号のエンジンは軽快で、掘り起こされる土の香りが心地よい。
昨日は山から帰って、午後は庭の雪囲い外し。この日の午前は畑。さすがにクタクタになって午後はずっと昼寝。グターとしていると夕方Unqさんが29日の山行計画を持ってきた。昼前、畑の帰りにちょこっと歴史館に立ち寄ったのだが、Unqさんは昼休みに庭園でバドミントンの練習をするのだとかで、ソワソワの態。Tamuちゃんから古文書のコピーをもらった。それがまた珍しく赤字で書かれた文書で、104歳の長寿者への褒美の書。米10俵と絹1疋を賜ったのは岩船郡川内村の仁蔵さん。Unqさんの御母堂の実家の村。奇しき御縁というべきか。明治元年の触書の解読は、難字難語で行き詰って停止中。雨でも降らなければ取り掛かれない。しばらくは畑、庭、林、そして山。まずは「畑の記」でも、どうぞ。
 
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3月26日 葡萄鼻 ふた月空けて5年ぶり  ⇒「山の記」へ
葡萄鼻とはまた妙な名の山が、我家からやや東寄りの南方に見える。山頂がほぼ平らに長い屏風の形で、葡萄とはこの地形に由来するらしい。鉱物を精選する炉を置くに都合の良い地形ということで、鉱山には葡萄の名が多いという。この山の中にも古い銅鉱山がある。5年前にスキーを担いで登って滑り下った山。3日後に公民館行事でこの山にマンサクを見に登る。それで急遽下見に行こうとUnqさんからの誘い。丸丸2ヶ月、山をサボった身としては待ちに待った日到来。天気は抜群、絶好のこの日にもったいないことに、Unqさん、午後から会議で昼までには戻らなければならない。5年前の記録では、登り4時間半、下り3時間半。そこを登り2時間、下り1時間半でピストンすると言う。年寄りがついてきたせいで会議に遅刻したなどという不名誉な事態だけは何としても避けなければならない。それに何しろ2ヶ月ぶりの山、足が嬉しくて嬉しくて飛ばす飛ばす。肝心の目的を忘れて只管登ることに夢中になっていたら、後方から「あった!あった!」と大声。山頂間近になって開花中のマンサクを見つけたのだ。そう、これを確かめるのが下見の目的。すっかり忘れてた。さすがはUnqさんというべきか。山頂の長い稜線に上がれば、快晴の絶景、朝日連峰から日本海まで大展望。もちろん飯豊も朳差も。参加を見送った二王子も光兎も。空白を埋めて余りある光景を山頂稜線の端まで歩いて見晴るかす。立ったまま、ノンアルビアで乾杯、喉を潤したらすぐにピストン下山。かくして、会議には悠々間に合い、下見の目的は果たし、なおかつ小生の心の空白を十二分に満たして帰宅、となったのでありました。詳細は「山歩紀行」改題「山の記」でどうぞ。 
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3月24日 肩の荷を下ろした気分 花を見る  ⇒林の記 ⇒庭の記
隣家の庭に見事な紅梅の木があって、ここ数日、朝風呂帰りに立ち寄っている。一昨日は雨の花見で昨日は朝陽の花見、そしてこの日は雪の花見。21日に母の49日法要と納骨を終えた。これでどうにか子の務めを果たしたような気がして、なにやらホッとした気分。昨日、祭壇を撤去してもらいようやく服喪体制解除。我家の庭の母のものだった白梅も、少々見劣りはするものの隣家の紅梅と競うように咲き始めている。山の花や山菜も気になりだして、昨日は墓参りの帰路Okkaaと山林に寄り道してみた。驚いたことに早くも山桜が咲き始めていた。フキノトウ、行者ニンニク、アサヅキ、みな初物。吾のため春の野に出て若菜摘む、春の初めはこれを食べないと始まらない。家族が一人欠けても、去年一昨年と変わらない毎日が続く。菩提寺のご住職曰く、死者は仏の血脈の一筋に連なるのだと。カンダタの縋るクモの糸はまさにそれだったのか。だとすれば、我らもいずれは母から繋がる一筋の糸に縋ることになる身。それまでは只一生懸命に生き続けるしか手はない。世はコロナの騒ぎ。どう騒ごうとも日々の暮らしは変わらない。いつの時代もそうだったと、歴史がそれを教えてくれている。雪なしの冬だったが、それだけになお春の淡雪がいい。母の名残り雪なのかもなどと思っている。なにしろ雪峰祥寿大姉などというとっておきの戒名を頂いたもので。
今年初めての「林間記」「猫額苑四季」をUP。高村薫の「土の記」を真似て改題してみました。単純ですっきりです。それぞれをclickして、どうぞ。
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3月6日 文書読む コロナ収束願いつつ 
いやはや大変なことになったものだ。1月の五頭山行途中の車中でカミュのペストがちょこっと話題になって、まさかこんな大仰なことになるとはつゆ思わず。息をひそめた様にして家籠りして、こんな時はと、せっせと古文書読み。今は、明治元年新政府発出の御触れを当時の村庄屋が書き写した文書。元年9月の改元令から始まって次々と村上民政局から出される通達。それをせっせと書き写しては村人に触れ伝える庄屋。和紙を綴じたこよりの結び目から激動の時代のにおいが立ちあがってくるような代物。いやはや大変なことになったものだなどとため息をつきながら、日々の役目を淡々と果たす当時の人々が偲ばれる。さすがの庄屋様もあまりの通達の多さに呆れたか段々と崩しが激しくなる文字の判読に、150年後のにわか文書読みは四苦八苦。これとは別に、2年前から歴史館で解読会を始めた万延元年のお伊勢参り道中記も2月でようやく伊勢に達した。開港したばかりの横浜、外国人やら蒸気船やら物珍しく見物しながら着実に歩を進める幕末上関村の5人組。激動の渦中にあっても、庶民はいつの時代もしたたかに生きる。公共施設が軒並み閉鎖された中、有難いことにドームの走路だけは村民に限ってと開放。お陰で脚トレと脳トレが保障された。そろそろ山へ登ろうか。まさか山上まではコロナも登れまい。 
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2月15日 時ならぬ春土手走る 母逝きて 
例年なら春は名のみ厳寒のこの時期、よもや春霞の土手を走ろうとは。73年も生きれば稀有の事象にも出遭えるものだ。8日、母が満98年の天寿を全うした。昨日が初七日で少し一段落して、6日ぶりのRun。我家の葬儀は父と祖父が立て続けに亡くなったのが55年前で、それ以来のこと。あれやこれやでバタバタとしているうちにあっという間に1週間が過ぎた。喪主を務めて、しみじみ思ったことがある。我が子や甥姪がそれなりの歳になっていてよく動いてくれたこと。珍しく勢揃いした彼らの成長がまず嬉しかった。そして、大勢の人々から弔っていただいたこと。ほぼ全てが親戚とムラの人、つまり家と家とのつながり。これが、何に増して有難かった。55年の間のつながりを義理堅く務めてくださる方々に頭が下がった。香典帳を作って、これは預かり帳だと家の者に宣言した。葬儀は相互扶助、家と家とのつながりで支え合っているとしみじみ思ったものだ。春の暖気の土手、走りながら73年も付き合った母に、もっと優しくしてやれなかったものかと後悔の念が湧いた。せめて、これからは周りの人々に優しく感謝しながら生きようなどと殊勝な気分になったのは、柔らかな春の気配のせいか、それとも故人となった母の教えか。
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1月26日 これほどの日があろうかと 峰の上 ⇒山歩紀行
ようやく新春初登りの恒例メンバーが集まり、再びの五頭山。ただし、今回はレベルを上げて五頭から菱ヶ岳への縦走。沿面距離11㎞、累積標高差1200m、休憩を除く行動時間7時間少々。これ以上はないだろうという絶好天に恵まれて、縦走の稜線上から絶景の大展望。眼前飯豊の白嶺は言うに及ばず、会津磐梯山はおろか、遠く尾瀬の燧ケ岳、妙高連山、さらには178㎞も離れた新潟・富山県境の雪倉岳・朝日岳まで見えたのだから、こんな日もあるのだとただただびっくり仰天。諸般の事情で半年ぶりの登山となったKeynさんの脚も絶好調。これなら夏の北岳も私のものよと口にこそ出さぬも自信は満々。詳しくは「山歩紀行」で。YouTubeにUPした動画は ⇒こちら 
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1月18日 良寛も食べただろうか この蟹の味
寺泊の宿でカニ食べ放題、30分1本勝負。阿賀北山岳会恒例になった新年会を兼ねたカニ泊旅行。新年の会長挨拶も省略していきなりのカニ合戦。テーブル毎に1人1ハイを3人全員食べ上げれば次のカニが来る仕掛け。だからチームワークが重要。手前のテーブルはチーム大キレット、チームワーク抜群。3人ほぼ同ペースで平らげてはお替りを繰り返し、結果は1人3ハイでTime is Up。前回は2ハイ半だったから記録更新。奥のテーブルチームは奥ゆかしく慎ましく、1人2ハイ食べて投了。宿の係さん曰く、これまでの記録は4ハイだと。だから、来年は新記録タイに挑戦だ。とにもかくにも、出されたカニの形のいいこと、美味いこと。1年分のカニを30分で堪能しつくした。翌朝、同じカニを留守番のOkkaaへ土産に買って帰った。Unqさんから、昨晩のカニと同じ味だった?と心配の問い合わせがあった。食傷気味の小生の舌はマヒしていたが、Okkaaの顔から判定すれば、我らが食べたカニの味をはるかに上まわる味だったこと、まずは間違いない。さて、話は戻って、帰路は三条のワールドビュッフェで昼食。これまたあれこれ食べ放題。〆はジェラート各種に生クリームかけ3カップ。これがまた美味いのなんのって。糖分の取り過ぎ要注意⁉ なんのなんの、そのためのランニングなのだから‼ …ところで、表題の良寛について。最近わけあって良寛のにわかファン。この日も行きがけ、分水の良寛記念館でにわか勉強。付け焼刃のそのわけは、いずれまた。
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1月12日 めでたくも陽射しの五頭で初登り ⇒山歩紀行
ここのところ恒例になって5年目の新春五頭山登山。5日に予定していたのが悪天で日延べしていたら、今日は陽射しの絶好日となった。ところが、日延べのせいか都合がついたのはUnqさんと私の二人だけ。ちょっと寂しい初登りとなってしまったが、その分、二人で盛大に新春初登りを祝った。久しぶりに五頭山本峰山頂まで足を延ばし、戻ってメーンルートから外れた二ノ峰に陣を取り、ノンアルビアに、タピオカヨーグルトに、ポテトチップスに、カップラーメンに、そのほかモロモロ、雪の卓上賑やかに宴を張ったのでありました。この場所でいっとき一緒になった小父さん、コーヒーを啜りながら文句たらたら。曰く、雪のない五頭山は全くつまらないと。たしかに同感ではありますが、それはそれ、陽射しの少雪五頭もそれなりに悪くはないものですぞ。新年山旅の幕開け、今年はどんな山が待っていてくれることやら、ワクワクの一年が始まりました。今日の五頭山初登りは、「山歩紀行」で。
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1月1日 初春や 1分のおつりめでたけれ ⇒只管走記
明けましておめでとうございます。今年も、元旦マラソンで新年を迎えました。年末年始は大荒れの予報に反して、レース中は青空まで見え、ロードコンディションは最適。おかげで気持ちよく完走。ゴールしたとたん、予報通りの荒れ模様。記録を見れば、目論見どおりの1時間。どんぴしゃりと思いきや、1分の余分つき。これはおつりか利息か、はたまた余得か。いずれにしろ、貯蓄に回して取り崩すのは来年。1年後の目標ができたし、今年も何やら僥倖の年になりそうな予感。めでたい一年の始まりです。皆様もそれぞれに清しく新年をお迎えのことと思います。早々に年賀状をお送りいただき、ありがとうございました。今年もWeb上からの新年ご挨拶にてご容赦の程。本年もどうぞよろしくお願いいたします。元旦マラソンの様子は、「只管走記」でどうぞ。
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